■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン

 

■更新予定日:隔週木曜日

第2回:美しい日本がこんにちは

更新日2004/11/18


フィリピンでの滞在先は、経済特区スービック。かつて海外最大のアメリカ海軍基地があったところだ。だから、アメリカ軍人の住んでいた家を改装した高級住宅に住んでいた。家賃16万円でメイドと運転手付。NHKもWOWOWも映る、なに不自由のない生活。この居住区には許可のない者は立ち入れない。どんな国にもこんな別世界が必ずある。

スペインでも似たようなところに住んでいた。マドリッドで一番裕福な人々が住むシウダル・カンポの滞在先は、家というより屋敷だった。あまりに広大なのでどこまでが敷地なのか知らなかった。しかし訳あって、隣近所がひとり残らず中南米からの出稼ぎとアフリカからの不法滞在という下町というよりほとんど貧民窟、アントン・マルティンに引っ越した。そのおかげで私はスペインの天国と地獄を見た女と呼ばれている。

中南米放浪中もいろんなところに泊まった。普段は自腹なのでもちろんドミトリーだが、仕事なら他人の金なので5つ星。ご厚意で地元の民家にお世話になり、その家の子供たちと一緒に寝たこともある。南米から帰国して1ヵ月いた東京では、泊まってはいけないところに寝袋を持ちこんで無理やり泊まりこんでいた。潜伏していたアジトは、1.6畳のマンスリーオフィス。月9,800円也。

住めば都とはよく言ったものだ。雨露がしのげて、虫にかまれてかゆくて眠れないということさえなければ、別にどこだって大差はない。それどころかあまりに治安の悪いところに順応しすぎたせいか、治安がよすぎるとかえって生きた心地がしないのだ。これは傭兵と同じ心境なのかもしれない。このマゾヒスティックなまでに卓越した順応力のおかげか、どこに行っても現地人に間違えられ、現地語で話しかけられる。つまり、フィリピンに着いたら、いきなりタガログ語で話しかけられた。

独特の訛りがあるものの、フィリピンは英語がそこそこ通じる。とはいえ、やはりその島の言葉が使えなければボラれてもしかたがない。ボラれたらさすがに気分はよくない。初めてバスに乗ったときのこと。物売りが続々とバスに乗りこんできた。「マニ」、「マイス」、「チチャロン」。思わず吹き出してしまった。全部スペイン語なのだ。マニは南米原産のピーナッツ。マイスはやはり南米原産のとうもろこし。チチャロンは豚の皮をかりっと揚げたおせんべい。まだまだ売り子はやってくる。「ハンバーガー」、「アイスクリーム」。これにいたっては説明するまでもなく英語だ。


マゼラン記念碑(マクタン島)

かつてフィリピンはマゼランによって”発見”された。現在セブ国際空港のあるマクタン島でマゼランは酋長ラプラプに討たれた。人が住んでいるところにいきなりやってきて、”発見”したと征服する。南蛮人はそうやって中南米もフィリピンも植民地にしてきた。マゼランが来たおかげで、パタゴニアではチャルーア族、オーナ族、ヤマナ族などの先住民が皆殺しにされ、最後の皇帝アタワルパが処刑されインカ帝国は滅亡した。中南米もフィリピンも先住民はみなモンゴロイドである。ラプラプはフィリピンの英雄であるだけでなく、スペインに支配されたモンゴロイドすべての英雄なのである。


英雄ラプラプ像(マクタン島)

まだ島ごとの集まりにすぎなかったフィリピンは、当時のスペイン皇太子フェリペ二世にちなんで、フェリペの島々と命名され国として統治された。その後、フィリピンはアメリカに占領される。フィリピン公用語であるタガログ語は、その4割がいまだにスペイン語であり、いくぶん英語も混じっている。特に数字はスペイン語か英語でほとんどことが足りる。買い物するにも一苦労ということはなくて助かった。

ところで、タガログ語で日本はハポンという。これはスペイン語の名残だ。しかし、ハポンにはもうひとつ午後という意味がある。おそらくこちらが元々のタガログ語の意味するところで、そこに日本という意味が同音異義として入ってきたのだろう。タガログ語で「こんにちは」は、マガンダンハポンという。直訳すれば「美しい午後」だが、「美しい日本」という意味にもとれる。中国語で美国とはアメリカのことだが、タガログ語では「美しい日本」が「こんにちは」なのである。それだけでフィリピンがよさそうな気がしてきた。フィリピンはいい国で、フィリピン人はいい人なのかもしれない。

しかも、ここでの私の生活は金曜と土曜に1.5時間ずつ働くだけの週休5日なのだ。こうなったらもうフィリピンを極めるしかない。これを見るために生まれてきたと思える景色や別れ際に何度も振り返りたくなるような人にここでもまた出逢えるだろうか。出逢いこそが旅であり、人生は旅そのものである。そして、人はみな旅人なのだ。

 

 

第3回:天国への階段(前編)