第400回:流行り歌に寄せて No.200 「風」~昭和44年(1969年)
TBSテレビ系列の『TBS歌のグランプリ』だったか、フジテレビ系列の『ザ・ヒットパレード』だったかは残念ながら記憶にないが、どちらかの歌謡番組に、この曲がヒットしたとき、はしだのりひことシューべルツが出演したのを見た記憶がある。
司会者が「グループの名前は、あの楽聖シューベルトからとったのですか?」と質問したのに対し、はしだは「それもあるけど、靴紐の意味ですよ」と答えた後、「それでは、『かじぇ』を歌ってきますね」と言ってスタンバイしていた。
ザ・フォーク・クルセダーズの時代からそう感じていたが、実に人を食ったようなところがある人だと思ったものである。そのはしだも、2年半前に帰らぬ人になっている。
シューベルツのメンバーは、はしだの他には、越智友嗣、杉田二郎、そして井上博である。越智と杉田は、現在でも音楽活動を続けている。当時、私はよく知らなかったが、ベースの井上博は長身の二枚目で、女性ファンがたいへん多かったようだ。今その写真を見ても、なるほどこの人は本当にモテるだろなと思えるルックスで、ウッドベースを弾く姿も決まっていて、小憎らしいほどである。
しかし、彼は『風』のヒットからわずか1年あまり、昭和45年の3月に、持病の腎臓病が悪化し、23歳になったばかりでこの世を去ってしまう。多くのファンが悲痛な面持ちで彼を見送り、今やフォーク界では伝説となっている話だそうだ。そして、井上の死から3ヵ月ほどで、はしだのりひことシューベルツは解散を余儀なくされたのである。
「風」 北山修:作詞 端田宣彦:作曲 青木望:編曲 はしだのりひことシューベルツ:歌
人は誰もただ一人 旅に出て
人は誰もふるさとを 振りかえる
ちょっぴりさみしくて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も人生に つまづいて
人は誰も耐えきれず 振りかえる
プラタナスの枯葉舞う 冬の道で
プラタナスの散る音に 振りかえる
帰っておいでよと 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
人は誰も恋をした 切なさに
人は誰も耐えきれず 振りかえる
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
振りかえらずただ一人 一歩ずつ
振りかえらず 泣かないで 歩くんだ
何かをもとめて 振りかえっても
そこにはただ風が 吹いているだけ
吹いているだけ 吹いているだけ
吹いているだけ・・・
2番の「プラタナスの枯葉舞う 冬の道で プラタナスの散る音に 振りかえる」という詞がとても好きである。私はある時から、ある場所にある一本のスズカケノキに深い印象を持つようになったが、以前から鈴懸即ち、プラタナスという樹との縁を感じている。
岡谷市にある小学校に通っていたときの校歌の3番が『あおぎり いちょう プラタナス 歴史を誇る 自主の庭』であって、初めて実際の樹とともに、その名を知ることになる。
その後、ザ・ランチャーズの『真冬の帰り道』や、小椋佳の『小さな街のプラタナス』など、いくつかの曲に登場する。鈴懸の方では、灰田勝彦の『鈴懸の径』は、私の最も大切な曲であり、鈴木章治とリズム・エースの名演は愛聴盤である。
話がかなり逸れてしまった。さて、編曲の青木望は、実に印象深いアレンジメントをする人である。
はしだが次に作ったグループの大ヒット曲『花嫁』、清楚なイメージのチューインガムの『風と落ち葉と旅びと』や、やまがたすみこの『風に吹かれて行こう』、チューリップの名曲の中の名曲『青春の影』、丸山圭子のアンニュイな『どうぞこのまま』、松山千春のスケール感のある『大空と大地の中で』、そして哀切な雅夢の『愛はかげろう 』、東京フィルの演奏による沢田研二の『AMAPORA』などなど、その曲のイメージを何倍にも膨らませるように、編み出してゆく。
曲名を書き連ねて行って、自分の大好きなアレンジの曲ばかりだったことに気づいた。まだまだ私がずっと耳にしていながら、その業績を知らない方々が本当に多いことを今更ながら実感している。
今回から、昭和44年の曲のご紹介に入る。途中ラグビー・ワールド・カップを挟んだが、1年以上をかけて昭和43年は23回に渡って書かせていただいた。昭和44年と言えば、1960年代の終わり近く、人類が初めて月面に降り立った年である。
そして私の中では、印象に残る女性歌手が何人も現れて、ひとつの時代の終焉を感じさせるような、そんな曲が数多く出てきた年だと位置付けられる。さて、何曲ご紹介できるだろうか。
-…つづく
第401回:流行り歌に寄せて No.201 「白いブランコ」~昭和44年(1969年)
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