バスに30分ほど揺られて追分に着く。鉄筋コンクリート製の立派な駐車場があり、バスの停留所もロータリー式になっている。大山は信仰の対象で、古くから農民たちはこの山に向かって雨乞いをしたそうだ。大山の山頂には阿夫利神社があって、名は雨降りに由来し、祭られる神は雷神様である。相模から見れば大山は西にあり、雨雲も晴れ間もこの山からやってくる。飢饉の年などはとくに山頂からの雨雲の登場を願う気持ちは強かったに違いない。今日は晴れているが、山間のバス停付近は暗く、強く祈れば降り出しそうな景色である。
ヤギとすれ違う。
ケーブルカーは若いうちに制覇せよ。これは私の教訓だが、大山ケーブルはまさしく体力を要した。バス停付近から続く阿夫利神社の参道は550メートル。緩やかだとはいえ、上り坂と階段が延々と続いている。平らな道の550メートルはなんともないが、上り続けるとなるときつい。霊験あらたかな山は険しいのだ。どうしてここからケーブルカーを始めてくれなかったのかと恨めしいが、この上り道の参道に飲食店や土産物屋が立ち並び、大山観光の名物になっている。疲れた参拝者を狙ったしたたかな商売だ。しかし値段を見ると良心的である。農家が自宅で採取したと思わしき柿やミカンなどはお買い得かもしれない。もっとも、上り坂では荷物を増やす気にならない。
参道の足元には地元名産のコマが描かれており、先へ行くほど数が増える。コマを数えて上れば節目になりそうだ。最初は早足で歩いてみたけれど、だんだんペースが落ちていく。なんとなく足が重くなってきた。そういえば今日は御嶽で神社周辺を歩き、青梅駅から鉄道公園のある丘の上まで歩いた。そこからここまでの電車内でも運転席の後ろに立っていた。座ったところはバスの車内だけで、今日はかなり足を使っている。そのうちに左足の関節が痛み出し、ひざの裏が攣りそうになって、とうとう動けなくなってしまった。私はまだ若いはずなのに、こんなことになるなんて。しかし、もう足を動かしたくない。行くのも苦痛。戻るのも苦痛。せっかくここまできたのに、戻りたくはない。さて、どうしたものだろう。しばらく進退を考えた。
大山ケーブルカー。
私は階段の途中で少し休むと、必死の思いで次のみやげ物店まで歩いた。軽くて丈夫な杖を買う。亡き祖父は80を過ぎても杖を使うことを拒んだというのに、孫の私は40歳で杖を使っている。ふがいないと思いつつ、杖をついてみるとこれが意外と快適だ。1000円もしない安い杖だが、意地を張らずに杖を使おう。そうすればまだ先へ行ける。祖父は自転車で転んで頭を打ち、一度寝たきりになった。医者が変わって奇跡的に起き上がれるようになったが、杖をつく姿を嫌がって散歩に出なかったらしい。やがて弱って入院し、そのまま帰らぬ人となった。いま祖父が生きていれば、私は誰よりも上手く説得できたと思う。杖をつく恥ずかしさより、先へ行ける喜びのほうが大きいと。
上り坂。大勢の子供たちとすれちがった。幼稚園か保育所の遠足らしい。先頭には付き添いの大人と大型犬が2頭。りりしいが優しい目をしていた。きっと子供たちの人気者なのだろう。杖つきの私は彼らが通り過ぎるまで立ち止まって見送った。行進のしんがりはなぜかヤギで、小さなふんを落としながら降りていった。
すれ違い場所は駅。
どんなに辛くとも、上り坂には終わりがある。ケーブルカーの追分駅に辿りついた。なるほど。"辿りつく"とはこういうことかと思う。杖のおかげで足の痛みは和らぎ、額の脂汗は消えていた。駅の中にも階段があり、ケーブルカーだからもちろんホームも階段状である。しかしここまでくればケーブルカーの乗車が楽しみで痛みも忘れる。
赤いケーブルカーに乗り込んで発車を待つ。前方はいきなりトンネルで、しかも線路は右にカーブしている。そこまでして鉄道を作ろうとした経営者の気概を感じる。いや、必要としたのは大山を信仰する訪問者たちだろう。この路線は1931(昭和6)年に開業したが、戦時中に不要不急路線として廃止された。そして20年後の1965(昭和40)年に現在の会社が営業を再開している。大山信仰だけではなく、観光旅行の人気にもあやかった。現在の大山ケーブルは丹沢観光の入り口と言う役目も持っている。新宿から小田急で1時間半ほど。日帰りで遊びに行くにはちょうど良い位置でもある。
下社駅からの眺め。
トンネルを抜け、カーブを曲がり終えると鉄橋。その先にすれ違う場所が見える。ケーブルカーといえば斜面を上下するだけという印象が強いが、大山ケーブルは変化に富んでいる。すれ違いポイントは駅になっていて、ここからは大山寺が近いらしい。ホームには「電車によって行き先が違います」と書いてある。これはケーブルカーならではの掲示だ。ケーブルカーは車輪と分岐器の構造が一般の鉄道と異なる。下の駅から上の駅を見上げた場合、一方の車両Aの車輪は左側の線路を抱え込み、もう一方の車両Bの車輪は右側の線路を抱え込む。すれ違い場所の車両の位置は上り下りに関係なくAは左でBは右になる。だから、片側のホームには上りと下りが交代でやってくる。
終点の下社駅を出て案内板を見る。大山山頂の阿夫利神社本社までは徒歩65分。残念ながら今の私の足には無理だ。下社駅のそばには阿夫利神社の下社があるので、こちらにお参りする。こちらはたぶん、足腰の弱い信者のために、雷神様が作ってくれた出張所である。ありがたく寄らせていただこう。呼び込みの喧しい茶屋を無視して長い階段を上っていく。このあたりは日陰なので紅葉がくすんでいた。紅葉の名所といわれているが、おそらくそれは本社の近くであろう。
曇天で紅葉がくすんでいる。
下社の境内から見渡す限り、平野部は太陽を浴びて輝いている。江ノ島も見えるし、その上空を飛ぶ小型飛行機も見えた。これだけ大きく街が広がっていると夜景が見たくなる。しかし、今日はこれで帰ろう。寒さで体も強張っている。風呂で足を温めたい気分だ。階段を下りると、相変わらず土産茶屋の呼び込み声がしつこい。客が少ないから、通る人それぞれを狙い撃ちにしているようで、いまどき風俗街でもこれほどではないと思うほどだ。
ひとひと言ってやろうと土産屋に行き「そんなに喧しいと怖がって誰も近寄らないよ」と言うと、お掛けになってはいかがですかと優しく促される。どうやら杖つきの私を気の毒がって労わってくれているらしい。それ以上強く言えなくなり、甘酒を注文した。暖かなストーブと熱い飲み物が心をほぐし、サービスで出された唐辛子の葉の漬物をつまむと心がほぐれた。あとから思うとこの行動はまんまと土産茶屋の術中に落ちたに違いなく、なんとも情けないことだ。
帰路、足の痛みは収まらず、そのまま杖をついて帰った。杖をつく仕草に慣れてしまったようだ。小田急線では若い男性に席を譲られた。日本もまだ捨てたもんじゃない、と妙に感心した次第である。
杖のおかげでここまで上れた。
-…つづく
第226回以降の行程図
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2007年11月21日の新規乗車線区
JR:0.0Km
私鉄:1.8Km
累計乗車線区(達成率)
JR(JNR):17,281.2Km (76.40%)
私鉄: 4,657.7Km (69.02%)
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