第42回:鶏と卵
更新日2005/01/13
今年は乙酉(きのととり)の年。昭和20年(1945年)の終戦の年から暦がひとまわりして60年、この年生まれの吉永小百合さんも森田一義さんも、今年還暦を迎える。終戦の年に生まれた人がもう60歳になるのだから、それから10歳あまりしか離れていない私も、それなりの年齢であることに改めて気付かされる。
新年早々、歳の話を始めても何か詮ない気持ちになるので、今年の干支の酉すなわち「にわとり」と、いつもカップリングで語られる「たまご」の話を書き進めていこうと思う。
手元の広辞苑によると、「にわとりニハトリ【鶏】(庭鳥の意)キジ目キジ科の鳥。古くから最も広く飼育された家禽で、原種はインドシナ・マレーに分布するセキショクヤケイ。・・・」とあり、品種も卵用、肉用、卵肉用、愛玩用など極めて多いと記されている。
庭の鳥の意味であるということは何とかわかっていたが、浅学の悲しさ、キジの仲間だったということは、今辞書を引くまで知らなかった。それと知ってふいに思ったのが、桃太郎の三家来の話。もしキジではなく鶏であるならば、干支の順番通りの「申酉狗」すなわち、猿、鶏、犬が彼に従ったことになり、この昔話と干支には何かの因果関係があるのか、ということである。
もしかして、それについてもすでにいろいろな場所で語られていることであったりして、これ以上書いてしまうと無知を露呈して、恥の上塗りになる可能性が大きいので止めておこうと思う。でも、ちょっと偶然にしては不思議な気が・・・。
話があらぬ方向に言ってしまって恐縮だが、鶏の話に戻す。私は昔からこの鳥が苦手だった。食べる肉の方はやきとりをはじめ、どんな鶏料理も大好きなのだが、生きて、動いている方のことだ。
私の家にはいなかったが、私の田舎の何軒かの家では、私が小学校低学年の頃までは、鶏を文字通り庭で放し飼いしていた。もちろん夜間は他の動物の攻撃から保護するため鶏舎に入れておくのだが、昼間の、殊に晴れた日などは表で思う存分遊ばせていたのだ。
子どもの私が近づくと、まず鋭い目でこちらを睨んでくる。私は今と違って悪童ではなかったから、何か悪いことを仕掛けようとかいう魂胆などまったくなく、純粋にフレンドリーな気持ちで接しようとしているのに、相手は容赦のない警戒心をその目の中に込めている。
そのうちに「クッ、クッ、クッ」とも「コッ、コッ、コッ」ともどちらとも判別しがたい低い声でこちらを威嚇し始め、まごまごしていると、その尖った嘴でつつきに来る。
「ぼくが何を悪いことをしたというのだろう、何て奴だ。だいたい、あのとさかという奴が気持ち悪い。それにあの顎の下に付いたプルプルしたのは許し難い」と罵りの言葉を吐きつつも、私はその場を足早に退散することになる。
その頃より2、3年ほど後の話だが、私たち家族が通っていたキリスト教会の信徒で、養鶏場を営んでいる方がいた。そのうちの女の子が私たちと同じくらいの年まわりなので、よく家まで遊びにいったことがある。
近所の人から「にわとり千羽」とよばれていた家だけあって、とても大きな養鶏場を持っていた。私はその女の子に、「あんなに鶏がいっぱいいて、恐くないの?」とたずねた記憶がある。「ぜんぜん、だって鶏さん、絶対外に出てこないもの」、そんな答えだった。
私はあの鋭い目に睨まれないことを知り、彼女の身のためにも自分のためにもホッとしたが、今思うと、夜中もこうこうと明かりがついたその養鶏場は、鶏たちのストレスのたまるオートメーション式「卵工場」のはしりだった気がする。
その「卵」の話。私は卵料理の方も大好きで、洋食屋に入れば「オムライス」、中華屋では「天津丼」、日本蕎麦屋では「玉子丼」を、まず真っ先に注文したいと思うくちである。
また、流派の違う方々からは邪道と罵られるかも知れないが、納豆ご飯には卵を入れた方が数倍旨いと感じる。そば、うどんも、これも他流派には目を剥いて怒られそうだが、たいてい月見をたのみ早めにかきまぜてしまうし、牛丼にいたっては今まで卵なしを食べたことがない。
けれども、ひとつできないことがある。卵を割って直接、一緒に食べるご飯なり麺類の上に落とせないのだ。(店では店員さんにやっていただくので信用しているが)これは私くらいの年齢から上の人にはわかっていただけると思うが、昔の卵は、それこそ正しく庭の鳥の時代、有精卵だったのだ。
子どもの頃、「さあたまごかけご飯をたべよう」と思い、卵を割って直接ご飯にかけたとき、たまたま半分ヒヨコになりかけた卵が出てきてしまった。私は、その後半年以上卵を食べることができなかった。
今の卵では、半ヒヨコで出てくることはあり得ないと頭では理解していてもダメなのである。また、もしかしたら微量の鮮血でも交じっているのかも知れない。必ず、いったん他の器にとって確かめてから食べることにしている。卵の頭をコンコンと叩き、小さく穴を開けてツルリひと呑み、何ていうのはもっての他である。
長いこと、この件について神経質とか臆病とか言われて不遇の時代を送ってきたが、先日読んだ向田邦子さんの随筆に、彼女も全く同じ体験と、その後も同じ気持ちで卵と対峙しているということを知り、我が意を得たり、という気持ちになった。繊細な神経の持ち主は、どの世代であっても卵を直接ご飯にかけたりはしないものなのだ。
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