■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 


第1回:I'm a “Barman”.
第2回: Save the Last Pass for Me.
第3回:Chim chim cherry.
第4回:Smoke Doesn't Get in My Eyes.
第5回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (1)

第6回:"T" For Two.
~私の「ジュリーとショーケン」考 (2)

第7回:Blessed are the peacemakers.
-終戦記念日に寄せて-

第8回:Ting Ting Rider
~マイルドで行こう

第9回:One-Eyed Jacks
~石眼さんのこと

第10回:Is liquor tears, or a sigh?
~心の憂さの捨てどころ

第11回:Hip, hip, hurrah!
~もうひとつのフットボールW杯開幕

第12回:Missin’ On The Phone
~私の電話履歴

第13回:Smile Me A River
~傍観的川好きの記

第14回:A seagull is a seagull
~シンガー・ソング・ライターが歌わせたい女

第15回:Good-bye good games!
~もうひとつのフットボールW杯閉幕


■更新予定日:隔週木曜日

第17回:My Country Road ~八ヶ岳讃歌

更新日2004/01/08


およそ1年ぶりに故郷に帰る中央高速バスの車窓から、八ヶ岳を見た。あざやかな青空を背景に、彫刻刀を入れたような稜線がくっきりと美しかった。少年時代はあまり感じなかったが、大人になって、殊に最近この連峰に強い愛着を感じている。

ここのところ続けて、親の健康のことなどがあって、故郷に帰るときは少し屈託した気持ちの時が多い。以前は、久しぶりにゆっくりできるという、ただのんびりとした気持ちで帰郷できたが、最近はそうもいかなくなった。

バスに乗って、それなりに心配事についていろいろと考えながら、そろそろ実家に近くなったと思って外を見たとき、八ヶ岳がその姿を見せてくれる。そして、じっとその山並を見ていると、少しずつ気持ちの凝りがほぐれていく。

移ろいゆく不確かなことを思い悩んでいるとき、「大丈夫。私はいつもここにいるから」と受け容れ、語りかけてくれるような気がするのだ。

私は、どちらかというと故郷を思う意識は希薄な方だと思っている。帰り住む気には、全くなれない。九州出身の方の多くが、「いつかは、やはり九州に帰りたい」と話しているのを聞いたり、ときどき長野県人会への参加を誘ってくださる方を見たりすると、正直私には理解できない人たちだなあ、と思ってしまう。

よほどの年輩の方ならばともかく、今の時代、食い扶持がなくて故郷を追われるような人はあまりいないはずで、多くの人たちは自ら選んでこちらに出てきたのだろう。それなのに、同県人会でいつも集まってみたり、帰りたい、帰りたいと思っているのならば、早く故郷へ帰ればいいのに、と意地悪なことも言いたくなる。

そんな自分であるにもかかわらず、最近八ヶ岳に関してだけは、故郷の山だと言う意識を強く持ってしまう。啄木は、歌集『一握の砂』のなかで「ふるさとの山に向ひて 言ふことなし ふるさとの山はありがたきかな」と歌っている。

この歌は、故郷盛岡から見える岩手山や姫神山の姿を思い浮かべ、啄木が東京朝日新聞にいるときに歌ったものだと言われている。私は、若いときから啄木が好きで何度もその歌を読んだりしていたが、この歌が私の心にも響くようになったのは、ごく最近のことだ。

私の最も好きな画家、ポール・セザンヌも、故郷エクス・アン・プロヴァンス近くに聳えるサント・ヴィクトワール山を何枚も、何枚も書き続けた。この二人の芸術家の感性には遠く及ばないが、同じようにこよなく愛する山を持つことができたことは、やはり幸せなことだと思う。

八ヶ岳については、私たちの地方に伝わる昔話というか、民話がある。

むかしむかし、八ヶ岳(こうは呼ばれてはいなかったと思うが)は今と違ってひとつの山で男山、富士山は女山だった。そして、どちらが日本一高い山なのかお互いが自分の方だと主張し、一歩も譲らなかった。ある日、それでは背比べをしようと言うことになって、仲裁に入った山の神が大きな、大きな樋(とい)をお互いの頂上に乗せ、水を入れた。すると水は、富士山の方に流れ、勝負が決した。

「どんなもんだ」と胸を張ってみせた八ヶ岳の態度に、腹を立てた富士山が樋を思い切り八ヶ岳に投げつけると、八ヶ岳の頭が砕け八つの山に分散し、富士山よりも背が低くなってしまった。この勝負、確かに八ヶ岳が勝ったという証拠に、富士山の方に流れてこぼれた水は、後に富士五湖と呼ばれる湖になったという話。

もしかしたら、どこの地方にもあるかも知れない「実はおらが国の山が日本一」という話だという気もする。ただ、あの完璧な美を誇るプライド高き富士山に対抗し、一度は勝負に勝ったものの、生意気な態度を見せたばかりに、女性の怒りに触れ頭を砕かれてしまった哀れな男性の姿に、信州人の気質を垣間見るようで、私には面白かった。

長野県生まれの人は、とかく理屈っぽい。理で勝とうとするあまりにムキになって議論になり、結果、人に嫌われる傾向が少なからずある。私もそのうちの一人なので自戒することにしている。

閑話休題。久しぶりに実家に4泊ほどして、いろいろ考えさせられることがあった。健康面や諸々で、簡単に言ってしまえば、父母も私もそういう年になったと言うことだろう。東京で、何も考えずに能天気な生活をしているだけという訳にはいかなくなったようだ。

心の中に重い荷物を持って東京へ向かう道、車中から再び八ヶ岳を見た。私がこの連峰で最も美しいと思うのは、長く緩やかな裾野のラインだ。私は、そのラインが霧にかすんで見えなくなるまでずっと見続け、今度帰郷するまでふるさとにおいた人たちを見守ってほしい、と願っていた。

 

 

第18回:Year of the Monkey ~4回目の年男を迎えて