■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)
第4回:天国への階段(後編)
第5回:韓国人のハワイ
第6回:まだ終わってはいない
第7回:フィリピングルメ

 

■更新予定日:第1木曜日

第8回:台風銀座(前編)

更新日2005/10/06


日本は台風シーズン。やってくる台風のほとんどがフィリピンの東で発生する。この時季、ルソン島にいると雨季の締めくくりとばかりに雨が降る。しかも、フィリピン上空で熱帯低気圧が台風に育つため、成長途中の台風の卵がとぐろを巻いて長く居座る。

フィリピンで大幅にディスカウントされた国内線のチケットを見つけたら、そこには行ってはいけない。なぜならそれはシーズンオフ割引だから。早い話が雨季の真っ最中ということ。なんせ島が多いものだから雨季も島ごとに異なる。たとえばルソン島の雨季は5~10月だが、台風の通らないミンダナオ島には明らかな雨季はない。

なにごとも学習するまでにはある程度の時間がかかる。だから、うっかり行ってしまったのだ。格安チケットを握りしめ、なんの役にも立たない日本語のガイドブックを携え、雨がざあざあ降る島へ。行き先はパラワン州最北端、カラミアン諸島ブスアンガ島。

以前、日本のテレビで見た、どこかの南の島の浜辺に毎日のようにやってくるジュゴン。ジュゴンは島の子供たちと遊び、また海に帰っていく。それがどこなのかはわからないが、これだけ島があるのならフィリピンであってもよさそうな気がした。フィリピン全域がジュゴンの生息域とされているが、最も遭遇する可能性が高いのはパラワン州北部だろう。

細長いパラワン島は北から南まで650キロもあり、フィリピン最大の州である。州都プエルト・プリンセサ以外には電気がないため、自家発電機をまわしている。ダイバーには北部のリゾート、エルニドがよく知られているが、カラミアン諸島はそのさらに北にある。

パラワン島の南はもうマレーシアのボルネオ島だ。フィリピンは基本的にはカトリックの国だが、パラワンとミンダナオにはムスリムも多い。ブスアンガでもお祈りの時間を知らせるアザーンが鳴り響く。水上住宅の屋根にのっけたスピーカーから一日5回流れてくるアザーンを聞くとムスリムでなくてもなんとなく感慨深い。

マニラから1時間ちょっとのひとっとびなのに、カトリックのルソン島からやってくると遙々来たという感じがある。さらに遙々感を醸すために船で丸一日かけてもいいのだけれど、フィリピンの船は重量オーバーでよく沈むので乗船するにはかなりの覚悟がいる。

さて、雨が降ろうが槍が降ろうが目的は果たすのだ。これでもかというほどの大雨の中、ジュゴンを求めて聞き込み開始。島で一番大きな町コロンに着いて、ものの半時間であっさり結果が出た。漁師もダイバーも誰一人としてここでジュゴンを見たことがなかった。そして、みな口を揃えて言った。「パラワン島の北にならきっといるよ」。

着いていきなりこの島に来た目的を失った。未練がましく市場をうろついてみる。なぜならジュゴンが激減した理由は、人々の食材となったから。動きが遅いため、格好の獲物なのだ。もしかしたら市場に並んでいるかもと思ったのだが、幸いにしてジュゴンの肉塊は見つからなかった。


コロンの市場

それにしても雨が降る。おまけに海は大荒れ。それでも船をチャーターして海に出てみた。ルソンを出るときにすでに風邪をひいていてかなり熱があった。しかし、いつもそうなのだがきれいな海に出るとなぜか治ってしまうのだ。温かい南の海で身体がほどよく冷やされ、鼻腔が洗われるからだろう。

バンカーボートの舳先に座っていると何度も大波を食らい、潜る前からもうずぶぬれ。かなり遠くまでアイランドホッピングしてみたが、見られた魚はウツボとクマノミくらい。シュノーケリング向けとはとてもいえない海ではあったが、ただ海に出られることがうれしくて勝手に笑いがこみあげてきた。

海にせりだしたホテルのテラスで雨に煙るコロン湾を眺めていたとき、なんとはなしに壁に貼られていた絵に目を移して驚いた。それには古い船が描かれていた。あきつしま、こぎょう、たいえい、いらこ、なんしん、おりんぴあ、まんや。ローマ字で連ねた船名の脇には、1944年9月の日付が添えられている。どうやらブスアンガ島周辺に沈んでいる軍船らしい。後日調べてみたところ、秋津州とは水上機母艦であった。知らなかったのだが、このあたりはレックダイビングのポイントとしてダイバーには有名であるらしい。


コロン湾

太平洋戦争の痕跡はフィリピンのいたるところ、陸の上だけでなく海の中にも残されている。まだ遺骨も残っているのかもしれない。引き上げられることもなく海の底で止まったままの時間を思うと、晴れない空に晴れない気持ちがますます憂鬱になってしまった。平和な南の海でジュゴンと戯れるはずが、重たいボディブローをお見舞いされた。

 

 

第9回:台風銀座(後編)