第363回:流行り歌に寄せて No.168 「真赤な太陽」~昭和42年(1967年)
お嬢・美空ひばりが、30歳になる4日前に発売されたシングルである。真赤なワンピースのミニスカート姿。もっとも我が家はまだ白黒テレビだったため、最初は何色かわからなかったが、『明星』や『平凡』などにしきりにその姿が掲載されていたので、間もなくして、色のイメージは理解できた。
当時、もう随分長いこと歌い続けているベテラン女性歌手という印象が強かったため、「はあ、ミニスカートなんだ」と正直少し引いて観ていたことを覚えている。それでも、演奏とコーラスの『ジャッキー吉川とブルー・コメッツ』のノリのいいバックアップで、彼女がゴーゴーダンスを踊りながら歌う姿は、今までになく明るく楽しそうで、こちらもウキウキしたものである。
今改めて当時のビデオを見てみると、美空ひばりの歌唱に臆することなくコーラスしているブルコメの実力は、やはり本物だったということがよく理解できる。他のGSでそれができるところはと考えても、なかなか候補はあがってこない気がする。
「真赤な太陽」 吉岡治:作詞 原信夫:作曲 井上忠夫:編曲 美空ひばり:歌
まっかに燃えた 太陽だから
真夏の海は 恋の季節なの
渚をはしる ふたりの髪に
せつなくなびく 甘い潮風よ
はげしい愛に 灼けた素肌は
燃えるこころ 恋のときめき
忘れず残すため
まっかに燃えた 太陽だから
真夏の海は 恋の季節なの
いつかは沈む 太陽だから
涙にぬれた 恋の季節なの
渚に消えた ふたりの恋に
砕ける波が 白く目にしみる
くちづけかわし 永遠を誓った
愛の孤独 海にながして
はげしく身をまかす
いつかは沈む 太陽だから
涙にぬれた 恋の季節なの
恋の季節なの 恋の季節なの
恋の季節なの 恋の季節なの
この曲は、まずアレンジが光っている。ダイちゃんこと井上忠夫のダイナミックな編曲は、この人の非凡な才能を感じることができる。余談だが、バックヴォーカルの際、テナーサックスを、ギター、ベースと同じ角度に傾けてスイングしながら歌う姿が、あまりにもカッコいいのである。
作詞の吉岡治は昭和9年2月19日生まれ。19歳の時にサトウハチローの弟子となり、作詞家生活に入った。石川さゆり『天城越え』、五木ひろし『細雪』、大川栄策『さざんかの宿』、島倉千代子『鳳仙花』、瀬川瑛子『命くれない』、都はるみ『大阪しぐれ』など、今私がここに書いていてため息が出てくるほど、珠玉の演歌の数々の詞を手掛けている。
その他にも石川セリ『八月の濡れた砂』、千賀かおる『真夜中のギター』などの、その時代の光景を切り取った名曲も作り、アニメソング、童謡に到るまで幅広い仕事をされた人である。
まだまだ活躍が期待されていたが、平成12年5月17日に、急性心筋梗塞で76歳で亡くなっている。『真赤な太陽』は、吉岡にとっては最初の大ヒット曲だった。
作曲の原信夫は、ビッグバンド『原信夫とシャープス・アンド・フラッツ』のバンドリーダーとして有名なテナーサックス奏者で、作曲家としても活躍している。『原信夫とシャープス・アンド・フラッツ』と言えば、『宮間利之とニューハード』や『高橋達也と東京ユニオン』らとともに、日本のビッグバンドの中でもジャズ・フィーリングをしっかり保持した超一流バンドとして大活躍をした。
原は大正15年11月19日生まれで、戦中に第日本帝國海軍軍楽隊に入隊した経歴を持っている。今回のこの『真赤な太陽』に関わった作家、歌手の中では唯一の存命者で、先日92歳を迎えた。
原がこの曲を作ったとき、ひばりと江利チエミのどちらに歌わせようかと迷った末、ひばりに決まった。ヒット後にチエミが、「私の歌だったはずなのに…」という意味のコメントをしていたというエピソードが、今でも残っている。
-…つづく
第364回:流行り歌に寄せて No.169「好きさ好きさ好きさ」~昭和42年(1967年)
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