地図を見ると、島原半島は胃袋のような形をしている。諌早から干拓の堤防辺りまでが食道で、食べ物をどんと受け止めるような場所に島原市がある。島原鉄道は島原半島の重みを支えるようなラインを形成しており、口之津から終点の加津佐辺りは十二指腸の入り口と言えそうだ。十二指腸にあたる陸地はないけれど、口之津の港から船に乗れば天草に渡れる。諌早から島原半島に入った旅人は、半島の風土にこなれていき、ゆったりとした気分で天草に渡っていくのだろう。
その口之津駅で4人降りて、列車の客は私ともうひとりだけになった。カメラをかまえているから鉄道ファンなのだろう。車窓にはフェリー乗り場の入り口が見えた。口之津港と天草島の鬼池港を30分で結ぶと書いてある。鉄道のない天草島など興味はないはずだが、ふらりと渡ってみようか、と思ってしまう。鉄道に縛られる旅が窮屈になっているのかもしれない。しかし、鉄道という足枷がなくなれば、私の旅は目的地を失い、帰る場所さえ求めなくなるだろう。幸いなことに船の姿はなかった。私はフェリー乗り場から視線を逸らす。

白浜。
いったん海岸線を離れ、再び海に出会うと白浜海水浴場前駅だ。駅に近い海水浴場があるなら、夏場は海水浴客も島原鉄道を利用するのではないかと思う。まだ海水浴の季節ではないけれど、潮干狩りはできそうだ。しかしそういう乗客は見かけない。もっとも、潮干狩りなら島原より北の諌早湾のほうが遠浅で楽しめそうではある。この辺りは穏やかな海だから、熊手よりマリンスポーツが似合いそうだ。バブル景気の頃ならヨットハーバーを作る話でもあっただろうが、都会の騒ぎがここまで届く前にバブルは弾けてしまったのかもしれない。
終着駅の加津佐は質素な駅だった。駅舎は四角い平屋のプレハブである。ホームの屋根の柱は古いレールを曲げて再利用していた。島原駅の堂々たる駅舎とは対照的だ。列車が走らなくなったら誰も惜しむことなく解体されそうである。せめてバスターミナルとして使ってほしいけれど、この辺りのバスは待合所が必要になるほど走っていない。長崎県営バスが赤字路線から撤退し、いまは島原鉄道バスの諌早行きが1時間に1本程度しか走らない。これで充分な街なのだろう。


加津佐駅。
そんな寂しい加津佐駅だが、レールの向こう側は砂浜があり海がある。私は海岸を歩いてみた。晴れてきたので水の色は青く、波も静かで穏やかである。浜辺の砂は白く海の青と丘の緑を引き立てている。振り返れば線路脇にはソテツが並び、黄色いディーゼルカーも含めて南国の雰囲気に満ちている。こんなに景色の良いところで、人は私だけである。素裸で日光浴をしても咎められないのではないか。
砂浜を歩き進むと詩碑があった。ラジオドラマの名作「君の名は」の脚本家として知られる菊田一夫氏の詩碑だ。菊田氏は神奈川県横浜市の出身だが、幼少の頃を加津佐で過ごした。「君の名は」でも加津佐が登場するらしい。私が知っている「君の名は」はラジオドラマよりずっと後に作られたNHKの朝の連続ドラマのほうだ。主演は鈴木京香さんだった。しかしあのドラマでは加津佐も島原も出なかった。このドラマの放送は1991年。収録直前に普賢岳が噴火したため、急遽島原から伊豆へと舞台を移したのである。
詩碑には「がしんたれ 今日は泣きけり 故郷の 海の青さよ」とあった。菊田氏の自伝的小説で後にドラマ化された「がしんたれ」に因んだものだろう。詩碑の説明文には「がしんたれ 大阪の言葉で能無し野郎という意味である」と身もふたもない説明が書いてある。がしんたれは菊田氏の自伝的物語である。むしろ「器用に生きられず損ばかりしている人」ではないだろうか。いや、これも救いがない。こんなことを言われたら、故郷を懐かしんで泣くしかあるまい。

