■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




第1回:なぜかフィリピン
第2回:美しい日本がこんにちは
第3回:天国への階段(前編)
第4回:天国への階段(後編)
第5回:韓国人のハワイ
第6回:まだ終わってはいない
第7回:フィリピングルメ
第8回:台風銀座(前編)
第9回:台風銀座(後編)
第10回:他人が行かないところに行こう(前編)
第11回:他人が行かないところに行こう(後編)
第12回:セブ島はどこの国?
第13回:フィリピンの陸の上
第14回:フィリピンの海の中

■更新予定日:第1木曜日

第15回:パラワンの自由と不自由

更新日2006/11/02


セブ、ボラカイ、ボホールなどのリゾートアイランドがあるビサヤ諸島の名物は、フィリピンのラーメン、“バッチョイ”。それに対して、南シナ海とスールー海に挟まれたパラワン島の州都プエルト・プリンセサ名物はベトナムのうどん、“フォー”。フィリピン料理ではない。ベトナム料理のフォーである。


ベトナム料理「フォー」

プエルト・プリンセサの街中には何軒かベトナム料理屋がある。
米で作った名古屋のきしめんのような麺が、さっぱりした味のスープに入ったフォーは、一杯25ペソ(約50円)。どくだみとカラマンシーが添えられて出てくる。ベトナムにもあるかどうかは分からないが、カラマンシーは沖縄のシークァーサーにそっくりな小さな柑橘類だ。どくだみの葉をちぎって、カラマンシーを絞っていただく。

パラワン島にたどりつくまで1ヵ月。もういいかげんフィリピン料理にうんざりしている身に、安くておいしいフォーはなによりありがたかった。一日三食すすってもあきない。おまけに、サイドオーダーのフランスパンにはさんだサンドイッチもおいしい。旧フランス領ベトナムではフランスパンが普通に食べられているのだろう。こんなに本格的なフランスパンは、ここプエルト・プリンセサか、マニラのおハイソなパン屋以外にはない。

プエルト・プリンセサの郊外、ホンダ湾の港からきれいな海を右手に行くと、ベトナム難民キャンプがある。キリスト教の教会も仏教の寺院もあれば、学校も公園もある。難民キャンプというよりはベトナム村である。フィリピン人と結婚して街中に出ていった人もいれば、アメリカに移住してしまった人もいる。村は閑散としていて、あまり人に会わなかった。すでに難民キャンプとしての役割を終えてしまったのかもしれない。

海を渡ってやってきたベトナム人たちにとって、自由への第一歩となった難民キャンプ。プエルト・プリンセサ郊外には、内陸にこの難民キャンプとは対照的な場所がある。

ぐるりをジャングルに囲まれた「イワヒグ刑務所」。1924年につくられてから、ずっと塀がない。塀がないのでどこからどこまでが刑務所なのかよく分からない。しかし、ここからは逃げられない。街までジプニーでたったの1時間だが、道路にはもちろん常に見張りがいるし、ジャングルをかきわけるのは森の民アエタ族でもないかぎりは至難の業である。


イワヒグ刑務所

訪れる観光客用にみやげもの屋がある。竹を編んだバッグや木彫りのキーホルダーを売っている。すべて、受刑者の手作りだ。おみやげを品定めしていると、その横を紺や黄土色、オリーブ色のTシャツを着た男性の集団が手に手に鍬や鋤を持って通りすぎていった。

「農作業に向かう受刑者たちだよ」とみやげもの屋の売り子が説明してくれた。その彼もまた受刑者である。Tシャツの集団も、売り子も、まったく普通の人にしか見えない。

刑務所のはずれにある集落には受刑者とその家族が住んでいるのか、それとも受刑者とはなんの関係もない村人が住んでいるのか、結局よく分からなかった。

ジプニーは、刑務所で働く職員や村人とともに、街から材料を運び、できあがった商品を街へと運ぶ。帰りのジプニーは乗客を乗せたまま、刑務所の奥へと入って行った。すると、作業所の中から上半身裸の大柄な男が現われ、ニッパヤシの葉でつくった屋根を葺くパーツを積み始めた。男は人相が悪く、腹に刺されたような大きな傷があった。

観光客が目にするようなところには、罪の軽い者や模範囚が、奥の作業所にはそうでない者が配置されているのだろう。売り子の彼にさえ、どんな罪を犯したのかを訊くのははばかられる。まして、いかにも訳ありな刺し傷がある男にそんなことはとても訊けない。訊けないことばかりで憶測だらけのまま、プエルト・プリンセサに戻ってきた。

もちろん刑務所内での撮影は禁じられているが(掲載写真は人物を入れないという条件で許可された)、不思議なことにベトナム難民キャンプでも撮影をとがめられた。訳ありの日本人がフィリピンに高飛びするように、居所が知れたら困る人がキャンプにいるということなのだろうか。謎である。

フィリピンのような発展途上国では、貧しさゆえに罪を犯してしまう人もいる。もしかしたら、衣食住の保障された刑務所にいるほうが生活は楽かもしれない。しかも、刑務所とはいえイワヒグには囲いがないのだ。日々の糧を得るためにノルマをこなすという意味では、この世はどこにいても塀のない刑務所にいるのと同じなのかもしれない。

難民としてベトナムから来た人々は、一見フィリピン人と見分けがつかない。イワヒグ刑務所の更生率は高いそうだ。スペインに、そしてアメリカに占領された過去を持つフィリピンはハロハロ(いろいろ)があたりまえ。ましてパラワン島はマレーシアに近く、昔から交流があったはずだ。ベトナム人も、更生者も、人々の中に溶け込んでいけるだろう。

フィリピン最西端の島、パラワンはおおらかだ。


 

第15回:男と女