■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)
第4回:天国への階段(後編)
第5回:韓国人のハワイ
第6回:まだ終わってはいない
第7回:フィリピングルメ
第8回:台風銀座(前編)
第9回:台風銀座(後編)
第10回:他人が行かないところに行こう(前編)
第11回:他人が行かないところに行こう(後編)
第12回:セブ島はどこの国?
第13回:フィリピンの陸の上
第14回:フィリピンの海の中
第15回:パラワンの自由と不自由
第16回:男と女
第17回:道さんのこと
第18回:バタック族に会いに行く

■更新予定日:第1木曜日

第19回:フィリピンいやげ

更新日2007/04/05

かくして2004年、フィリピンへの旅は終わった。ルソン島から週末ごとにボラカイ、ブスアンガ、ミンダナオ島に出かけていき、最後の1ヶ月は、セブ、ボホール、パングラオ、パラワン島を回った。フィリピンを離れるときは、とんでもないお土産をもらったことにまだ気がついていなかった。

実は、パラワン島の世界遺産プエルト・プリンセサ地下河川国立公園から帰る途中、海岸でウミヘビに驚いて、そのはずみで足の指を切った。シンガポール人とフィリピン人の夫婦と一緒にバンカーボートを借りたのだが、彼らが帰りはモンキートレイルを歩くと言うので、ジャングルの中を歩いてきたのだ。

夫婦はまだ小さな子供を連れていたので、てっきり帰りもボートだと思い込んでいた。おかげでトレッキングシューズではなく、ビーチサンダルを履いていた。その明後日、さらにサン・ラファエルからバタック村まで2時間以上をまたサンダル。あまりに渡渉の連続なので、最初の川で靴を脱いでしまった。おかげでいつまでも血が出たままの傷口はずっと泥まみれだった。

バタック村から帰ってくる時間が遅かったため、エルニド行きのバスを逃してしまった。リゾートを急ぎ足で駆け抜けても仕方がない。エルニドに行くのはやめにして、サン・ラファエルでゆっくりした。切ったところが脈打つたびにズキズキした。どうも熱っぽい。グアテマラで犬に噛まれたときは、担ぎこまれた病院で破傷風の注射を打たれた。

医者に「毎日、石鹸でごしごし洗いなさい」と言われ、日本なら間違いなく縫うであろう、ぱっくり開いた傷を言われたとおりに洗った。おかげで傷跡は残ったが膿まずに済んだ。その経験上、フィリピンでも水道の流水で力いっぱい傷口を洗った。そして、ホテルのスタッフにもらった絆創膏でふさいで、よく食べよく眠った。翌朝は痛みも熱も引いた。

しかし、それだけでは終わらなかったのである。日本に帰国後、なかなか傷口がふさがらない。それどころか化膿している。年取って治りが遅くなったせいかなと思っていたら、手足の虫刺されやひっかいた背中の吹出物までが膿み始めた。それでもそのうち治るかと放っておいたら、とうとう足のつけ根まで痛み出し、40度近い高熱が出るようになってしまった。

どう考えてもこれはおかしい。病院に駆け込んだが、医者も首をひねるばかり。「ジャングルにはまだ知られていない病原体もいっぱいあるでしょうし」と頼りないことを言う。得体の知れない病原体には対処療法しかなく、抗生物質を飲んで安静にしていた。熱は早く引いたが傷は治るまでに2ヶ月かかった。なんともありがた迷惑なパラワン土産であった。


バタック村最後のふんどしじいさん


ふんどしじいさんの家族

それから2年が経った2006年末、中米グアテマラにいた。世界一美しいと名高い湖、アティトラン湖のほとりにあるパナハッチェルという町にいた。温暖で治安のよいパナハッチェルに日本から移り住んだご夫婦が経営する宿の気持ちのよい中庭で、他の日本人バックパッカーと話をしていた。ふとパラワンでもらった嫌な土産の話をしてみた。

「熱が出て傷がずっと治らないんでしょ? それ、僕もなりましたよ」。
意外な答えが返ってきて驚いた。彼は世界一周中の屈強な元アスリート。彼はセブ帰りで同じ症状になったらしい。まだその頃、彼は今みたいに旅慣れておらず、普通にマクタン島のいいホテルに泊まって、いいもの食べて、ダイビングをやっただけなのにと言う。それなのにやはり蚊に刺されたところが化膿したそうだ。

私はパラワン、彼はマクタン。彼も小さな傷をやはり浜辺でこさえたのではないか。そうだとすれば海での怪我という共通点が生まれるのだが。これは風土病なのだろうか。それともただの偶然なのだろうか。パラワンだけでなく、フィリピン中どこでももらい得る、“いやげもの”なのかもしれない。

昨年、日本国内で36年ぶりに狂犬病の発症者が出たが、亡くなった二人はともにフィリピンで犬に噛まれていた。狂犬病にかかると犬のように息が荒くなりヨダレを垂らす患者の症状から名づけられただけで、必ずしも犬が媒介するわけではない。南米アマゾンでは吸血こうもりがよく感染源となる。

狂犬病の場合は、感染してから発症するまでに予防注射を打てば間に合う。しかし、足をちょっと切ったぐらいで、蚊に刺されたくらいで、いちいち医者に行く人はいない。まあ、よぽどこじらせない限りは、この“いやげもの”で死ぬことはないだろうが。

少し長く居てせっかくフィリピンと仲良くなったつもりでいたのに、ちょっと裏切られた感じがした。それでいて、耐性ができたような気もする。これでもうフィリピンのどこに行こうが大丈夫かもしれない。

2004年、フィリピンに116日間滞在。この経験がきっかけで、その後フィピンに関する仕事が多く舞い込むこととなる。“いやげもの”はフィリピンに与えられた洗礼だったのかもしれない。

 

 

第20回:世界一大きな魚に会いに行く