第731回:鯉は非常食 - 津和野 -
津和野駅に戻り、窓口でSLやまぐち号の指定券をグリーン車に変更した。SLやまぐち号は昨年に客車が新しくなって、編成両端の展望車のうち、片側がグリーン車になった。せっかく乗るならグリーン車がいいと思っていたけれど、事前に手配したときは満席だった。しかし、もしかしたらキャンセルが出ているかもしれないと、念のため窓口で変更を頼んでみたら1席あり。これは幸運だった。さあ、ちょっと良い気分で津和野の街を歩こうか。
ダムのない清流、津和野川
津和野の名所と言えば道ばたの堀で泳ぐ鯉だ。テレビの旅番組や雑誌でも、鯉が泳ぐ通りが紹介される。あの風景は私にとって衝撃的だ。子どもの頃、下水道が整備される前の住宅街は道ばたに「ドブ」と呼ばれるU字溝があって、糞尿以外の生活排水が流れていた。悪ガキたちはそこで小便を垂らし、犬のフンが蹴り落とされていたから悪臭を放つ。底にはヘドロのような緑色の藻が張り付いて水になびく。そんな風景が当たり前だったから、道ばたで鯉が泳ぐなんて常識を越えている。それが津和野のイメージだ。
この角度からSLを撮影したいけど、私は乗る側
街中のドブに鯉がいるなんて、津和野という町は素晴らしいところだと思う。もっとも、町の全域で鯉がいるわけではなくて、実際は殿町通りだけらしい。その殿町通りは津和野駅から徒歩10分ほどである。のんびりと街を歩いて、念願のドブの鯉、いや、お堀の鯉を眺めた。住宅街のU字溝とは別物で、風呂桶くらいの幅がある。長くて四角い貯水池だ。道ばたから見下ろせば、おお、いるいる。暗い水に赤い模様が映える。金色もいる。昔に流行った人面魚風のヤツもいる。公民館で鯉の餌を買い投げ込んでみた。すぐに食いつく鯉と、わりと冷静な鯉がいる。
津和野川から水路が町へ延びていく
まるまると太った鯉を見ていたら腹が減った。どこかに鯉料理の店があるかもしれないけれど、私は魚介が苦手だから探さない。食べ物屋を探すと、観光会館の裏手に店が並ぶ一角があった。左側は食事処。立て看板にうずめ飯。益田の屋台と違って1,300円という高級品。うずめ飯の他に海老の天ぷらや刺身もある。これはいただけない。振り返ればファストフードの店だ。看板に「焼きアイス」という不思議な文字。その下の写真と説明を見たら、ブリオッシュというパンでアイスクリームを挟み、オーブンで10秒ほど焼くという。面白そうだから食べてみた。微妙だな。焼き時間が足りない。もっと長く焼けば、ブリオッシュは香ばしく、アイスクリームはもっと溶け、中心を残してブリオッシュ生地に染みこんだはず。残念だ。
武家屋敷が並ぶ殿町通り
駅に戻りつつ、食べ歩きが終わる頃、日本遺産会館という展示施設を通りがかる。津和野の歴史、津和野街道を題材とした百絵図が展示されているという。若い女性の職員が「ご説明いたしましょうか」と声をかけてくださった。時計を見れば、SLやまぐち号の出発まで1時間と少し。でもせっかくのお声がけだから、1時間程度でお願いした。そして、なぜこの町で鯉が泳ぐか聞いてみると、どうやらこの鯉はもともと非常食らしい。
鯉に餌をやる
津和野川は清流で鯉など魚が豊富だった。古くから集落があったこの地で、元寇警備のために津和野城が作られる。その後、毛利元就の武将、吉見氏が着任し、城下町が形成された。しかし関ヶ原の戦いで東軍が勝利すると、吉見氏に代わって坂崎出羽守が着任する。坂崎は津和野城を改築し、津和野川の水を引いて城下町に水路を巡らせた。
裏通りのフードコート
この水路は生活用水と防火用水を兼ねたという。そして、戦時食として水路で鯉の養殖を始める。町の人々もこれにならい、水路から水を引いた池で鯉を飼った。ところが江戸時代は天下太平である。戦時食、非常食として鯉の出番は来ない。やがて鯉は城下町全体のペットになった。人々が鯉を愛で、誰かが新潟産の錦鯉を放った。こうして津和野の鯉は観光のシンボルになった。そういう話にならないと、生きる宝石の錦鯉と非常食が結びつかない。
津和野名物、焼きアイス
津和野は鯉のほかにもみどころが多い。殿町通り沿いの武家屋敷は観光地になっていたし、赤い鳥居が連なった神社も気になる。本来は一泊する価値のあるところだと思う。だからこそSLの終着駅になったわけだ。
日本遺産会館
津和野駅に戻ると、改札口前に行列ができている。運行本数が少ない路線では列車ごとに改札が行われる。やまぐち号はすでに入線しているようで、レトロな茶色い客車が見えた。古いように見えて中身は最新式。昨年に新造された客車である。
「二度と帰らないお客のためには、こんな演出も必要なのよ」
銀河鉄道スリーナインのメーテルのセリフを思い出した。
それでも津和野にはもう一度、ゆっくり訪れたいと思う。
太皷谷稲成神社の千本鳥居、下から見るだけ
新しい旧型客車
-…つづく
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