第38回:美しく優しい自然の業
更新日2004/11/04
一昨日の仕事が終わった後、私は濃い夜霧が立ちこめる道を、自転車を走らせ帰ってきた。車のヘッドライトがないときなどは、50メートル先の街路灯の光もぼんやりとしか見えない。いつもとまったく違った幻想的で不思議な光景の中を、ゆっくりと走ってきた。
午前4時をまわった時間帯だったが、冷気はほとんど感じられず、街全体がしっとりと夜霧につつまれていた。店を始めて間もなく5年になり、1,500夜近く自転車を漕ぎ続けているが、こんな体験は初めてだった。
最も車の量の少ない時間帯かも知れないが、いつもに較べて道路がとても静かに感じた。エンジンの音を霧が吸収しているようだった。途中1台だけかなり大きくカー・ステレオをかけていた車にすれ違ったが、これは離れた後も驚くほどの長い時間、音の尾っぽを引きずっているように聞こえた。エンジン音と音楽の周波数の違いもあるのだろうが、それだけ、あたりが静寂だったということか。
夢の中を走っているようで、とても気持ちが落ち着いた。家に着いたとき、着ていたセーターに手を触れたら、しっとりと湿っていた。よく見ると自転車のフレームにうっすらと見えないくらい細かい水滴がついている。髪の毛も、ほんの数秒間小雨に降られた後のように、かすかに濡れていた。
家に入って、作り置いてあったビーフ・シチューを温めて、一缶の黒ラベルとともにゆっくりと口に運んだ。そして、今恋い焦がれるように憧れている向田邦子の本を開き、読みつづけているうちに、麻酔を打たれたときのように「すうっ」と眠りに入っていった。
夜霧と言えば、石原裕次郎の「夜霧の慕情」「夜霧よ今夜もありがとう」のように歌謡曲によく登場し、哀しい恋愛の小道具に使われているし、海外では、エロール・ガーナーの「ミスティー」やあのガーシュイン兄弟の「霧のロンドン・タウン」
という有名なスタンダード曲にも出てくる。
けれども、私の中ではまったくロマンティックな夜霧の中に身を置いたという経験がない。せめて、自然な眠りについた後、向田さんと夜霧の中をふたり歩いている夢を見てみたいと願っていたが、そうは問屋が下ろしてくれなかった。
今年は天災の当たり年と言うことで、先月休むことなく訪れた台風が日本国中を荒らしまわった後、大きな地震が新潟県の中越地方を襲い、自然現象の恐ろしさというものを、改めて私たちの心に刻み込んだ。
私の自宅も店も、同時に雨漏りを起こし往生したが、それぐらいのことで済んだことを、むしろよしとしなくてはならないかも知れない。とにかく、被災した方々はたいへんな思いをされていることだろう。
自然現象とは、いくつかの側面を持っていると思う。先の大災害のように「自然に対する畏れの念を忘れてはならない」と猛々しい仕打ちを人々に与えるものもあれば、美しい夜霧のように人の心を優しくつつむものもある。(もちろん、その濃霧が災害につながることも忘れてはいないが)
その他の美しく優しい自然現象には、「虹」と「夕焼け空」があって、私はこの二つがこよなく好きなのである。
雨上がりの空を、ふと見上げたときにかかっている大きな虹は限りなく美しい。どういうわけか、通勤途中店に来る手前あたりで見ることが多く、自転車で最も見やすいポイントをさがす。そして、お節介なことに、道行く他人の方が気付いていないようなときは「見てください、虹ですよ」と誰にでも声をかけ、感慨を共有したくなる。
それから、あわててまた自転車に乗り込み店に着き、シャッターを開ける手間ももどかしくドアを急いで開け、妻や息子や親しい人に店の電話で「虹だ、虹だ」と伝えまくる。私が携帯電話を持たないことを一瞬後悔するのは、この時だけである。
みんなに伝え終わった後、再び自分で虹を見に行くと、たいがいはもうほとんど消えかかっていて、ほんのり薄い色のガス状なものが見えるだけになっている。それでも私は大満足で、色がまったくなくなるまで空を見続けているのだ。
虹が、どちらかと言えば見るものにまっすぐで前向きな感動を与えてくれるのに対し、夕焼け空は少し趣が違う。何年前のことだったか、こんなことがあった。
子どものPTAの行事で近くの砧公園に行き、帰りが夕方になった。西の空を見ると一面うっとりするような夕焼け空が広がっていた。私の隣にはひとりの子どものお母さんがいらした。以前から素敵な人だと思っていたが、彼女の横顔が夕焼けに映えて、殊の外美しく見えた。
思わず私は、
「こんな夕焼け空は、みんなと一緒ではなく素敵な人と二人だけで見たいものですね」と軽口を叩いた。すると、彼女は大きな瞳で見つめ返し、
「もしかして、私、今口説かれているのかしら」と呟いた。
正直なところ、そんな気持ちで言ったつもりはなかったが、心の奥底を見られてしまったようでドキリとした。迂闊なことは言えないと身構えながらも、不思議な高揚感があったのを憶えている。
これからの人生の中で、何回、美しく優しい自然現象に出会うことができるのだろう。一回でも多い方がいいなと、欲張りなことをぼんやりと考えている。
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