第46回:70年代を駆け抜けたふたりのアイドル(2)~"時代と寝た女"モモエちゃん篇
更新日2005/03/10
私はときどき、「山口百恵が引退したのは彼女が21歳の時だった」ことを思いだして、とても不思議な気持ちになる。あの時の彼女はとても大人の女で、威厳とも思える凛とした態度と落ち着きを保っていて、巷の21歳の女の子たちとは比べようがなかった。彼女を見ていると、私は3歳年長にもかかわらず、恥ずかしいほど子どもであることを思い知らされたのだ。
中3トリオと言われた桜田淳子、森昌子との「3人娘」の他のニ人より少し遅れてデビューした1973年春頃の彼女は、どちらかというと3人の中では一番地味な存在だった。前のニ人の「天使も夢見る」「先生」という印象的なデビュー曲に比べて、「としごろ~人に目覚める14才」という曲は、それほど大きなインパクトを持っていなかったようだ。
その後3曲ほど曲を出し、そこそこの評価を得るようになった。ところが、翌1974年の6月に発表された「ひと夏の経験」で、事態は一変する。
『あなたに女の子の一番 大切なものをあげるわ』
私が聴いたのは一浪のとき、上京する寸前の、愛知県での最後の18歳の夏だった。当時の彼女は高校1年生というのに、月刊明星の付録のソングブックに載ったグラビアは、こちらが息苦しくなるほどの色気があって、当時流行した「悩殺」という言葉がピッタリ当てはまる、すごい魅力を発散していた。冒頭の歌詞を受けて「あっ、それください」と思ったニキビ面の同輩は、日本中に星の数ほどいたことだろう。
この曲の強烈なイメージと、その後も何度も出されていくグラビアにより、「3人娘」の他の2人とは一線を画す、性的な魅力を持つ少女として世間に認識されるようになる。
私はデビューから引退するまでの彼女の7年あまりの足跡を、歌った曲の流れによって、大雑把に四つの時期に分けている。誰かの意見を参考にしたものではないので、自分勝手な独断によるもので、なかには他の時期の位置づけに値する曲が混在するときもあって、正確な分類とは言い難いのだが。
第1期「いたいげで、あぶない少女期」。これはデビュー曲から「ひと夏の経験」「ちっぽけな感傷」あたりまで。作詞家千家和也氏による、色気のあるこちらをドキリとさせるあぶない詞が多い。14歳、15歳くらい。
第2期「耐え、ひたすら忍ぶ少女期」。こちらは「冬の色」から「白い約束」「愛に走って」あたりまで。「伊豆の踊子」「絶唱」などの文芸路線映画に出演しその主題歌を歌い、また「赤い」シリーズが始まったことなどもあり、自分の感情を抑えて静かに耐える少女の心を歌ったものがほとんどである。16歳、17歳前半。
第3期「ふっきれ、ぶっとび少女期」。何と言っても宇崎竜童、阿木燿子の手による「横須賀ストーリー」が今までのイメージを強烈に打ち破る。その後も同コンビにより奔放な生き方をする少女を描いた作品が続いた。「イミテーション・ゴールド」「プレイバックPART2」「絶体絶命」などがある。17歳後半から19歳。
第4期「この年でもう円熟少女期」。「いい日旅立ち」「しなやかに歌って」から引退曲「さよならの向こう側」まで。猛スピードで少女期を駆け抜けたのを終え、落ち着きをそなえるようになった頃、少女期という言葉はもう似つかないかもしれない。20歳、21歳。
私は一度だけ、彼女を実際に見たことがある。1974年の冬、上京した友だちと渋谷のNHKに見学に行ったとき、どこかのスタジオで彼女が「冬の色」を歌っているのにたまたま出会したのだ。むろん強化ガラスで仕切られた外側から見たのだが、「あれが百恵か」、さすがに友だちも興奮気味だった。
そのうちに修学旅行の途中なのだろう、どこかの中学生が彼女を見つけてドッと押し寄せてきた。強化ガラスの窓はかなり広く作られているのだが、前の方はほとんど男子生徒が占領してしまって、女子の多くは後ろの方に追いやられ「百恵ちゃんを見せて、百恵ちゃんを見せて」と叫んでいる。
私と友人はすぐに場所を空けてあげたが、そのスペースに入り込んでくるのは男子生徒ばかり。もう押すな押すな状態である。そのうちに後ろにいる女の子の一人は、半ば泣きながら、「百恵ちゃん見せてくれるんだったら、私何をされてもいい。お願い見せて!」と哀願し始めた。
あの喧噪の中でどうしてその声が聞こえたのだろう、一番前にいる男子生徒の一人が、「今言ったのは本当だな。よしこっち来いや、見せてやるから。嘘ついたら承知せんぞう」と叫んだ。山口百恵も罪作りである。この頃から彼女の人気は凄いものがあった。
時代はかなり下って、彼女が引退宣言をした後のテレビ番組で彼女と岸恵子の対談番組があった。「そんなにはっきりと決めてしまわなくてもよろしいんじゃない? また気が変わったら(芸能界に)戻っていらっしゃいよ」と岸恵子が話を向けると、「ありがとうございます。でも、私はやはり戻る気持ちはございません」ときっぱりと言った。
キャンディーズが普通の女の子に、都はるみが普通のおばさんに戻れずに、それぞれ芸能界に復帰した。それだけ無限の魅力を持つ世界なのだろう。けれども、彼女は引退コンサートで、マイクをステージの上に静かに置いた後、再びマイクを握ることはない。
この引退コンサートの時もそうだったが、芸能界生活を終える頃、彼女は歌の途中で何度か大粒の涙を流したことがあった。ただどの時でも、涙は流れるままにして歌い続け、けっして泣きじゃくるとか、歌の調子を乱すといったことは一度もなかった。その姿に、私はとてつもなく強い大人の女の姿を見た。冒頭に書いたように、翻って自分の存在があまりに子どもに思えたのである。
「『時代と寝た女』と言われ、今までに多くの話題を振りまいた山口百恵が、今日引退コンサートを行ないました」、彼女が引退した日の夜のテレビ報道番組で、おもむろにそう切り出したのは、当時TBSの局アナウンサーだった久米宏氏だった。
私はその時初めて、山口百恵を表現するのに、「時代と寝た女」という言葉があることを知った。今回もタイトルに使っているが、彼女が引退して四半世紀経った今でも、実のところこの言葉の真意をつかめないでいる。
第47回:70年代を駆け抜けた「もう」二人のアイドル~個人的に番外篇