第115回:ロビンソー・クルソーの冒険 その2
イヴのカタマラン、“ロビンソン・クルーソー”はおよそヨットのイメージからかけ離れたものだった。元々木造だったが、その上にFRP(ファイバーグラス)を貼り付け補強してあり、しかも表面をスムースに仕上げようという意図が全く見えず、荒いウォービン・ロービング・マット(ファイバーグラスの織り方)の目がそのまま浮き出ており、エッジは生のファーバーグラスが船体に貼り付かず、凝固剤の滴りがそのまま残って固まっていた。船底塗料との境界線もマスキングテープを貼らずに、なんとなく水平に塗りたくったのがミエミエで、喫水線には緑の藻がへばり付いていた。
双胴船、カタマランは二つの船体を繋ぐ部分の幅があるので、メインキャビンはモノハル(普通のヨット)に比べると信じられないくらい広々している。
イヴは、「ようこそ、ロンビンソン・クルーソーへ! これが私たちの浮いているお城よ」と、私を広い雑然としたキャビンに招き入れてくれたのだった。
焼きたてのスコーンと自家製マーマレード(イメージ参考)
口を付けるのに一瞬ためらうような茶渋か、単なる汚れか、がこびり付いたマグカップにイギリス風ミルクコーヒーを注ぎ、恐らく私のために焼き上げてくれたスコーン(小麦粉、牛乳、ベイキングソーダー、ベイキングパウダーで練り、オープンで焼いたもの)、そして、自家製らしきマーマレードを供してくれたのだった。
これがとても美味しかった。単純な料理とも呼べないスコーンが焼き上がりにはこんな風味を持つことに驚嘆すらしたのだった。濃い紅茶といい、イギリスの頑固なまでの伝統をそこに見たように思った。“真理は単純さの中に宿る”と、大げさな言葉が脳裏に浮かんだほどだった。白米の炊き立てご飯と味噌汁にアキがこないように、スコーンと紅茶は何世代に渡ってイギリス人の食卓に上ってきたのだろう。
イヴの嘆きは、イビサで新鮮な牛乳、ロンドンなら毎日配達されてくるような当たり前の牛乳が手に入らないことだった。
キャシーはキャビンのセッティー(座席)で転がるように素っ裸で寝ていた。
その時だったと思う、イヴは問わず語りにイギリスからこのヨットをどうやって運んできたかを話し始めたのだ。こんな時、あまり質問をせず、相手の言葉が自然に自分の胸から溢れ出るに任せ、話させた方がいいことをカフェテリアのオヤジ業を通して学んでいた。
イヴのヨットだと思い込んでいたカタマラン“ロビンソン・クルーソー”は、実はイヴの愛人が自作したものだった。イヴは“夫”と言わず、“キャシーの父親”という呼び方をしていた彼氏が、ジェームス・ワーレン(自作のためのカタマラン設計を売りにしていたヨットデザイナー)の設計図を買い、南イングランドのブライトン(Brighton)近くの田舎で建造したのだ。その時、イヴは地元の中学校の英語教師をしていた。イヴはティーンエイジャーの二人、ドミニークとマーシャを抱えたシングルマザーだった。
誰とでも気楽に会話を成立させる才能を持っているイヴは、仕事に通う道筋で奇妙な船を造っている彼氏(どうにも名前を思い出すことできない、ギルバートだったと思うのだが、仮にGとしておく)に声を掛け、何を造っているのかに始まり、それが完成したらどこへ行くのか、と発展し、時々Gを夕飯に招待し、次第にその頻度が多くなり、毎晩のようにイヴのところで食べる習慣になり、そのままイヴのところで夜を過ごすまでになった。
船が完成する頃には、イヴはGのカタマラン“ロビンソン・クルーソー”に二人の子供、ドミニークとマーシャを引き連れ、冒険航海に乗り込むことを決めていた。ヨットで地中海に行くのは、イギリス人だけでなく、ドイツ人、北欧人にとっては憧れの夢また夢なのだ。
私はGに会ったことがないが、ヨットを造るほどだから、腕の立つ大工、ハンディーマンなのだろう。その後のイヴやドミニーク、マーシャの話から察するに、イージーゴーイングなヒッピー崩れの優しい男をイメージした。
ジブラルタル海峡周辺マップ(参考)
ブライトンを出港した時のメンバーは、キャプテンのGとイヴ、それにイヴの二人の子供という構成だった。その時すでにイヴのお腹にはキャシーが宿っていた。ビスケー湾を南に下り、スペインの北西の突端、ガリシアの漁港ヴィゴ(Vigo)に取り付き、そこからはポルトガルの大西洋沿岸を寄航しながら、のんびりゆっくり南、南へと下り、ジブラルタル海峡のモロッコ側の町タンジール(Tangier)に寄り、それからスペインのアルへシラス(Algeciras)に入港し、ジブラルタル(Gibraltal)に向かおうという日にイヴが産気付き、アルへシラスの産院でキャシーを産んだのだった。
何よりも彼らにはお金がなかった。一体全体どうやって地中海のセーリングをするつもりだったのだろうか…。イヴがイギリス政府からの社会保障、生活保護のような年金を貰っていることは知っていたが、それにしてもそんなお金はGを含めティーンエイジャー二人、そして乳飲み子を抱えた暮らしを支えるにはとても十分な額ではなかった。
私自身、バックパッカーとして無銭旅行に近いヒッチハイクをしていたから、多少は理解できるのだが、どこかに行きたい、行ってみたいという夢が膨らむと、それがすべてに優先し、行けば何とかなるだろうと、踏み出してしまう心理が働くのだ。きっとGもイヴも地中海に辿り着きさえすれば、後は何とかなると見込み発車したのだろう。
アルへシラス市内の公園(イメージ参考)
イヴがキャシーを生んだのは、スペイン各地にあるカソリックの尼さんが慈善事業として経営する貧乏人のための産院で、費用は一銭もかからなかったにしろ、オシメやベビーパウダー、クリーム、粉乳などのお金はかかる。
イヴがその産院に泊め置かれたのは3日間だけだったが、その間にGはモロッコはタンジールに渡り、マリファナをスペインに運び込んでお金を作ろうとしたのだった。モロッコ・スペイン間で、このようなマリファナ密輸は日常的に行われ、大量のマリファナがスペインに流れ込んでくる。
ジブラルタル海峡は、潮目を選べば渡航は難しくない一気に渡れる距離だった。だが、潮流を読み誤ると、嫌な三角波が立ち、どんどん流されていく。
Gは優れた便利屋、船大工ではあったが、話を聴くに、どうもセイラー、ヨットマンとしての経験は浅かったフシがある。行きは良かった。帰りも途中までは良かったが、それまでマジメに動いていたのが不思議な中古の25馬力の船外機が突如エンストを起こし、おまけに風も弱く、セールを揚げてもバタつくだけで動きが取れなくなってしまったのだった。
第116回:ロビンソー・クルソーの冒険 その3
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