■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)
第4回:天国への階段(後編)
第5回:韓国人のハワイ
第6回:まだ終わってはいない
第7回:フィリピングルメ
第8回:台風銀座(前編)
第9回:台風銀座(後編)
第10回:他人が行かないところに行こう(前編)
第11回:他人が行かないところに行こう(後編)
第12回:セブ島はどこの国?
第13回:フィリピンの陸の上
第14回:フィリピンの海の中
第15回:パラワンの自由と不自由
第16回:男と女
第17回:道さんのこと
第18回:バタック族に会いに行く
第19回:フィリピンいやげ
第20回:世界一大きな魚に会いに行く
第21回:気長な強盗

■更新予定日:第1木曜日

第22回:バシランからの手紙

更新日2007/07/19


ミンダナオ島サンボアンガで行ってはいけないと言われたタルクサンガイ。そのタルクサンガイで絶対に行ってはいけないと言われたのがバシラン島。しかし、あんなにさんざん危ない、危ないと止められたのに、タルクサンガイではみんなしてよってたかって親切にしてくれた。ということは、バシラン島も全然危なくなんかないんじゃないの?

2006年8月、3度目のミンダナオ島。2004年8月にも3度目と同じく、ダバオとサンボアンガに来ていた。その間、2006年5月にはミンダナオ島最大の湖、ラナオ湖のあるマラウィに行っている。

マラウィに行くのもまた大変だった。まずマニラからミンダナオ島北部のカガヤン・デ・オロまで飛んだ。カガヤンの観光案内所で、イリガンは安全と言われ、安心してバスで1時間半かけてイリガンへ。イリガンの観光案内所では予想通り、マラウィは危ないのでガイドと車を用意すると言われたが、そこはフィリピン、車もガイドもなかなか来ない。一人で行くならチャドルをかぶっていれば目立たないが、ガイドに付いて来られてはかえって目立ってしまう。明日出直してきますとかなんとか、うまくごまかして逃げた。結局、イリガンの街でムスリムの人に訊いて、やっと行き方が分かった。

マラウィは、タルクサンガイのようなバランガイ(集落)どころではない。大学まである大きな街だ。ミンダナオ島はだいたいセブアノ語なのだが、マラウィはマラナオ語である。いずれにしても、セブアノもマラナオも分からないのでどっちでも一緒だ。めったに観光客なんて来ないだろうに、観光案内所の人は英語を話すので助かった。それどころか、マラウィにはミスタードーナツまであった。またも情報不足と先入観は怖いなと思った。

さて、サンボアンガのはずれに「ヤカン族織物村」という小さな集落がある。元々バシラン島に住んでいたヤカン族がそこで織物を売っている。2004年に来たときは、誰も英語が話せなくて困ったのに、長老のばあちゃんまでが英語を話せるようになっていた。しかも、前は織りっぱなしの布しか売ってなかったのに、バッグや財布など工夫を重ねた商品が並んでいた。


ヤカン族織物村~2006年~

英語は学校で習ったそうだが、ミンダナオ島にはアメリカ軍がよく演習にやってくるから、彼らがおみやげものを買いに来るのかもしれない。実践が収入に直結するのだから、すごい勢いで上達する。高い月謝払って英語をしゃべるのとはわけが違う。前は商売っ気がなかったのに、今はみんなしてあれはどうだ、これはどうだと、どんどん商品を持ってくるので落ち着いて選べない。たった2年でこの変わりようはどうだろう。


ヤカン族織物村~2004年~

サンボアンガの港からバシラン島イサベラまでの船が頻繁に出ている。高速艇なら40分しかかからない。観光案内所でバシラン島はどんなところなのか訊いてみたら、日帰りで行って帰ってこれるから行ってみたらどうですかと意外な答えが返ってきた。またタルクサンガイのように止められるものと思っていたので拍子抜けした。

イサベラはバシラン州の州都である。バシラン州はムスリムミンダナオ自治区なのだが、イサベラだけはサンボアンガ半島地方に入っている。不自然に思えるのだが、2001年の住民投票で決まったことなのだそうだ。イサベラという地名は、スペインの女王の名前から来ている。バシラン島はイスラム過激派アブサヤフの本拠地で、イサベラは島の玄関口だ。

アブサヤフは、2000年には私立高校を襲い、その翌年にはラミタンの病院と教会にパラワン島のリゾートから誘拐してきた人質20人を監禁するなど、バシラン島を舞台に大暴れしているのだ。しかし、誘拐殺害されているのはだいたい欧米人観光客か、神父である。ルソン島から来た、中国系フィリピン人にしか見えない日本人はまず大丈夫だろう。

行くなと止められず、日帰りということもあり、なんの緊張感もない。着いたらいきなりジョリビーがあった。ジョリビーというのはフィリピン中どこにでもあるファーストフード店。国内だけにとどまらず、ブルネイ、ホンコン、ベトナム、アメリカと、フィリピン人の出稼ぎ先にまでばっちりある。イスラム圏ではさすがにハラル処理しているのだろう。

バシラン島のガイドはロンプラ(ロンリー・プラネット)にさえ載っていない。右も左も分からないので、観光案内所に駆け込む。フィリピンではありがたいことに市役所や州庁舎に必ず観光案内所があるのだ。おかげでマバラカット村でヤカン族が婚礼に使うよい布を買うことができた。トライシクルに揺られながら見た途中の景色は、高床式住宅とヤシの林。実にのどかだ。

さて、後日談。バシラン島を訪ねた1週間後、私がフィリピンから帰国するよりも先にファックスが届いていた。送り主はヤカン族クラフトセンター。「バシラン島にはサカイ大佐の財宝の地図を持っている老人がおり、まだその宝はその場所に守られています」と書かれていた。

かなり眉唾だなあ。こんな話はフィリピン全土にごろごろしている。真に受けて財宝を掘ってたらアブサヤフに捕まりそうだ。この話が本当だとしたら、下手に誘拐になんか手を出さずに、アブサヤフがとっくに掘り返していることだろう。

 

 

第23回:ドーナツ天国