がしんたれの詩碑。
引き返す。視界の端に男が歩いていた。荷物を持たず、あてもなくうろついているようだ。私が行くほうへ歩いているから、私が彼を追う形になった。よく見れば汚い身なりで、なにかぶつぶつ言っている様である。こんな人ががしんたれの碑を見た直後に現れるとは奇偶だと思いつつ、私は漫然と歩いていた。しかし彼の手元に鎌があるとわかって速度を落とした。酒を飲んでいるのか、薬をやっているのか。風来坊なのか、それとも街の有名人なのか。彼はコンビニエンスストアに入り、直ぐに出てきて店の裏にまわりゴミ袋を検分している。鎌はまだ握られている。私が飲み物を買ってコンビニを出ると、自転車に乗った警官とすれ違った。店員が通報したのかもしれない。
引き返すといっても、駅に戻り列車に乗るのではなく、駅のそばの停留所から諌早行きのバスに乗る。諫早駅で買った島原鉄道の「遊湯券」は鉄道だけではなく、バスも乗り放題だ。諌早行きのバスは線路を引き継ぐように天草灘の海岸線を辿り、雲仙国定公園の小浜を抜ける。雲仙岳の訪問はあきらめたけれど、このバスに乗れば島原半島を一周したことになり、線路踏破と似た達成感がある。線路と道路は敷かれ方も違う。バスは丘に上がり、海沿いの町を見下ろした。鉄道贔屓としては悔しいが、道には道にしかない景色がある。ひと気のない海沿いの道で、岩場から突き出た奇岩などを見ると特にそう思う。
諫早駅には14時半ごろ着いた。改札口に人だかりがある。事故で列車が遅れているそうだ。私は特急かもめに乗るつもりだった。諌早から長崎までは30キロメートルほどの距離で、わざわざ特急を使うほどではない。けれども周遊きっぷはフリーエリア内で特急の自由席も乗り放題なので試してみようと思っていた。しかし、その特急が遅れている。シーサイドライナーという快速列車のほうが先に長崎に着くという。シーサイドライナーは大村線の列車で、諌早から長崎本線に乗り入れる。だから長崎本線の鳥栖方面からの遅れは影響しない。特急を待ちたいけれど、日暮れ前に長崎市電を踏破したい。


バスからの眺め。
不本意ながら快速列車に乗ったけれど、これが意外に楽しかった。ふとしたきっかけで相席になった20代の女性と話が弾んだからである。山形の旅で女子高生と仲良くなったときに、旅をしてその土地を知るには、そこに住む人、特に若い女性と仲良くなることだと悟り、今回も話しかけてみた。それが成功したというわけだ。「長崎といえばチャンポン、皿うどんだが、地元の人々に親しまれている名物はトルコライス」とか、「お土産ならこの季節は枇杷がいい」などの観光的な話題から始まり、長崎新幹線に反対するのは佐賀県で、佐賀の人はもともと頑固でガジンと呼ばれているとか。いろいろなことを教わった。会話は友達同士のような言葉遣いになっている。
どうみても20代前半である。黒っぽいワンピースから覗く白い肌がまぶしい。若い頃、女性に話しかけるなんてかなり勇気の要ることだった。こんなふうに見知らぬ女性と話ができるようになって嬉しいけれど、もしかしたら若い女性に意識されない年齢になったということかもしれない。そうだとしたら寂しいけれど、まあ、いいか。もうすぐ終点の長崎である。お茶に誘ってみようか、いや、あとで待ち合わせて、トルコライスの店に案内してもらうのも悪くない。しかし、旅先の出会いは、ちょっと名残惜しいくらいが潮時だとも思う。
そんな時、彼女が「今日はどこに泊まるの」言った。道順を教えてくれるのかと思い、電停の側と聞いていたビジネスホテルの名前を言うと、彼女は知っていると応えた。
「そこ、フロントを通らずにお部屋に行けちゃうんだよね」
どういう意味だろう、と暫く考え、そうなんだ、とあいまいな相槌を打つ。すると彼女は名刺を差し出して「気が向いたら電話してね」と言った。角丸の白い名詞に携帯電話の番号が印刷されていた。

シーサイドライナーで長崎へ。
-…つづく
第212回以降の行程図
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