第728回:益田まつりとB級グルメ - 山口線・山陰本線 益田駅 -
益田駅。海沿いの山陰本線と、四国山地を縦断する山口線が交わる駅だ。路線の開業は山口線の方が先で、1923(大正12)年に津和野から延伸してきた。山陽と山陰を結ぶ鉄道路線としては播但線に次いで二番目に古い。ただし、瀬戸内海岸と日本海海岸を結ぶ路線としては翌年に美禰線が全通している。山口線はかなり斜めで、もしかすると陰陽連絡線と言うよりも、下関と松江を短絡し、日本海沿岸の街と九州を結ぶ意図があったかもしれない。

824列車の化身、4時間15分の旅を終える
平安後期に藤原氏の子孫、藤原兼高が益田氏を名乗り治めたところだという。兼高は源平合戦の時に壇ノ浦の戦いで健闘し、子孫の兼堯は応仁の乱で武勲をたてる。益田氏は山口の大内氏と結び、のちに敵対していた毛利氏と和睦し勢力を強めた。一時は九州から出雲まで領地を獲得していた。関ヶ原の戦いで毛利勢が敗れるまで、益田氏の統治は約400年に及ぶという。私は歴史が不得手だけれど、日本海沿いに勢力を伸ばしたということは、水軍が強かったかもしれない。いずれにしても益田は拠点都市の一つで、山口と線路を結ぶにはふさわしい都市であった。

益田は飛鳥時代の歌人、柿本人麻呂の終焉の地
山陰本線の始発列車に乗って4時間15分。益田駅到着は09時54分だ。ここから山口線に乗り、大内氏の拠点だった山口へ向かう。しかし次の列車は11時24分発で、1時間半も空いている。少し遅いが朝食としたい。なにしろ今日は出発が早すぎて、缶コーヒー1本しか口にしていない。内臓脂肪の蓄えがあるから飢えはないけれど、旅の楽しみは食である。それが喫茶店のモーニングセットであっても、地域の風情はある。全国チェーン店には入りたくない。

帰りに気づいたけど、駅でもまつりの告知をやっていた
駅前広場に出てみたら、以前に宿泊したビジネスホテルがあって、益田駅前の風景を思い出した。夜も開いている店はあった。朝はどうか。10時を過ぎればどこか店が開いているだろうと歩き始めた。そういえば、宿に入る前に買い物をしたコンビニがあったな。その方向へ歩いて行くと、日曜日の朝にしては人出が多い。国道沿いに屋台が出ており、道路は封鎖されている。歩道の入口に「第61回 益田まつり」の看板があった。年に一度なら60年の歴史がある。由来が解らないけれど、この日の訪問が奇遇だった。

益田駅もまつりに参加
店を探すまでもなく、屋台でいろいろな食べ物を売っている。B級グルメ。好物である。さて、お好み焼きか、焼きそばか。「ビビフラ」いう屋台がある。覗いてみたら、ビビンバフライの略だ。ビビンバは朝鮮風焼きめし、それを固めて揚げる。ライスコロッケだ。少女たちが店の前で食べていて、たぶん上手いのだろうと思う。熱いので気をつけて、と言われつつ受け取る。醤油とごま油の香り。なるほど、甘さのなかに唐辛子の辛み。おもしろい。

軌道自転車体験乗車は中止
前週に起きた地震の影響で波根駅と田儀駅間を保守点検中
軌道自転車は本業を務めている
音の割れたスピーカーの音に振り返ると、交差点の駅側でダンス大会が行われていた。幼児が繰り出し、保母さんが列を整えて、なんとか踊りの格好がつく。母親たちがスマートホンで撮影している。ダンスが盛んなのか、このあと、小学生や中学生も登場した。閉鎖された国道はよさこい踊り大会で、各地から集まった若者たちのグループが競演する。

ビビフラ、ビビンバフライ。ピリ辛ごはんコロッケ
もうすこし何か食べたい。帰り道に「うずめめし」の店があった。知らない食べ物が多く、このまつりは見つけものだぞ、と思った。お茶漬け風の椀で、お店の人に聞くと「美味しいものを埋めるから、埋めめし」という。贅沢を悟られないようにご飯の下におかずを隠した。「昔、ここではわさびが貴重品だったんですよ」とも。出し汁の茶漬けで、ご飯の下に大根、タケノコ、人参などが入る。関東風雑煮の椀にご飯を入れたような料理だ。

幼稚園児のダンスパフォーマンス
もう少しなにか、という感じで、次はうどんをすする。炭水化物ばかり食べたなあ、と思ったら、フライドチキンの屋台があった。これはどこにでもある唐揚げだったけれど、私は唐揚げ屋を素通りできない性分だ。揚げたてはうまい。なにか買うたびにもらうサービス券が溜まり、ダーツゲームに挑戦できるという。柚子ドリンクをもらう。

こちらはよさこい大会

全国から有名チームが集まっているらしい
このあと、益田音頭のパレード、石見神楽公演もある。きっと午後から夜にかけて盛り上がっていくのだろう。そこまで見届けられないけれど、1時間半は期せずして楽しい時間になった。なによりも満腹になった。

うずめめし。濃いめの出汁茶漬け
-…つづく
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