第47回:70年代を駆け抜けた「もう」二人のアイドル~個人的に番外篇
更新日2005/03/24
みんなが天地真理や山口百恵に夢中になっていた頃、私にものぼせ上がっていたアイドルがいた。今回はその話を書こうかと思うとカミさんに話すと、「またアイドル話なの? しかもあなたが好きだったタレントの話なんて、読む人一人もいないんじゃないの」と諫められてしまった。なるほどその通りで、あまりにも個人的でマニアックなテーマだが、開き直って書いてみようと思う。
高校の修学旅行の翌日だから、1973年(昭和48年)の3月だったと思うが、その日は旅行の振替休日だったので、私はひとりで、隣町の名古屋にある映画館に行った。栗田ひろみ主演の東宝映画『放課後』を観るためである。(この映画をご存知の方は少ないと思うが、井上陽水の名曲「夢の中へ」はこの映画のテーマとして書き下ろされた。因みに、陽水の美しいワルツ「いつの間にか少女は」は、この映画の栗田ひろみ演じる少女・亜矢子のテーマ曲)
映画の中には、その時はまだ知らなかった東急の路面電車・世田谷線などが出てきて、東京のにおいが漂い、夕暮れの街にたたずむセーラー服姿の栗田ひろみは限りなく可憐だった。こんな少女に出会うため、来年はぜひ東京に住みたいと強く思ったものだ。私は映画館の売店で彼女の等身大のポスターを買い求め、その後ずっと自分の部屋のドアの内側に張り、家族に触れることさえ許さなかった。
栗田ひろみはその前の年、大島渚監督の『夏の妹』で映画デビューし、その後「パイロット万年筆」や「森永・小枝チョコレート」のCFで少しずつ人気を得ていった。その頃テレビで放映した『伊豆の踊子』の踊り子役の彼女を見て、私はすっかりファンになってしまった。
その年の初夏、彼女は「太陽のくちづけ」という曲で歌手デビューした。私はその曲を初めて聞いたのは、柔道部の主将だった友人と二人で、彼の車の中のカー・ラジオだった。曲が終わると、彼はとても言いにくそうに、「歌は、あまりうまくないな」とポツリと言った。彼としてはファンである私にかなり気を遣ったようであった。「そうだね」。確かにとても下手だったのだ。
歌の上手、下手に拘わらず、私の熱は冷めなかった。3ヵ月続けて毎日ファン・レターを出したこともあった。「返事」のハガキは5回来た。うち3枚は、「ひろみのファン・クラブに入りましょう」というもので、残り2枚は、「ひろみの新しいLPをよろしくね」という内容、いずれも印刷物、表書きは彼女の歌よりも下手な走り書きだった。
翌年、上京して住むアパートも、彼女の通っていた目白学園のある西武新宿線を選ぶという徹底したバカ振りだったが、東京での生活に慣れるに連れ、だんだんと熱も冷めていったようだ。
「一億人の妹」という無敵なキャッチ・フレーズで大場久美子が歌手デビューしたのが、1977年(昭和52年)の初夏だった。彼女の歌は、ある意味とても斬新だった気がする。彼女は、ド、ド♯、レ、レ♯、ミ、ファ、ファ♯・・・という音階に属さない音を容易に出すことができた。ヒット曲の「エトセトラ」のサビの部分は、微妙に音が揺れていて、だれにも真似のできない不思議な旋律だった。
一般的に言ってしまえば音痴と言うことだが、それだけでは済まされない魅力があると、当時友人たちに説いてまわって、完全に無視されていた時期があった。初めは大場久美子についてそれほど関心がなかったが、そんな屁理屈を言っているうちに、いつの間にか彼女のファンになっていた。私が好きになるアイドルの歌は、一様に一般の人にはあまり受けがよくないようだ。
翌78年の春から、私は赤坂TBS横の本屋さんでレジのアルバイトを始めた。場所がら多くのタレントが来店して、ミーハーな私としては楽しくて仕方なかった。仕事が終わって先輩の社員の方と飲みに行っては、「今日は誰々さんに会えました」と興奮して話すと、「君は本当に俗物だね」とその度に揶揄されたが、その後彼は小声で、「でも桜田淳子が来たときはすぐに内線をするように」とこれも毎回念を押された。
当時の週刊朝日の表紙は篠山紀信が女性タレントを撮ったもので、あまり仕事熱心でない私はレジの内側に大場久美子が表紙になった号を置いて、いつも眺めながら接客していた。
ある日、いつものように彼女の写真をボーっと見ていると、「これください」というお客さんの声がした。慌てて我に返り、「いらっしゃいませ」と声をかけ見上げたお客さんの顔は、その写真とまったく同じ顔だった。「お・お・大場久美子だ、大場久美子が今、目の前にいる!」瞬間、世界には私と大場久美子の二人しか存在しない至福の錯覚に陥った。
確かその時、彼女は「タレント名鑑」のような本を買っていった気がする。天にも昇る気持ちだったため、その他のことはほとんど憶えていない。ただ、顔のとても小さい華奢な感じの少女だなあという印象は残っている。キャンディーズが解散し、ピンクレディーがレコード大賞をとった年の話である。
雑誌「明星」や「平凡」がいつの間にか姿を消して久しい。昔はよく本の中の写真の「切り抜き」を下敷きに鋏んだり、綴じ込みのポスターを勉強部屋の壁に貼ったりしたものだ。付録の歌本には必ずギターコード付きの楽譜があって、好きなアイドルの曲を、ギターを弾きながらがなり立てていた。
そう言えば、最近はそういう若い人たちの姿を見なくなった。今年高校生になる愚息に、「今の子どもたちはアイドルに夢中になったりはしないのか」と訊ねたところ、「二人のアヤ(松浦亜弥と上戸彩)で騒いでいる奴は少しいるけど、みんなほとんど、自分のまわりの女の子を彼女にしたがっているんじゃないの」という答えが返ってきた。
確かに最近の女の子は、とても可愛くなった。可愛い子と言えば、昔はせいぜいクラスに一人、同じ学年に3、4人いれば御の字だったものなあと、バカなことをしみじみ思い出したりしている。
「太陽のくちづけ」栗田ひろみ
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