■このほしのとりこ~あくまでも我流にフィリピンゆかば

片岡 恭子
(かたおか・きょうこ)


1968年、京都府生まれ。同志社大学文学研究科修士課程修了。同大学図書館司書として勤めた後、スペイン留学。人生が大きく狂ってさらに中南米へ。スペイン語通訳、番組コーディネーター、現地アテンド、講演会などもこなす、中南米を得意とする秘境者。下川裕治氏が編集長を務める『格安航空券&ホテルガイド』で「パッカー列伝」連載中。HP「どこやねん?グアテマラ!」




 

■更新予定日:隔週木曜日

第1回:なぜかフィリピン

更新日2004/11/04


久しぶりの日本だった。暴動で黒煙のあがるベネズエラの首都カラカスを後にし、2004年3月3日、2年4ヵ月ぶりに南米から帰国した。しばらくはゆっくりするはずだったのに、すぐ新たな旅の話が舞いこんだ。行き先はフィリピン。期間は3ヵ月。渡航費用と滞在費はクライアント持ちだがギャラは出ない。そんなにおいしい話でもないとは思いつつ、気がつけば二つ返事で引き受けていた。

フィリピンにはまだ行ったことがなかった。1998年から翌年にかけてスペインに留学、2000年は中米、2001年から南米にいて、ここしばらくまともに日本にいなかった。数えてみれば、これまで30ヵ国をまわっている。スペイン語圏には通算4年いることになる。

2000年は北米から南下、2001年は南米から北上というルートをとったため、その間にある中米のニカラグア、コスタリカ、パナマにはいまだにたどりつけないままだが、南米はギアナ3国を含むすべての国に入った。旅の途中、パラグアイ、ベネズエラでしばらく働いたこともある。もちろん不法労働だ。

そして、31ヵ国目はなぜかフィリピン。久しぶりの非スペイン語圏。久しぶりのアジア。なによりも日本からわずか4時間で着く安近短の国なのに、セブくらいしか日本人に知られていないという未知な感じがよかった。ガイドブックと首っ引きで、他人の足跡を たどるつもりなどさらさらない。まして、日本人観光客の団体と出くわすなんてごめんだ。

資本主義でキリキリ回っている街よりも、まだ原始共産制の面影を濃く残している村が好きだ。自然を排除し支配したつもりでいる人々よりも、畏怖し共存しようとする人々にどうしようもなく魅かれる。だから、毎度どこに行っても、山に登り、ジャングルに分け入るはめになる。しかも、7,109もの島々から成るフィリピンは、四方をフィリピン海、南シナ海、スル海、セレベス海にがっちりかためられている。これはもう潜らないわけにはいかない。


ギアナ高地エンジェルフォールズ(ベネズエラ)

今、こんな旅をしているのは、間違いなく川口浩探検隊のせいだ。小さいとき、かぶりついて見ていた「水曜スペシャル」。世界の秘境、辺境を舞台に、未踏と未開のオンパレードの果てについに姿を現わす未確認生物は、いつだってなぜかピンボケなのだが、そんなことは実に些細な取るに足らないことだった。

帰国してまず、不在の間に放送された「南米ギアナ高地~切り裂かれた大地の闇に謎の地底人クルピラは実在した!!」を友人が録画しておいてくれたビデオで見た。隊長が藤岡弘に代わった水曜スペシャルに腹を抱えて笑った。

この番組がバラエティだったということに、他の番組の撮影隊をそのギアナ高地に連れていったばかりの私は、その時初めて気がついた。どうやら私は川口浩探検隊をいつの間にやら超えてしまっていたらしかった。ひとしきり笑った後、あんなにわくわくしてテレビを見ることなんて、もうないんだろうなと思ってちょっと寂しくなった。


カロニー湿原の夕焼け(トリニダード&トバゴ)

ブラジル北部からベネズエラまで“スカーレットアイビー”という鳥を求めてさまよった。時季を逃し南米大陸ではついに見られず、カリブ海を渡ってトリニダード・トバゴまで行き着いた。カロニー湿原のマングローブの森に赤い鳥は三々五々帰ってくる。夕日に照らされ、その赤はひときわ輝く。野生の色として、こんなにも鮮やかな赤が存在するということにひたすら驚く。緑の濃いマングローブに止まった鳥は、深紅に燃え立つ花のようだ。

遭難した登山者の遺品みたいな日記帳には、昂ぶる気持ちのままに字が躍っている。
「どこに行っても自然はいろんな手を使っていちいち私を驚かせる。しかも自然はその術を無限に知っていて、だから人間の分際で可能なかぎりそれを見たいと一度思えば、旅は終わることがなくなるのだ」と。

2002年4月、アルゼンチンパタゴニアの雪山で遭難した。救助がもし3時間遅ければ、死んでいた。今も凍傷の後遺症として、右手の人差し指が痺れている。南米に発つ前には、日本で半年間、魂を失った肉の塊と化していた。正気と狂気との、そして生と死との、二つの境界線から戻ってきて、やっと自分の中に元々あった野性の力に気がついた。

いつも旅の空に在りたいと願う。目に見えるものだけではなく、時には目に見えないものさえも求めて。痺れた指先で自然への畏怖を感じながらも、私はこの地球(ほし)の虜なのだ。滞在わずか3ヵ月足らず。5月25日、日本を発った。今度の国フィリピンは、いったいなにを見せてくれるのだろう。川口浩探検隊が始まるのをテレビの前で待っている子供のときのようにわくわくした。

 

 

第2回:美しい日本がこんにちは