第49回:高校時代 ハロー&フォーエバー
更新日2005/04/21
息子がこの4月に高校に入学した。義務教育も終わったからと、最初は出席するつもりではなかった入学式に、同じ日に学校のすぐ近くで所用があったため顔を出し、式の終わった後は教室で担任の教諭のお話を聞いた。生徒たちの学習机の椅子に座りながら、もう高校生の息子を持つ父親になってしまったんだなあという思いとともに、自分の高校生時代が想い出されてきて、何か複雑な心持ちだった。
息子が入ったのは、家から割合に近くにある、のんびりした都立高校。男女仲が良く、自由な雰囲気の和気藹々とした高校ということで、その校風も、進学実績さえも私の出た県立高校によく似ている。けれども、私が高校に入学したのが1971年(昭和46年)、今から34年前のことで、当然のことだが同じ高校生とは言っても、いろいろなことが様変わりしているようだ。
例えば制服。現在息子の通う高校には制服というものがなく、原則的に通学の服装は自由だが、毎日何を着るかけっこう迷うこともあり、学校としては「推奨服」というのを決めていて、入学式の時は全員これを着用していた。推奨服とは、「こんなスタイルで通学してはいかが?」と学校側が提案するもので、着用するかどうか、購入するかどうかも個人の自由な意思に任されている。因みに、そのデザインから発注まで生徒の手によって行なわれたそうだ。
その推奨服、男女ともブレザー姿、男子はネクタイで下はスラックス、女子はリボンでスカート。他の高校の制服を見ていてもこのスタイルが一般的になってきた。私立高などの胸のエンブレムは、英国のパブリック・スクールも顔負けのような、カッコいいのを着けているのを見かける。
私たちの頃は、県内のどこの高校でも男子は詰め襟の学ラン、女子はセーラー服、ひとつの決まり事だった。最近は東京ではあまり見かけなくなったが、手元にある「首都圏高校受験案内'05年版」のなかの「324校掲載、都立・私立高校制服一覧」の項を見ると、それでも全体の4分の1近くの高校が、未だに学ラン、セーラー服を採用しているようだ。
私は、2年生の途中までは学ランの詰め襟にカラーをつけていたが、衣替えの前後などの暑いときは首筋がベトベトと気持ちが悪く、いつのまにか外してしまった。そして詰め襟のホックと第1ボタンも外すというスタイル、男子生徒の7割近くが同じような格好をしていた記憶がある。
2割が極端ではないが長ラン、ボンタンなど「加工」を施して着ている者、残りの1割が卒業するまでキチッと真っ白なカラーを着け、ボタンもすべて掛けている者だった。女子はスカーフの結び方や、後ろの三角の部分の出し方で少し個性を出していたようだが、くるぶしまであるスカートをはいている子は見かけず、ほとんどが同じような着こなしだった。逆に言えば、セーラー服とは、個性を出しにくくする服装なのだろう。
息子は中学校でもブレザー姿、ネクタイはキチッと結んでいるタイプの生徒だった。ところが、先日高校から帰ってくる姿を見るとネクタイの結び目がかなり下に下がっている。
珍しいなと思い、「どうした? お前らしくないじゃないか。それとも、そうやっている方がモテると、先輩から教わったのか」とからかいながら訊ねると、「違うよ。あまりまじめそうな格好をしていると、電車なんかで他校の連中に目を付けられるから仕方ないんだ」という答えが返ってきた。いろいろと大変らしい。
部活は音楽部を選びたいとのこと。4歳の頃からピアノを習わせていて(私が以前バンドを組んでいた時、ピアノを弾くバンド仲間が圧倒的にモテていたので習わせることにしたのが、その理由)男の子にしては珍しく、今でも嫌がらずに通っている。自然と音楽が大好きになり、中学の時は英語や数学よりも、音楽のテストで一番になることに躍起になる方だった。
私は高校の時に柔道部だったので、男だったら高校の時には何かスポーツクラブに入ればとも思うが、意志は硬いようだ。私の柔道部にしても、入学当初は女の子が多い文化部に入ってチャラチャラした高校生活を送ろうと夢見ていたものを、友人の柔道部見学に付き合ったのが運の尽きで、不本意ながら入部したものなので、とても偉そうなことは言えない。しかも、動機は息子の方が純粋なのだ。
女の子といえば、私はずっと、高校時代を通してひとりの女の子にしか心を奪われていないと思い込んでいたが、今回これを書くに当たってつらつらと思い返してみると、何と全部で6人の女性に好意を寄せて(もちろんほとんどが片想い)いたことがわかった。
3年間での話だから、半年にひとりの割合。「最近の子たちは、彼氏彼女をチェンジするのが早すぎますね」などと店で時々したり顔で話すこともあったが、そんなことは言えなくなった。これからは慎まなければと思う。
けれども、詭弁を弄すれば、当時私の学校の1学年は約400人。半分が女生徒なのだから、1学年で200人、全校では600人。高校生活3年間の中で出会う女の子の数は、校内だけで1,000人を数えるのだ。私が好意を寄せたのは、1,000人の中のわずか6人と言えなくもない。
今考えると、人を好きになったことで、赤面してしまうようなバカなことをよくやったと思う。夏の暑い日、ファンクラブ一同4人くらいで重い西瓜を抱えて、ある女の子の家を訪ねてみたり、大雪の日に、傘もささず学ランだけの姿で2時間公園にいて、ひとり彼女を待ち続けたりしたこともあった。
これから息子もきっと同じような体験をしていくのだろう。それを思うと何だかとても面映ゆい気もするが、バカな先輩として、声援を送り続けたい思いもある。
第50回:遠くへ行きたい