堂々たる橋上駅に生まれ変わったJR長野駅に対して、長野電鉄の長野駅はひっそりと地下にある。寒い土地柄だし、雨や風を凌げるので地下駅は好都合だが、白色蛍光灯がちらつくコンコースは寂しげだ。窓口で2,260円のフリー乗車券と100円の特急券を買った。次の湯田中行きの特急は50分後である。どうしたものかと思いあぐねていたところ、鰹だしの香りが漂ってきた。地下道の出口に立ち食い蕎麦屋で山菜蕎麦を食べる。オフィス街の休日である。他に客はいない。
長野電鉄長野駅入り口。
店番のおばちゃんと話す。今日は雪が少ないけれど、今年の長野は寒いという。そういえば、今年は東京も寒い。積もるほどの雪が何度か降った。そう言うと、おばちゃんは納得した顔をする。長野は独特の方言が少ない土地だ。それでも標準語とは違うリズムがある。私もそのリズムに合わせて話していた。たった4年しか触れなかった言葉が20年ぶりに出た。長野は第二の故郷だと、こんなきっかけで思い直す。
体が温まり動きやすくなったので、改札口に向かった。駅員が、「次の発車まで、まだ30分もありますよ」と言う。それでも私は改札を通り、さらに下の階のホームに向かった。改札前の寒そうなベンチに座るより、ホームで電車の横にいたい。特急は自由席なので、早めに並びたい。なぜなら長野電鉄の新型特急は元小田急のロマンスカーHiSEだからである。鉄道ファンなら先頭の展望席に座りたいではないか。
長野電鉄長野駅コンコース。
ロマンスカー『ゆけむり号』はすでに入線していた。小田急時代は11両編成だったけれど、長野では4両に短縮された。両端の先頭車はもちろん展望座席だ。私は早足でホームの前へと歩き、先頭車の扉に並ぶ。小田急時代はなかなか予約できなかった席に、30分前に並ぶだけで座れるとは嬉しい。
その隣のホームには各駅停車が停まっている。この電車も懐かしい。かつて営団地下鉄日比谷線を走っていた3000系。正面の表情から付けられたあだ名は「まっこうくじら」である。かつては東急東横線にも乗り入れており、私も何度か乗ったことがある。姿を見かけない思ったら、こんなところで余生を送っていた。
ゆけむり号のドアはまだ閉じたままだが、そこにはもう先客がいた。中年の男性と若い女性のカップルだ。それぞれが自分の荷物の鞄を持ち、楽しそうに喋っている。不倫に違いない、と私は推理する。土曜日の昼、湯田中温泉行きのロマンスカーである。昼の帯ドラマなら終着駅で本妻が待ち構えているかもしれないし、2時間ドラマならあと15分ほどでどちらかが死体または容疑者となるはずだ。
小田急から無償譲渡されたロマンスカーHiSE10000系。
長野電鉄では1000系に改番された。
カップルの会話を聞きながら不謹慎な想像をめぐらせていると、小学生の男の子が私の後ろに並んだ。ロマンスカーの最前列は4名。これで定員である。発車が近づき扉が開くと、不倫カップルは最前列の進行方向左側に、私は進行方向右の通路側に、男の子は窓際に座った。私はなるべく中央から景色を見たかった。男の子がそわそわしているので、同じ考えかなと思い、「こっちがいいかい」と言うと顔を横に振った。そわそわしている理由は、付き添いのお祖母さんが遅れているからだ。「おばあちゃん、足が悪いんだ」と男の子が言った。お祖母さんが真後ろに座ると安心したようで、おとなしくなった。
発車時刻が近づいて、背後が賑やかになってきた。HiSEの展望席は階段状になっているから、最前列ではなくても展望は良い。座席の半分がこどもである。「スザカまでいくぞ。そこにおじいちゃんのクルマがあるから」という声が聞こえた。わざわざロマンスカーに乗るために長野駅に来たらしい。小田急の看板列車だったロマンスカーが来て以来、長野電鉄は遊園地の乗り物の代役を果たしているようだ。地元の鉄道の愛され方として良い話ではないか。「ロマンスカーに乗っておじいちゃんちに行きたい」などと孫が言ってくれたら、年寄りにとってロマンスカー様様である。長野電鉄は粋なことをしてくれた。
こちらは元営団日比谷線3000系。
あだ名はまっこうくじら。
私の隣の男の子もロマンスカーで祖父母の家を訪問するらしい。「終点でおじいちゃんが待ってるんだ」と言う。「この電車はね、東京の小田急で走っていたんだ」。私は知らぬふりをして、「そうなんだ」と感心して見せた。今度はクイズを出題される。「では問題です。運転士さんは何処にいるでしょう」「うーん、たぶん場所的に俺たちが運転するんじゃないか?」「ちがうよっ。あのね、2階にあるの、ほら、あそこから階段が出てくるんだ」と天井を指差す。「ふうん、詳しいね」「だってボク、マニアですから!」……。
これは楽しいことになってきた。ゆけむり号の乗車は2回目だという男の子を、今回の旅のガイド役に認定しよう。こうなったら私も精神年齢をぐっと下げて楽しみたい。「もうすぐ発車だぜ」「あと何分?」「5分」とカウントダウンを始める。そして出発。「動いた!」「動いたな!」
「しばらくトンネルを走るよ」と男の子が言う。私は24年前に長野から善光寺下までは乗車済みで、トンネルの中と言うことも知っていた。しかし黙って話を聞くことにする。もっとも私の記憶が薄れていて、1984年にいったいどんな用で善光寺参りをしたのか覚えていない。大学在学中ならアルバイトだろうけれど、1984年はまだ高校生である。善光寺下駅が薄暗くて寂しかったと、かすかに覚えている。
ロマンスカーの最前席を確保!
ゆけむり号は長野を出ると市役所前を通過し、権堂に停車した。隣の線路に上り電車が滑り込んだ。3000系とは違う型だ。その姿にも見覚えがある。いや、見覚えどころではなかった。あれは東急8500系である。私の地元を走り、ほとんど毎日のように乗った電車である。
「おじさん、あの電車を知ってるなあ」「そうなの」「あれで学校に行ってた気がするぞ」「おじさんどこから来たの」「東京」「ふうん」。しまった。さっきロマンスカーを知らないふりをした。東京出身ならロマンスカーを知らないわけがない。
「おじさん、どこ行くの」と訊かれる。「終点まで」と応える。「じゃあ一緒だね」と声を弾ませた。大丈夫。不信感は抱かれていないようだ。善光寺下を通過。長野電鉄沿線の、もっとも重要な観光地をゆけむり号は通過した。寂しげなホームを見る。24年前の雰囲気と現在の佇まいは変わっていないような気がした。
「もうすぐトンネルの出口だよ」と男の子が言う。頼もしいガイドである。チップをあげたいが、こどもが喜びそうなものは持っていなかった。高校時代の汽車旅はいつも飴玉を持っていて、相席の人に話しかけるためのきっかけにしたものだった。次回からは装備しておこうと思う。右カーブ。黒い壁が少しずつ明るくなっていき、車窓はフラッシュした。
「でたぁ」「でたなー」。一瞬の眩しさが止むと、直線に伸びた線路が見える。初対面の私たち二人だけが盛り上がっているのではなく、不倫カップルもおしゃべりに花を咲かせており、背後のこどもたちも大騒ぎだ。みんなロマンスカーが大好き。ゆけむり号は交通機関というよりエンターテイメントである。
地上に顔を出した。
-…つづく
第230回以降の行程図
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