13時23分着の飯坂電車で福島駅に戻った。次に乗る阿武隈急行の電車は同じホームの反対側から出発する。しかしまだ列車の姿はない。次は13時47分発の富野行きである。発車まで約25分。私はいったん改札を出て昼飯屋を探した。隣接するビルに定食屋があったけれど気乗りがせず、隣のビルの総菜屋で弁当と地鶏のチーズフライを買った。列車の中か、どこか途中下車した町で食べようと思う。
再び改札を通る前に切符を買う。阿武隈急行は毎月第一日曜日だけ全線対象のフリーきっぷを600円で販売している。残念ながら今日は第三日曜日だ。片道切符は途中下車できないので、終点の槻木まで買ったらそのまま乗り通すしかない。しかし次の列車は途中の富野行き止まり。槻木行きは約40分後だ。福島で槻木行きを待つよりは、富野行きに乗って途中のどこかの駅で降り、散策した後に槻木行きに乗りたい。そこで阿武隈急行の窓口でみどころを尋ねた。
「富野駅と梁川(やながわ)希望の森公園前駅、どちらが楽しそうですか」。
阿武隈急行の電車。
「どっちも微妙かなあ」と若い係員が言う。謙遜かもしれないが、沿線の見所をすぐに言えないとは残念である。通勤通学輸送があるから観光に力を入れていないのかもしれない。私は窓口の横のラックからパンフレットと列車時刻表を取り、しばらく眺めて思案の後、梁川希望の森公園駅までの切符を買った。公園にはSL列車が走っているが、現在は冬期運休中のようだ。それでも付近には梁川城址があるらしいから、駅周辺の散歩のネタにはなるだろう。
阿武隈急行の列車は独自設計と思わしき電車で、片側2扉の近郊型2両編成だ。ボックス型の座席が並んでおり、私はそのうちの4人掛けひと箱を占領した。旅らしい雰囲気だなと思いつつ向かいの席に足を伸ばす。ところがあとからお客さんがどんどん乗ってくる。これは確実に相席となりそうだ。そうなると後で弁当を食べるには気まずくなる。私は慌てて食べ始めた。スタミナ焼肉弁当も地鶏のカツも、スーパーの総菜屋にしては美味かった。10分程度で食べ終り、包みを片付けたところで電車が動き出す。車内の座席は8割ほど埋まっており、そのほとんどが高校生だ。私が飯を食う姿を晒したせいか、相席は空いたままである。
東北本線から離れる。
電車は力強い加速で走り出し、東北本線に合流した。阿武隈急行はJRとは別の会社だが、この先の分岐点まで同じ線路を使っている。これは阿武隈急行が当初は国鉄の路線になる予定で建設されたからだ。阿武隈急行の前身は東北本線の勾配を迂回するために計画された国鉄丸森線であり、槻木から丸森までが1968(昭和43)年に先行開業した。
しかし、東北本線を複線電化して強力な電気機関車を投入することになり、迂回線の必要がなくなったため建設は中断する。中途半端な行き止まり線となった丸森線は赤字路線となって国鉄のお荷物となり、いったんは廃止が決まった。そこで地元の自治体や福島交通が名乗りを上げて第三セクターとなり、着工済みだった残りの区間を福島まで完成させた。阿武隈急行の出自は、いわば東北本線の兄弟のようなものである。
電車はスピードを上げる。社名にある"急行"の文字に恥じない走りっぷりだ。やがて少し速度を落とし、左手に貨物ヤードが見えた辺りで東北本線を右に分岐する。分岐後は単線になるけれど、線路の規格は幹線並みだから電車の挙動は落ち着いている。右手に倉庫風の建物が並び、最初の停車駅は卸町。おろしまちと読む。自動放送の停車駅案内は「とんやの町おろしまちです」と言った。
線路は高架になり、まっすぐ伸びている。東北本線を短絡する新規格だからである。東北本線と分岐したあたりに貨物駅があった。この路線を企画した当時は、重量長大な貨物列車をこちらに迂回させて、あの貨物駅で東北本線に合流させるつもりだったのだろう。鉄道輸送が復権し、貨物列車が大量に増発する事態になれば、阿武隈急行線が建設当時の目的で使われる日が来るかもしれない。
福島学院校舎。
見晴らしの良い高架線を行く。次の駅は「教育文化のまち 福島学院前」だ。左の車窓にとんがり屋根の校舎が見える。ここで学生風の人々がごっそりと降りた。右側には住宅もたくさん見える。阿武隈急行の沿線は着実に発展している。資本参加した福島交通の手腕ではないかと思う。鉄道の発展のために沿線を開発し乗客を増やす。そのノウハウは民間企業のものだ。第三セクターとはいえ自治体出身者にはない発想に違いない。全線電化と言うのも英断である。電化のおかげで列車は速くなり、JRへの乗り入れも果たせた。
次の駅は「りんごの里、瀬上」だ。たしかに右側にリンゴ畑がある。しかし左側は建売住宅がひしめく新興住宅地だ。このまま開発が進めば「人の里、瀬上」になるかもしれない。瀬上を出るとようやく路線名にもなった阿武隈川に出会う。阿武隈川を渡った次の駅は向瀬上だ。瀬上の川の向かい側だから向瀬上。わかりやすい。
阿武隈急行の駅にはキャッチフレーズがついていて、聞いてるだけでも楽しい。向瀬上は「桃の里」である。ただし桃の木は見えず、眼下にはリンゴ畑が広がっている。「おや?」と思う。次の高子駅は「伊達氏発祥の地」だった。楽しい試みだが「疎水光る桃源郷、上保原」あたりから怪しくなる。大泉駅の「さわやか田園都市」になるともういけない。名付けの苦労が滲み出している。
阿武隈川を渡る。
一度出会った阿武隈川は遠ざかり、電車は福島盆地を北東へ向かっている。車窓左側は奥羽山脈、右側は阿武隈高地を望む。福島駅付近は曇りがちだったが、いまはどちらの頂きも青空の下である。電車は快調に真っ直ぐな線路を走る。眠くなりそうなほど単調なリズム。乗客の話し声も静まっている。こんなに安定した走りができるなら、いっそこっちを東北本線にしたらどうかと思う。もっとも、本家の東北本線も現在はローカル鈍行専門である。かつて闊歩していた特急列車たちは新幹線に引っ越してしまった。
駅名の話に戻る。「いちごとくだものの里、仁井田」といわれると、イチゴは果物ではないのかとツッコミを入れたくなり、「しずりべのさと、新田」では、しずりべとは何ぞやと問い詰めたくなる。ちなみに「しずりべ」は静戸と書き、かつてこの辺りは静戸郷と呼ばれていたそうだ。戸が静かに開閉するのか、あるいは空き家だらけで静かだったのか。駅前には公営住宅があるが、住宅街は外から眺めるぶんにはたいてい静かな場所ではある。次の梁川駅は「伊達氏のふるさと」だ。さっきもそんな駅があったような気がする。
リンゴ畑と奥羽山脈。
梁川駅では3分ほど停車し、上り列車の到着を待った。福島駅の出発からちょうど30分経った。列車の外に出て深呼吸する。胸の奥にひんやりと空気が流れていく。車内が日差しに温められて、火照った顔も冷やされる。福島あたりでは地面に雪が残っていたけれど、この辺りはもう消えてしまったようだ。南東北の2月。春は近いらしい。
梁川駅にて。
-…つづく
第235回以降の行程図
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