第44回:冬の悩み
更新日2005/02/10
私は寒い地方の生まれだから、寒いのはあまり好きではない。寒冷地出身の知り合いの何人かも、やはり寒いのは懲り懲りだというふうに話している。それでも、いくら寒いと言っても東京のそれはかなり凌ぎやすいので助かっているが、この季節、私はふたつの「病気」に悩まされていて、これが結構辛い。
ひとつは、いわば持病である「静電気」、もうひとつは、これもいわば職業病である「あかぎれ」だ。どちらも乾燥肌が大きな原因のようだが、私の場合、かなり重症なのである。
静電気。人によって強い人と弱い人がいるようだが、私はかなり強い方だと自負している。一度電圧計で、何ボルトかを測ってもらいたいぐらいである。店にいらっしゃるお客さんの話では、血液がドロドロの人ほど静電気が強いということだが、果たしてどうだろうか。
エレベーターのボタン、車のドアノブ、電気のスイッチ、駅の切符の券売機、毛布を干した時など、枚挙にいとまがないほど、生活のあらゆる場面で「ビリビリッ」と来る。何度経験してもこわくて嫌なものなのだ。そうならないために、いつも対象物を臆病気にチョンチョンとつついてから本格的に触るようにしている。
例えば、駅の切符の券売機では、お金を入れるところの金属面、金額パネルの盤面などを始めに硬貨でつついて「放電」!?させてから、おそるおそる硬貨を投入し、おそるおそる金額パネルを押す。後ろから見ている人には奇怪な行動に見られるだろう。
スーパーでお釣りを受けるときにもよくやられることが多い。一瞬レジの女の子の手と私の手が弾かれたように「ビリビリッ」が来るのだ。「ごめんなさい、僕はかなりの静電気持ちなので」「いえ、私の方こそそうなんです、すみません」ということになる。
この場合、券売機のように何度か先に触れてからお釣りを受けるようなことは間違っても出来ないから(こちらとしては一向に構わないが、あちらの立場から見れば現行犯のSH行為だろう)始末が悪い。静電気予防の腕輪など試してみたが、効果はいまひとつだ。
静電気といえば、私が6、7歳だった頃不思議に思っていたことがある。父は会社から帰宅すると、居間のとなりにある部屋ですぐに寝間着に着替えた。電気がもったいないので暗い中で着替えるのだが、冬で厚着をしている日などバチバチと火花が散るのが見えた。
それは線香花火のような火花だった。父親は「静電気だよ」と説明してくれたが、よく意味の解らない私は、父親が電力会社に勤めていたから、会社からたくさん電気をもらってきてしまっているのだと思っていた。そして、「大人というのは大変な思いをしているのだなあ」とおぼろげに考えていたのだ。
あかぎれ。これは明らかに職業病だと思う。昔の田舎のおばさんたちは、あかぎれだらけのパンパンに張った太い指をしていたものだ。あれは苛酷な水仕事をくり返し行なった末になったものだろう。私の場合は「お湯仕事」をするからなるのだ。
この季節になると、両手の甲、ひらを問わず縦横十数カ所にあかぎれができる。指の関節に縦に入るあかぎれは、指を曲げると肉が見えるように開くので、自称「キャッツ・アイ」と呼んでいるが、これが殊の外痛い。お湯をかけるとヒリヒリするし、ライムなどの柑橘系の果物を扱ったときなど悲鳴を上げたくなるほどだ。
私は今のところアレルギー性の症状はないが、その症状がある人たちが少しでも良い薬があると聞くとすぐ試してみるということはよく理解できる。薬局で出されたり、人に紹介されたり、皮膚科で調合してもらったりいろいろしたが、今のところ特効薬というのはなく、一日何回もこまめに塗り続けていく以外に方法はなさそうだ。
同じ商売をしている人の多くは、男女を問わず、寝る前に薬を塗り手袋をして寝ている。バスやタクシーの運転手さんがするような白い手袋を、彼らと違って仕事が終わった後に身に着けるのだ。
あかぎれで少しだけいいこともある。仕事が終わり、ほんのたまに女性のお客さんと食事に行くときなど(年に一度あるかどうかのことだが)悲惨な手を見て同情してくれることがある。
「マスター、すごいあかぎれね。本当に可哀想!」「いえ、まあ…」
ということになる。心配していただき、とても感謝している。ただ、その後の言葉として「あまり可哀想だから私の両手で包んであげようかしら」というのを待っているのだが、当然のごとくそんなわけにはいかない。
現実の言葉の続きは、「良い薬知っているのよ」と紹介してくださるのだが、たいがいすでに試した薬の名前が出てくる。「あなたの両手がいちばんの薬です」とよほど言いたいところを我慢して、運ばれてきたラーメンを食べることになるのだ。
面白いもので、券売機に触れても高電圧を感じなくなり、手の中の赤い色がなくなったころは、もう春が訪れているのである。人はいろいろなことがらで春の到来を知ると言うが、私の場合は、持病と職業病が治癒したと感じたときが即ち春なのだ。
今年もあともう少し、ビリビリッとヒリヒリに付き合わなくてはならない。春よ来い、早く来い、歩き始めたみいちゃんと同じ心境である。
第45回:70年代を駆け抜けたふたりのアイドル (1)二階のマリちゃん篇