■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと

金井 和宏
(かない・かずひろ)

1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
Lis. master's voice

 

■更新予定日:隔週木曜日

第1回: I'm a “Barman”.

更新日2003/05/22


私の好きなスコットランドに、ウイスキー作りについてこんな話がある。蒸留を終えた原酒は樽詰めされ、長い時間の熟成に入る。その間原酒は、樽材を通して外気を吸収しながらゆっくりと銘酒に育っていく。その代わり、逆に樽材を通して年に約3%ずつは、蒸発していってしまう。

例えば12年寝かしておけばその量は全体の3割にもなるのだが、この減った分を蒸留所では『天使の分け前』(Angel's share)と呼んでいる。空気の中にひそんでいる目に見えない天使たちが、少しずつそれを飲んでいるのだろう、ということのようだ。

私は、現在東京の自由が丘で、スコッチ・モルト・ウイスキーが中心の、10席足らずの小さなバーを営んでいる。ショット売りでお客さんに酒をお出ししていると、ボトルの最後の方で、たいがいシングル分(約30ml)も取れないほどの量が残る。お客さんにはそれに注ぎ足すことはしないで、新しいボトルの栓を開けて注ぐ。

残った少量の酒は、私が密かに飲んでしまう。クッと呷(あお)るその瞬間は、ささやかながら、やはり心が満たされる時だ。私は、それを勝手に『店主の分け前』と呼んでいる。

ところで、私たちの職種は、一般的にバーテンダーと呼ばれている。ただ、まだ日本では「バーテン」と呼ぶ人が多い。バーテンダーの矜恃(きょうじ)をキチッと持った人たちや、その地位向上のために努力を重ねている人たちは、この「バーテン」という呼ばれ方をとても嫌う。

Bartenderとは、そもそも“Bar(酒場)”と“Tender(世話をする人)”を合わせた言葉で、アメリカで19世紀の初期にできた。彼らにしてみれば、大切なのは、“Tender”という世話をする、おもてなしの精神なので、中途半端な略し方はよくないということと、「バーテン」という言葉の持つ響きを好ましく思っていないらしい。

たしかに「あいつはバーテン上がりだぜ」とか、「ふん、バーテン風情が何をぬかす」などと、昭和30年代の日活アクション映画でよく聞かれるように、過去にはバーテン即ち根無し草の遊び人の代名詞のような使われ方をされた時期があった。

また、最近になって何冊かの有名な英和辞典の“Bartender”の項を引いても、未だにその訳はいきなり「バーテン」と記してあって、何とか言葉を正したいと願っている人たちの道はなかなか険しいようだ。

けれども、私はバーテンダーを見る人たちの意識もかなり変わってきていて、「バーテン」という言葉も、今ではほとんどの人たちが見下す意味ではなく、もっとフランクに使っているのではないかと思う。それほど、目くじらをたてたり、心を痛めたりすることもないのではないかと考えている。

私としては、バーテンダーというより、むしろ『バーマン(Barman)』という言葉の方が好きだ。この二つはまったく同じ意味だが、前者がアメリカ起源であるのに対し、後者は英国でできた言葉で、大衆的なパブでも、高級感のあるラウンジ・バーでも、カウンターに立つ人間に対して、英国では一様に「バーマン」と呼んでいるらしい。スコットランドが好きでイギリス英語の方がアメリカ英語よりも自分になじむ、と勝手に考えているのもこちらの方が好きな理由の一つだが、何よりすっきりしているのがいいと思う。

あまり、言葉に「お世話をする人」などの意味を持たせると、何かどうも少し重い気がする。日頃から、たいしてお客さんのお世話などしていない身にとっては、少々気が引けるのだ。郵便屋さんにしろ、消防士、お巡りさんでも、“Postman”、“Fireman”、“Policeman”とそのままなのだから、同じようにいきたい。それに「バーマン」という言葉は、大好きな二人の覆面ヒーロー、「バットマン」と「パーマン」のそれぞれ一字違いであるところも、私はひそかに気に入っている。

そんな、自称「バーマン」の私の店はいつも概して暇なのだが、それでも毎晩、いろいろなお客さんが来てくださる。なかには、開店から閉店の時刻までゆっくりといてくださる方もあれば、いつも、ものの10分もすればすぐ席を立って帰られるお客さんもいらっしゃる。そのご職業もご性格も、当然のことながら多岐に渡り、千客万来というのには程遠いが、お客さんの種類は文字通り千差万別だ。

そして、それらの方々と、私は今まで実に多くの話しをしてきた。本当に腹が苦しくなるほどの笑い話しをしたこともあれば、時には相手の顔を見るのが憚(はばか)られるほどの辛い打ち明け話を聞き、言葉をなくすこともあった。

お客さんが語った一つひとつの話は、断片的に、私自身が今まで見聞きしたり出会いや経験を通じて感じた、やはり形をなさない事がらと一緒になって、心の奥に積まれていく。私は、それらを拾い集め繋ぎ合わせてみたり、最近考えていることを持ってきたりしながら、思いつくまま独り言のように、ここに綴っていこうと思う。

多くの方々からいただいた貴重な印象が、私の力不足で平板なものに転じてしまう危険は覚悟の上で、失敗を恐れず少しずつ書き進めていきたい。

そして、もし読んでくださる方に、ボトルの隅にかすかに残った『店主の分け前』を呷った時のような、少しゆったりとした気分に一瞬でもなっていただくことができれば、これほどうれしいことはないと思っている。

 

 

第2回:Save the Last Pass for Me.