第424回:電気自動車の開発と大手石油会社
日本の自動車メーカーが、もうすぐガソリンエンジンのバックアップなしに電気だけで走る車を量産するニュースが伝わってきました。アメリカのメーカーGMは、すでに電気自動車を発売していますが、走行距離やバッテリー充電に問題があり、ブームになるには程遠い状態です。
現在、マーケティングと性能で十分採算が取れている電気自動車はテスラー(TESLA)だけでしょうか。テスラーはフェラーリ並みの(といっても私には街で走っているフェラーリもBMWもマツダのスポーツカーも区別がつかないのですが…)とてもスポーティーな外見で、性能もガソリン車と変わらない…といいます。ところが、お値段だけは超高級車並みで1千万円を軽く越し、最近やっと普及版が出ましたが、それでも6、7百万円相当もします。
少しは環境汚染に関心がありますから、私もできることなら空気を汚さない電気自動車にしたいとは思っているのですが、大中古のホンダを運転している私には、電気自動車は高嶺の花です。
テスラーを創設したイーロン・マスクさんは、元々自動車関係の人ではありません。ハイテックと化学が専門で、自分が理想として乗りたい車を追求した結果、パソコンに使っているようなリチュウムイオンの電池を大量に使い、パワーを出すモーターを開発し、自動車の専門家を雇い、いわば手造りでテスラーを造りました。巨大な自動車産業を尻目に、テスラーは高級仕様を固め、独自の販売店網(他のカーディーラーでは売らせない)を作り上げ、成功しました。
電気自動車自体のアイデアは昔からあり、100年以上前にコロラド州、デンヴァーでフリチェル電気自動車(Fritchle
Electric Car)が量産されています。フリチェルさん(Oliver Parker Fritchle)も自動車関係の人ではなく、専門は化学です。どうも電気自動車のネックは、心臓部のモーターよりも、長時間使用でき、素早く充電できるバッテリーのようです。彼もバッテリー溶液の研究、工夫に腐心し、最初に作った会社は、むしろバッテリーに比重を置くものでした。当時、鉱山で使う照明、ヘッドライトに電池は欠かせないものでした。
1906年に電気自動車第1号を完成させています。そして、これはいけると見込んだのでしょう、1908年にフリチェル電気自動車&バッテリー会社を設立しています。この車は一回の充電で100マイル(160キロ)走ることができ、充電は一晩、8~10時間かかるという、現代の通勤、通学に使うには十分以上の性能を持っていました。
ただ、その当時、大都会の目抜き通りはともかく、一歩裏通りや郊外に出ると、良くて砂利、普通は土、泥んこの馬車道でしたから、スピードを重視せず、時速10~25マイル(16キロ~40キロ)しか出ませんでした。でも、馬よりは長距離を餌も水もやらずに走らせることができたのです。
フリチェル電気自動車は400キロのバッテリーを積んでおり、自動車自体の重さが1,000キロ程度でしたから、バッテリーを運んでいるようなものでしたが、それでも2人乗り、4人乗り、5人乗りの高級リムジンタイプほか、トラックまで造っていました。
フリチェルさん、プロモーションと宣伝のため、自分で電気自動車を運転して2,140マイル(3,400キロ)離れた東海岸のニューヨーク、そしてワシントンDCまで行っています。そして、ニューヨークの5番街にデーラーを開店したり、しています。
今見ると、バッテリーは猛烈にゴツく、大きなもので、各バッテリーの横に充電状態を示す透明なガラスの試験管のような比重計が付いています。車の外装はなかなか高級感があり、アンティークとしてフリチェル電気自動車はめったにコレクター・オークション市場にでないし、万が一出ると、テスラーが何台も買えるような馬鹿高値が付くそうです。
自動車音痴の私は、トヨタのプリウスがブレーキを踏むたびに、そのエネルギーを充電に充てることを知って、さすが日本のトヨタ、すごく良いアイディアだと盛んに感心しましたが、なんとフリチェル電気自動車にもそんな装置が付いていたのです。
フリチェル電気自動車は500台ほど売れ、店仕舞いしてしまいました。馬力と価格競争に負けたのです。フリチェル電気自動車は当時2,000ドルから3,600ドルしましたが、ベルトコンベアー方式の大量生産を始めたフォード、Tモデルが450~500ドルでしたから、まるで勝負になりません。
それにアメリカ国内で油田が次々と掘られ、石油、ガソリンが今から見ると有り得ない安さで出回り始めましたから、燃費の良さ悪さなど、ましてや排気ガスなど全く問題にしませんでしたから、第一ラウンド、電気自動車はガソリン車にあっさりKO負けしたのです。フレチェルさんの電気自動車の将来性に目をつける政治家、企業家もおらず、1917年に会社を閉めています。細々とでも今まで続けていたら、きっとすばらしい電気自動車を作り上げていたことでしょう。
その後1990年代に自動車業界大手のGMがEV1という電気自動車を造りました。月に人間を送ることができる技術とお金を持つアメリカです。政府や大企業が本気になれば、電気自動車の一つや二つ簡単に作り上げることができると…昔から言われていました。やっとGMが試売したEV1は好評で、愛好者も生まれました。しかし、GMは生産を打ち切るだけでなく、EV1の回収を打ち出し、電気自動車を葬ってしまたのです。
これはドキュメンタリー映画『誰が電気自動車を殺したか』(Who killed the electric car,
監督Chris Pain, 2006年)を見て初めて知ったことで、以下の話はこの映画の受け売りになりますが、殺人ならぬ殺車の犯人は複数いて、筆頭はやはりメジャーと呼ばれる大手石油会社、充電スタンドを認可しなくなった政府、優れたバッテリーを開発していた会社を乗っ取った大手石油会社、当初、排気ガスを出さないことで税金控除を認めていたのを突如取りやめたカルフォルニア州政府(レーガンが大手石油会社と癒着していた)などが、寄ってたかってEV1を殺したのです。今テスラーに使っているような電池に積み替えるだけで、EV1を300マイル(480キロ)は走らせることができただろうと言われています。
とてつもないお金と政治力を持つ石油会社に牛耳られているアメリカの自動車業界ではなく、日本やヨーロッパで早く安い電気自動車を作ってくれないものかと、心待ちしているのですが…。
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