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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第772回:宗教と政治、そして信仰について

更新日2022/09/15


私はモルモン教の一派、親たちは自分たちが本家だと主張していますが、ジョセフ・スミスを教祖としている宗派で育ちました。子供の頃から毎週日曜日に教会に行く、行かされる? 熱心なチャーチゴーアーでした。それどころでなく、サンデースクール、それからサービス、そして夕方には別に説教があり、水曜日の夕方にもインフォーマルな形式、服装でのお祈りの集いがあり、土曜日には教会がオーガナイズした青年(幼年、少年も含む)グループ活動、合唱の練習やらクラフトを習ったりしました。

今数えてみると、週に6時間から7時間は教会関係のことで過ごしていたことになります。それだけでなく、夏休みの期間中、チャーチキャンプがあり、なんやかの集まり、行事があり、生活の中心は教会でした。私の親族、従姉妹、従兄弟たちも、皆同じ環境で育っています。時代の拘束力とでも呼べば良いのかしら、私の家は代々その宗派を引き継いできています。

それを洗脳と呼ぶか、敬虔な宗教的環境と呼ぶかは微妙なところです。幼い時からの刷り込みが、信仰を持つためにとても大きな役割を果たしていることを認めないわけにはいきません。ですが、今、その宗派にドップリ浸かって育ってきたイトコたちは、皆中年後期から老境に差し掛かっているのですが、私の4人兄弟を含め13人の従妹全員、見事に宗派を離れ、誰も教会に行っていないのです。それどころか、私たちが育った教会、宗派を毛嫌いし、彼ら、先祖代々引き継いできた教会を軽蔑さえしています。

大雑把な言い方ですが、アメリカ中西部では、宗教は歴史的に引き継ぐものであり、個人個人が模索し、人間がいかに生きるべきかと青年期に大いに悩みながら求めるモノではないようなのです。逆にティーンエイジャーまで教会に浸かって育った私などは、教会を捨て、無宗教になり、多分にウチのダンナさんの影響もあり、完全な無神論者になるのは大変なプロセスでした。そんなに簡単に「ヤーメタ」と切り捨てることではありませんでした。脱皮の苦しみをそれなりに味わったのです。

いかなる宗教も、外から見れば、荒唐無稽な矛盾だらけのお伽話のような神話を信じ、隣人愛、平和を説いています。ですが、歴史的に言って、宗教のおかげで世の中が平和になったことはなく、それどころか宗教の名において互いに殺し合ったことの方が遥かに多いのは事実でしょう。悲惨な殺戮だった十字軍戦争だけでなく、キリスト教の内部の争い、宗教戦争、魔女狩りで死んだ人の数は何百万人になるでしょう。

元々キリスト教自体、相対する宗教、宗派の存在、立場を認めていては成り立ちようのない宗教なのです。自分は、自分だけが正しいことをやっていると信じ、他は全部ダメだと信じることほど恐ろしいことはありません。相対する者に無慈悲なほど残酷になれるのです。相手を無視するか、無視できないほど力を付けてきたなら、やっつけるしかないのです。

私が慣れ親しんだ教会を離れた時、両親もお爺さん、お婆さんもとても悲しんだと思います。そして、信仰、信心を持たずに生きることはできない、善人になることはできないと諭そうとしたのです。このあたり、生まれつき無神論者的な日本人には分かりにくいかもしれませんね。

家に神棚と仏壇が同居しているのは、他から観ると矛盾しているし、ありゃ、一体なんなんだ、少なくとも信仰ではないな……と、滑稽にさえ思えます。一般的に神式結婚式を行い、仏教はお葬式という色分けが矛盾なく受けられているようですから、とても宗教とは言えないと外目には映るのです。寡聞にして、仏式結婚をして、神式葬儀を行った日本人を知りません。無宗教を自認する日本人も案外、伝統というのかしら、習慣、日本教に縛られているように見受けられます。

人はやはり何らかの形で、超自然的なものへの恐れ(それを信仰と呼んでもいいと思うのですが)を持ち、絶対的なものを求めているのでしょう。人類が採取、狩猟生活から原始的農耕に入り、集落を営み始めると同時に何らかの信心が育ち、霊的なものを信じ、自然崇拝的な宗教が生まれたと言って良いでしょう。

世界最古の神殿が1994年にトルコで発掘され、紀元前9600年と査定されました。紀元前3000年のイギリスはヨークシャーのストーンヘンジ、ピラミッドは紀元前2550年から2470年ですから、とてつもない大昔から神を祀っていたのです。

人類の歴史には数えきれないほどの宗教が生まれ、消えていきました。  

俗に世界三大宗教と言われているイスラム教、キリスト教、仏教が世界的な広がりを持ち、大きな文化遺産を残したのは政治と結び付いてきたからでしょう。政教分離、信仰の自由など、過去にも今も有り得ないことです。

ナチスドイツの時代でさえ、ゲシュタポに信心深いキリスト教徒が多かったし、その同じ人間がユダヤ人狩りをするのに何の矛盾も感じていなかったようなのです。反ナチス運動の“白いバラ”に関与したとみなされた学生たちをまるで茶番の裁判にかけ、死刑にしましたが、その時もキリスト教、カトリックの坊さんが、“〇〇〇の魂が神の御許へ行かんこと…”などと、処刑前にやっているのを知ると、一体宗教とは何なんだと思わずにはいられません。

外から第三者的な目で見ると、全く別の面が見えてくるのでしょうか、ウチのダンナさん、私の両親、親族の宗派、演繹してアメリカの多くの宗教団体は寄り合い、隣組的な“無尽講”だなと言っています。確かに、私が通っていた教会で宗教論争、聖書の解釈を巡っての議論などはありませんでした。

私の父が入っている老人ホームは宗教団体が経営しているものではありませんが、どういうワケか、父の教会の人が多く入っていて、互いに子供の頃からの知り合いがたくさんいます。リタイヤすると過去を共有してきた人たちと寄り集まるのが心地良くなるのでしょうか。ですから、昔話、噂話のミナモトは共通していて、まるで同窓会のような雰囲気なのです。

根がキリスト教嫌いのウチのダンナさん、「ありゃ、あれで良いもんだな」と言い出しました。きっと、彼もそれなりに歳を取ってきたのでしょうね…。

-…つづく

 

 

第773回:アメリカの金脈企業と刑務所

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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