第294回:アメリカのお葬式事情
昨年はお葬式が多い年でした。それだけ自分も含め、周りの人が死んでいく歳になったということでしょう。
私の父のように生涯同じ土地で過ごし、真面目に教会に通っている人種ですと、周囲でバタバタといってよいほど、死んでいくのを目にしなければなりません。私は週に1回は父母に電話を入れるように心掛けていますが、毎週のように、今週は誰それのお葬式があったと言っています。まるでお葬式のない週は退屈な風にさえ聞こえます。
私の方の親類では、従姉妹とその息子、叔父、叔母と4人亡くなり、ダンナさんの方では義理のお兄さんが亡くなりました。
生まれて始めて、日本のお通夜、お葬式を体験しましたが、お通夜で棺桶に入った人を前に、皆ですごいご馳走を食べ、お酒を呑み、大いにしゃべり、笑うのに驚きました。でも、アレはとてもいい習慣ですね。
亡くなった人を含めて一緒になって宴会風にやるのは、残された人にとっても、どこか吹っ切れるキッカケになるのではないでしょうか。それにしても、一晩中呑めや食えやは大変な体力が必要とされます。そして、火葬場で焼きあがるまでの会食、それから本格的なお葬式になり、その後またまた会食…と言って良いのかしら、凄いご馳走のマラソンに…、日本のお葬式は、目いっぱい飲み食いすることにある…とさえ思えます。それにかかる費用も膨大な額になるのでしょうね。
ごく一般的なアメリカのお葬式は、日本でのように様式化されておらず、宗派や亡くなった人の意思、残された人々が望むようなやり方で行われ、テンデバラバラです。 でも、日本のように凄いグルメの料理や高級なお酒が出ることはまずありません。
私の従姉妹の場合ですと、お葬式の前日、日本のお通夜に当たりますが、ヴィジテェーション(Visitation)と言って、祭壇に棺桶を置き、最後のお別れをします。この場合、棺桶の顔の部分だけ開いて,
死に化粧をした故人の前を通り、それから家族に挨拶します。最近、棺桶を置かず、写真と故人の好きだった記念の物などを置くだけの場合も多くなりました。
とても長い列を作り、一人ずつ、残された家族とハグ(抱き合う)し、慰めの言葉をかけたりしますが、これがおしゃべりな人、何とか気の効いたことを是が非でも言いたい人が多いお葬式ですと、延々と自分の順番を待つことになります。待つ参列者も大変ですが、一々言葉受け、そして何か返答をしなければならない喪主と家族はもっと大変です。
私の家系は、日本ですぐにプロレスラーになれるくらいの巨人が多く、叔父さんも従弟も、弟も2メートル近い豊かな身長の上、歳相応に肉がたっぷり付いていますから、痩せでチビの私とハグする時、彼らは腰を曲げ、お辞儀をするように前かがみになり、私の方は、大木にすがりつくコアラよろしく、身体を後ろへ反らして上を見上げることになります。
そのようなハグを繰り返したせいでしょうか、目まいがして、頭がクラクラし、終いには吐き気までしてしまいました。巨大な従弟の中には感傷的な大男もいて、ガッチリとハグしたりします。彼らにとっては普通の力なんでしょうけど、受ける方の私は背骨が折れるようなサバオリをかけられた気分になります。
翌日、お葬式、メモリアル・サービスが行われます。日本で驚いたのは、成年の男女、まず皆が皆、喪服を持っていることです。一生のうち何回、同じ体型でお葬式に行くのか分かりませんが、よくぞ狭い日本の家にそんな儀式用の服を仕舞っておくスペースがあるものです。何百人と人が出入りしていた火葬場で、黒い正式の喪服を着ていないのは、幾く人かの小学生とうちのダンナさんだけでした。
アメリカでは一応、キレイで清潔な服装であればそれでよく、男性は余り派手でない背広、ジャケットで、ネクタイは何でもよく、女性も別に黒一色というようなことはありません。ここぞとばかり、飾り立てた女性も結構います。
コロラドの田舎の葬儀では、ジーパンにフランネルのシャツ、カウボーイブーツの人もたくさん列席します。全般的に、服装は至って自由で、参列することに意味がある…と言っていいでしょう。
その後の会食ですが、これも教会や親類の人が得意の料理を持ち寄り、長いテーブルに並べ、紙、プラスティックのお皿に、コップ、ナイフ、フォーク(これも使い捨てのプラスティック)でヴァイキング方式です。たいてい教会の地下などにある食堂やホールを使います。
このヴァイキング会食では、お葬式の時に見せた神妙な表情を捨てて、彼らが示す食欲はアメリカの超デブ化、さもありなんと納得させられます。テンコ盛りにお皿に盛り、今にもこぼれそうなのを混み合った人を掻き分けるように運んでテーブルに付きます。叔母さんたちが腕によりをかけて作った自慢の料理はとっても美味しいことは事実ですが…。
お葬式の時、亡くなった従姉妹の6ヵ月になる初孫が参列者の注目を集めていました。と言うより、赤ちゃんのお披露目だか、お葬式だか分からなくなるほどの大人気でした。実際、ご機嫌な、誰にでもなつくキューピーのような赤ちゃんでした。
赤ちゃんが悲しみを癒し、湿っぽくなりがちな葬儀を救ってくれた気がしました。そして、去る人がいれば、生まれてくる人もある…と奇妙に納得させられました。
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