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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から
 

第752回:ウクライナのこと

更新日2022/04/28


私は学生時代にズーッとアルバイトをしてきました。自慢にならない自慢ですが、私が関わらなかった“ファーストフードチェーンの店はない”、ピッザハット、ダンキンドーナッツ、マックなど、すべて網羅している…と言いふらしています。しかし、私が一番長くやってきた仕事は、外国人に英語を教えることです。海外からの留学生に、大学の授業の内容が分かるレベルの英語力を身に付け、レポートなどを英語で書けるようにする、いわば大学内の予備校の講師の仕事です。

これは大学のシステム内の仕事なので、私が大学に支払う学費がグンと割引になる特権があり、しかも色々な国の人と接するチャンスがあるので、とても楽しい仕事でした。元々アメリカの大学に子供を留学させることができるくらいですから、彼等の国では裕福層に属する家族が多かったように思います。当時貧しかった東ヨーロッパ、ロシアからの留学生は、イギリスでは“オペアー”、アメリカでは“ナニー”と呼ばれている、早く言えば住み込みのお手伝いさんをしながら大学に通っていた学生さんも大勢いました。今、指折り数えてみたところ、40ヵ国以上の生徒さんと接していたことになります。

一人でもある国の人を知ると、その国がグンと身近に感じられます。その国で政変、内乱や戦争が起こると、私が教えた生徒さん、今どうしているかな~と思わずにいられません。

私が留学生に英語を教えていたのはソヴィエト時代でしたから、それにソヴィエト内に16もの共和国があることなど、知識の上だけで知ってはいましたが、どんな状態におかれているのか全く意識しませんでした。タジキスタンやジョージア、アゼルバイジャン、それにべラルーシェ、ウクライナなどがどこにあり、ロシア人と人種がどう違うのか、独自の歴史を持っていると知ったのは、ソヴィエトの共産主義政権が崩れ、玉が弾けるようにそれぞれが独立した国家を作ってからのことでした。

これだけたくさんの国々からやってきた生徒さんに接していながら、ロシア人はたくさんいたのに、ウクライナ人は全く記憶にないのです。きっと十把一絡げにして、ウクライナ人もロシア人としてしか捉えていなかったのでしょう。

はっきりと、しかも極々身近にウクライナ人を知ったのは、私たちがヨットで生活していたプエルトリコでのことでした。

いかにも自作したような鋼鉄製のヨットが内湾にアンカーを入れ、手漕ぎのディンギー(小型ボート)でマリーナの桟橋に寄ってきました。長期のグルーズを経て辿り着いた様子がすぐに見てとれますから、例によってうちのダンナさん、漕ぎ寄るディンギーに声をかけ、私たちのヨットに横付けするように手まねで呼び、汗臭い筋肉マン3人を私たちのヨットのコックピットに上げたのです。彼らボリス、ヴィクター、オレックはウクライナ人でした。あり合わせのツマミに安物のワインで大西洋横断を祝ってあげたのでした。

今もって不思議ですが、彼ら3人組、ほとんど英語を喋れないのに(もちろんスペイン語もダメでした)ダンナさんのロシア語もスパシーバ(ありがとう)、オオチンハラショー(素晴らしい)クラスで旅行会話以下なのによくぞダンナさんと意思の疎通というのか、何時間もの間をもたせていたものです。秘密はワインとチャート(海図)にあるようで、どこそこの港に寄った、そうか俺も行った、そこで乾杯というわけです。

数ヵ月後、彼らはそれぞれ手間仕事をして少しばかりのお金を稼いだのでしょう、大瓶のウオッカ持参で私たちのヨットに表敬訪問してくれたのです。その時、私が撮った写真、真っ赤な顔をしたダンナさん(お酒にとても弱い)が、彼らウクライナのマッチョマンに抱きつかれんばかり、まるでオカマ集会のようにさえ見えますが、とてもいい思い出になっています。

今回のロシアというのかプーチンのウクライナ侵攻をテレビの映像で見る度に、彼らは、彼らの家族はどうなったのかと思わずにいられません。彼らが見せてくれたウクライナでの写真、家族と一緒にバカンスを楽しんでいるところ、美人の奥さん、まん丸の目をパチクリさせている子供たちの写真はとても幸せそうに見えました。彼らウクライナ組は、アメリカで仕事を見つけ、永住権を取り、家族を呼び寄せるのが目的のようでした。

彼らが漂着するようにプエルトリコの東岸に着いてから5、6年も経ってからでしょうか、プエルトリコの大学で学会があり、私としてはスワッとばかり飛び付き、懐かしのプエルトリコに舞い戻ったことがあります。

私たちが長年過ごしたマリーナに行ったところ、ヴィクターは事故死し、電気技師のオレックは仕事を見つけニューヨークに移り、ヨットを自作したキャプテン格のボリスだけがまだ、以前と同じようにアンカーを入れたヨットに住み、マリーナの雑用をしながら暮らしていたのです。うちのダンナさんを見た、ボリスの喜びようったらありません。万力以上の力で握手され、ダンナさん、俺の手が完全に潰れたかと思ったそうです。

身を惜しまずに働くボリスはマリーナにとってとても重宝な存在になっていました。それはもう10年近く前のことです。

今回のロシア軍の侵略、自分の国が悲劇に見舞われているのを知り、ボリスとオレックは家族救出のためウクライナに帰ったのでしょうか、彼らの家族をアメリカに呼び寄せることができたのかどうか、全く音信不通になった今、知る由もありません。彼らと知り合いになったおかげで、ウクライナの悲劇が他人事でなくなりました。

ダンナさん、「俺、ボランティアとしてウクライナに行こうかな…」と寝ぼけたことを呟いています。猟銃でさえ撃ったことがない足腰の定まらない爺さんなんか足手まといになるだけなのですが…。「オイ、それでも俺、炊き出し組として野菜や肉を切ったり、薪火で料理したりくらいはできるんじゃないかな~」と、どこまで本気なのか言っています。そして、だいぶ前に私の父がくれたパチンコ(スリングショットと言う手首を固定して強いゴムを引く道具)を引っ張り出し、ダンボールに的を描き、射撃?練習をし始めたのです。パチンコでミサイルと戦うつもりなのでしょうか…。 

この『のらり』の紙上で、多少なりとも政治的運動、慈善事業を呼びかけるのは適切でないと知りながら載せてもらうのですが、ウクライナへの人道的支援、早く言えば医療品、食料に限った支援のサイトです。 

【緊急支援】ウクライナへの寄付はどこが良い?支援方法や支援団体を紹介!
https://gooddo.jp/magazine/donation/22719/

〔ウクライナの人々を支援している寄付できる団体〕

1. 難民を助ける会  

2. 日本ユニセフ協会  

3. ワールド・ビジョン・ジャパン  

4. ピースウィンズ・ジャパン 

5. 国連UNHCR協会  

6. ジャパン・プラットフォーム

7. ADRA Japan

8. セーブ・ザ・チルドレン

9. メドゥサン・デュ・モンド ジャポン(世界の医療団)

10. テラ・ルネッサンス


11. アムネスティ・インターナショナル日本

-…つづく 

 

 

第753回:ロシアのウクライナ侵攻とアメリカのベトナム戦争

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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