第725回:海と里山と海と - 山陰本線 特牛 ~ 長門市 -
特牛駅は海岸から約2.5kmも離れていて、海岸のほうに住む人が多い。海岸側には特牛郵便局があるから、駅名は海岸側の町から取ったと思われる。肥中街道、赤間関街道北浦筋は海沿いで、海側に集落が多かった。しかし線路は街道を逸れて谷間を選んで北へ進み、海沿いの阿川に至る。ATSのチャイムが聞こえる。列車交換可能な駅で、赤信号が出ているという知らせだ。しかしいまは対向列車が来ない。隣のレールは錆びていた。高校生数人と年配の女性がひとり乗ってきた。7時を過ぎたところだ。1日が始まった。

阿川駅
当時は木造駅舎が残っていた。その後取り壊され、ガラス張りの待合室ができている
列車は海沿いを走っている。相変わらずの曇り空だけど、海の景色も楽しい。ずっと海ばかり、山ばかりでは飽きてしまう。適度に風景を変えてみせるところが山陰本線の魅力かもしれない。人家はないから、それなりに険しく不便な場所だろうとは思う。

日本海沿いに戻った
険しいと言えば長門粟野駅も人に厳しい。島式プラットホーム1面2線の構造だけど、駅舎からプラットホームまで、高い歩道橋を通る。駅舎から通路を伸ばして線路を渡り、プラットホームへ行けたらいいのにと思う。年寄りや足り悪い人に厳しい駅だと思う。乗る人もいないから問題にならないか。

入江と海岸線の形が変わり、飽きない眺め

長門粟野駅
プラットホームの駅舎側は使われていないらしい
人丸という駅で阿川から乗った女性が降りた。そして高校生が10人以上乗り込んで、たちまち賑やかになった。しばらく停まり、下り列車と行き違う。あちらは滝部行きのワンマン運転だ。やはり滝部は要所であった。人丸は海から少し離れた川沿いの町だ。その川は掛淵川といい、次の長門古市駅あたりまで広がる水田に貢献している。

里山の風景に変わる

草と土の色も楽しい
海の駅、里の駅、そして海の駅、黄波戸に着く。きわどと読む。漁港と温泉の最寄り駅。しかし列車に乗る人は少ない。資料によると1日平均乗客数は10人である。信じられない数だけど、世の中には、こういう平穏な日常もある。

そして海の景色
07時43分。長門市駅に着いた。下関駅から2時間が過ぎていた。その間、飽きることなく車窓を眺めた。北海道で8時間半も走る鈍行に乗ったときも飽きなかったから、2時間なんて短い方だ。ゆっくり走る列車の窓には、ときとして目に見えないものも映り、風とともに消えていく。そして頭の中かスッキリする。こういう時間は長い方がいい。
長門市は去年の夏に訪れ、踏切事故で往生した思い出がある。今日は定刻通りでよかった。下関を出るときに予告されたように、2両編成の列車はこの駅で分割される。車内から眺めると、まず連結面側に係員が乗り込んで、通路を塞ぐ形で運賃箱を引き出した。次に通路の扉を閉める。

長門市に到着。解結作業が始まる
外に出て眺めた。係員が連結部に降りて、連結器を外す前に、二つの車両を繋いでいるホースを外し、それぞれ所定の位置に収める。係員がプラットホームに上がり、合図を出すとすこし列車が動いて連結器が外れる。また係員が降りて、ホースの処理と確認作業をして終了となる。なかなかたいへんな手順だ。
新しい車両なら、連結器もホースもまとめて接合できる装置もある。古い車両を使い続ける間はこの作業が続く。とくに山陰本線では車両を効率よく運用するため重要な役割になっている。作業員の方には気の毒だけど、私にとっては興味深く、懐かしい眺めでもある。いつまでも続いてほしいとは思わないけれど。

乗り間違いを防ぐ表示
切り離された後部車両は小串行きになる。タラコ気動車の巣に帰るというわけだ。長門市に到着した時点で乗客はすべて降りてしまったから、いったんガラガラの車内になり、やがて改札を済ませた人々が乗り込んできた。益田行きは一つのボックスに1人の客。小串行きはもうすこし多く乗っているようだ。

解結完了!
07時52分、1両となった列車は長門市駅を発車した。駅の周囲にコンテナが置いてあり、列車の絵が描いてある。「○○のはなし」「トワイライトエクスプレス瑞風」。子どもが描いた絵のようだ。何かイベントがあったかもしれない。コンテナ自体は倉庫になっているのだろう。そして建物が続く。巴里娘と描いてパリジェンヌ。色気のありそうな名前……と思ったけど、警察署の隣だから違うかな。地図には美容室とあった。失礼した。
長門市から益田までは一度乗った区間だから、そんなに熱心に観察しなくても良い。少し気を抜こう。いやまて、あのときは列車が遅れて、途中から暗くなってしまった。やっぱり居眠りはできない。
-…つづく
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