第360回:流行り歌に寄せて No.165「ブルー・シャトウ」~昭和42年(1967年)
「森トンカツ 泉ニンニク かコンニャク まれテンプラ…」
今60歳前後から上の年代の人たちは、このフレーズを一度は口ずさんだことがあるはずである。ジャッキー吉川とブルー・コメッツ最高のヒット曲で150万枚以上のセールスを誇る名曲だからこそ、このような替え歌と言おうか、歌詞の最後に食べものの名前をくっつけてしまう詞が歌われた。
今回調べたところ、この食べ物入りの歌を歌い始めたのは、チャコちゃんこと四方晴美だというのが有力な説のようである。彼女の名前を聞いてすぐに誰か判るのも、60歳前後から上の世代だろう。
大村崑の司会(初代司会、桂小金治)で、大の人気番組だった『日清ちびっこのど自慢』の中で四方が歌唱したのが初めてだというのだ。どれもこれも懐かし過ぎる風景で、「ちびっこ」という言葉も当番組が流行らせたようだが、今はこの言葉もほとんど聞かない。
「ブルー・シャトウ」 橋本淳:作詞 井上忠夫:作曲 森岡賢一郎:編曲
ジャッキー吉川とブルー・コメッツ:歌
森と泉にかこまれて
静かに眠る
ブルーブルー ブルー・シャトウ
あなたが僕を待っている
暗くて寂しい
ブルーブルー ブルー・シャトウ
※
きっとあなたは 赤いバラの
バラの香りが 苦しくて
涙をそっと 流すでしょう
夜霧のガウンにつつまれて
静かに眠る
ブルーブルー ブルー・シャトウ
ブルーブルーブルーブルーブルーブルー
シャトウ
(※くり返し)
『ブルー・シャトウ』は、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの8枚目のシングルで、前述通りの大ヒットとなり、ジャッキー吉川とブルー・コメッツの名前をグループサウンズ(以下、GS)の中でも特別のものにした。
このグループの母体である『ブルー・コメッツ』はすでに昭和32年に、ベースの大橋道二をリーダーに米軍キャンプ回りのバンドとして結成され、翌年にはジャッキー吉川も加入している。そして、大橋が昭和37年に抜けた翌年の、昭和38年にジャッキーがバンドリーダーになっている。
非常に演奏技術と音楽性の高いグループで、当時の売れっ子だった鹿内タカシ、中尾ミエ、伊東ゆかり、園まりをはじめ多くの人気歌手のバックバンドを務めたりしていた。その演奏力は、他のGSとは格段に違っていたという。また、長髪でサイケな服装であった他のGSと異なり、短髪でスーツ姿というのも特徴的だった。
『ブルー・シャトウ』が発表された頃のメンバーは、ドラムスのジャッキーの他には(すべてボーカルも兼ねて)高橋健二がベース、三原綱木がギター、井上忠夫(後の大輔)がフルートとサックス、小田啓義がオルガンとキーボードをそれぞれ担当している。
この曲も含め、三原綱木と井上忠夫がメインボーカルになることが多く、井上は作曲も多く手がけていた。しかし、その井上自体はこの『ブルー・シャトウ』を作ったことを後年、たいへん後悔していたそうだ。
本来は洋楽の良さをGSの曲に生かし、新しい音楽を作りたかったのだが、要請に応じて、古い体質から抜け出ていない歌謡曲を作ってしまった。そしてGS全体が歌謡曲調のものをどんどん歌わされることになり、目標としてきたものとは反対の方向に進んでしまった、と考えたという。
その後、昭和55年、作詞の湯川れい子と組んでシャネルズに提供した『ランナウェイ』を作曲した時、「やっと書きたいものが書けた、やりたかったことがやれた」と喜んだそうである。『ブルー・シャトウ』から13年の年月が経過していた。
井上は平成12年の春、自身の体調と妻に対する看病の心労などが重なり、自殺をして帰らぬ人となった。その翌年は妻も後を追って自殺している。
ジャッキーは、井上の死後「大ちゃんはGS時代、良い曲をたくさん残した。それを、彼はもっと誇っていいはずだ」とコメントした。
大ちゃんこと井上の死後、平成14年にブルコメは再び結成され、今でも演奏活動を続けているメンバー、それは『ブルー・シャトウ』をはじめ多くのヒット曲を放っていた頃のメンバーである。
常にエネルギッシュで、赤貧の環境の中からひたすら努力を続け一流のドラマーとなり、ブルコメにメンバー入りして60年を経過し、未だにリーダーを続けるジャッキー吉川。
音楽性が高く、ダン池田に代わりビッグバンド『ニュー・ブリード』のバンドマスターを歴任。今でも音楽教室を主宰し、一青窈をはじめ多くの人々に歌唱指導している小田啓義。
小田啓義の後の『ニュー・ブリード』のバンマスを務める。ギターの腕前は群を抜き、甘い顔のイケメンで、女性には大変もて、田代みどり、ケイ・アンナと、美人歌手と結婚をしている三原綱木。
初代リーダーからベース担当を受け継ぎ、GS時代は何か強面の兄貴風だったが、年齢を重ねるごとに飄々としたムードを醸し出すようになった、釣り好きの高橋健二。私自身はこの人のファンである。
-…つづく
第361回:流行り歌に寄せて No.166「あなたのすべてを」~昭和42年(1967年)
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