第769回:アメリカの国立公園
アメリカ人でありながら、そこに住んでいながら、お国自慢できるようなこと、モノがないのはなんとも悲しいのですが、一つだけ胸を張ってこれぞとばかり、アメリカが世界に誇れるのは国立公園(National Park)だけでしょうか。現在、主に中西部を中心にして63の国立公園があり、公園内を車で回っても2、3日かかる広大なものから、半日で丁度良い小規模のものまであり、さらにその下に国定公園(National Monument)があります。アメリカ西部に国立公園が多いのは、ウッドロー・ウィルソン大統領が国立公園を設定した1916年に東部はすでに私有地化が進んでいて、国がそれを買い取るだけのお金を捻り出せなかったからでしょう。彼がヨセミテ(Yosemite)やレニエ(Mt. Rainier)を保護し、国立公園に指定しました。
今では、とりわけコロナ禍で、航空機で旅行するのがためらわれるここ数年、車で国立公園を回るのが大流行し、年間3億人が国立公園を訪れています。これはアメリカの総人口より多い数字なのに驚かされます。昨年、私たちがアメリカ・カナダに跨る氷河国立公園を訪れたとき、やはり考えることは誰でも同じなのでしょうね、氷河が融けてなくなる前に一眼観ようという人たちで一杯になり、車はラッシュアワー並にバンパーを擦り付けるようなノロノロ運転しかできませんでした。見晴台へのハイキングコースも、長い列のお尻に付き、前にヨロヨロのお婆さんがいると、まるで屠殺場に向かう牛のようでした。
先々週、エステスパークのあるロッキーマウンテン国立公園を通って西からボルダーのある東に抜けようとしたところ、公園に入場制限があり、予約制を敷いていると知り、またまたビックリさせられました。そうでもしなければ、公園が車で埋まってしまい、ニッチもサッチもいかなくなると言うのです。私たちは引退生活者ですから、時間だけはたっぷりあるので、ロッキーの西を北上し、ワイオミング州まで行き、そこから、東に向かって長い山道でロッキーを越え、南下したのでした。
国立公園にはビジターセンターが必ずあり、そこで公園のインフォーメイション、地図、ハイキングコース、公園の歴史などを綺麗にまとめたパンフレットを貰うことができます。また、ほとんどのセンターでは30分ほどの映画、スライドショーを楽しむことができます。レンジャーは実によくハイキングコースの難易度、動植物のことなど知っているので、彼らの説明はとてもためになります。ほとんどの国立公園内にはキャンプ場があり、私たちは2、3日そこにキャンプし、歩き回ることにしています。
他に広大なBLM(Bureau of Land Management;国土管理局)という森、山があります。国立公園ほど規制は厳しくなく、山奥まで放牧が許されていたり、狩猟も期限付きで許可されている地域です。そこでの森林伐採の権利はいつも政治問題になります。
私たちが山歩き(最近登りではなくなりました)をするのはもっぱらこの国有林の中です。郡道や林道から30メートル離れると、どこでもキャンプがOKですから、私たちのトヨタで行けるところまで行き、そこから道路を離れ、ベースキャンプを設定するのが老ハイカーの定番になってしまいました。こんなところは人気のある国立公園と異なり、まず、他のハイカーを見かけることすらありません。
どうもアメリカ人は車から降りずに、銀行、ファーストフッド、今ではスーパーの買い物(電話、インターネットで買い物リストをスーパーに知らせておくと、ドライブスルーの窓口で商品を受け取ることができる)に慣らされていて、できるだけ重い腰、尻をシートから持ち上げない、動かさないようになってしまったのでしょう。車から離れらない人種に退化したようなのです。
私たちのように引退した人のヤルことの筆頭は、国立公園巡りではないかしら。大きなキャンピングトレーラーを引っ張り、旅しているのをよく見かけます。そして、たくさんのカップルが63のすべての国立公園を回ることを目指しているのには驚かされます。でも、船、ヨットでなければ行けないフロリダ州の西にあるトルトガス島のような国立公園もありますから、一体、どうやって行くつもりなのかしら。
国立公園は2万人のレンジャーが常時働いています。ですが、30万人ものボランティアに支えられていると言って良いでしょう。公園内のキャンプ場の管理人は100%ボランティアでしょうね。キャンプ場の入口に大きなキャンピングカーを据え、そこに1シーズン住み込み、キャンプ場の清掃、そして料金徴収などの雑用をこなしているのです。これは仕事といえば仕事ですが、涼しい森や山、自然の中で過ごす一つの方便なのでしょうか、もちろんお金は出ませんが、結構人気のあるボランティア業になっています。
規模はグンと小さくなりますが、州立公園というのもあります。ちょっとした湖や峡谷、森、山、町中なら有名な人の豪邸、植物園、マニキュアされたような庭園にゲイトを設け、入園料を徴収して開放しています。この州立公園内にもたくさんのキャンプ場があります。
自然保護といえば、人が何かしら博愛主義を説く時のように、開発、進展を阻止するだけのような響きがあります。若いアメリカの歴史で無限に見えた広大な山林、原野がもの凄い勢いで消えていくのを何とか喰い止めようとした“ピンチョト(Gifford Pinchot)”や“レオポルド(Aldo Leopold)”のような人がいたおかげで森林がどうにか残ったのです。彼らの頑固たる意思がワシントンの議会を動かし、森を守る、育てる方向にかろうじて転換させたのです。人間の意思の力でどうにかアメリカの自然が守られ、壊滅寸前だった森を救い、発展されたことに驚くとともに、いくら感謝してもしきれない思いです。
サーテト、今週のキャンプはどこの森にしようかと、山林を歩き、多少なりとも自然に溶け込める環境が残されているのは彼らのおかげです。
そして、日本の国立公園や国定公園のことです。それらは素晴らしいものですが、あの公園の入口近くに幟(のぼり)旗をいくつも立て、派手な看板を掲げた土産物屋さん、食堂などはどうにかならないものでしょうか。あれは、とてもとても自然とは相容れないものだと思うのですが…。
-…つづく
第770回:脈絡不明の“なんとかの日”?
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