第402回:アメリカと外国の医療費の違い
お正月早々、義理の弟が腰と背骨の手術を受けることになり、彼を病院まで運び、手術に立会うことこそしませんでしたが、彼の奥さん(私の妹ですが)が仕事を終え、バトンタッチするまで14時間付き添いました。
彼はほとんど立っていることができないほどの痛みを訴え、お医者さんに罹ってからかれこれ3、4ヵ月も待たされ、やっと手術することになりました。その前にも何度か手術の予定が取れたのですが、保険会社が彼の症状、病状では、その手の手術は認められない…と否定してきたので、手術が延び延びになっていました。その間、彼は寝返りも打てないほどの痛みを抱えて過ごしていたのです。
偶然、一番下の妹の旦那さんも急性肺炎らしき症状に苦しみ、呼吸系のお医者さんに予約の電話を入れたところ、次の予約は6ヵ月先しか空きがないと言われ、救急病院へ行き、診察を受けました。救急病院では一応の応急処置はしますが、いわば何でも屋で、そこから専門のお医者さんに回されるのですが、その専門のお医者さんの方が予約満席状態で、4、5ヵ月先まで予約が取れないというのです。
私の義理の弟たち、二人ともハイテックの会社で働いており、会社を通じて、素晴らしい最高の健康保険に入っていたのに、こんな状態なのです。
かなり前のことになりますが、呼吸困難に陥った友人のイギリス人のおじいさんを救急病院に連れて行ったことがあります。ところが、アメリカの保険もクレジットカードも持っていない彼を、救急病院でさえ受け付けてくれませんでした。全支払いを私が責任を持ってするという厭らしい契約書にサインし、私のクレジットカードのコピーを取られ、やっと入院させることができました。
オバマ大統領が始めた?(始めようとした)国民保険制度も、共和党や健康保険会社の猛反対キャンペーンに遭い、しかも保険の常として、多くの人が加入しなければ成り立たない現実の前で、うまくいっているとは言えません。
国民健康保険への加入者が少ないということもありますが、もう一つの理由はプライベートの保険会社が牛耳っているアメリカの医療費が異常に高いからです。
AARP(America Association of Retired Persons)という、お年寄り退職者向けの雑誌(これは私にではなく、老人のカテゴリーに立派に入るウチのダンナさん宛です)が海外での主な手術にかかる費用の比較表を掲載しました(AARP
October/November 2014)。予想はしていましたが、何でもかんでもアメリカの医療費が異常に高いことに改めて驚かされました。
例えば、生死に関わる心臓のバイパス手術をアメリカで行うと88,000ドル、1千万円近くかかります。ところが、同じ手術をイギリスでは13,000ドル(150-60万円相当)、ポーランドでは7,140ドル(80万円相当)で行えるのです。しかも、イギリス、ポーランドも国民健康保険のシステムが行き届いていますから、個人負担はほとんどゼロに等しいと言います。
アメリカで大流行の人口膝、膝の関節にチタニュウムなどの金属を入れる人口関節手術はアメリカでは34,000ドル、コスタリカでは9,500ドル、インドでは7,500ドル、マレーシアでは12,500ドル、ポーランドで6.375ドル、タイで9,000ドル、イギリスで10,162ドルでできるとあります。
いくらアメリカ人に超デブが多く、その全体重を支えなければならない人口関節がキャタピラーのブルトーザーのように大きく頑丈に作らなければならいとしても、ポーランドの5倍、イギリスの3倍以上というのは、どうしてそんなに差が出てくるのか不思議です。
アメリカ以外の国、イギリス、ポーランド、コスタリカ、タイ、マレーシアがこのような外科の手術の後進国、技術が劣っているという事実は全くありません。逆に、アメリカの一般の外科医に比べ、それ以上の高い水準を保っているといいます。
そこで、そんなにボッタクラレルなら、外国に行って手術を受けた方が良いと、人がたくさん現れるのは当然のことです。飛行機、ホテルの費用を払っても、はるかに安上がりで、より良い結果が得られるのですから。もちろん、抜け目ない医療パッケージツアーを売り出す業者も現れ、手術を海外で受けた人は(2013年のデータですが)75万人もいます。これに入院をしなくて済む歯の治療を加えると、100万人を超すアメリカ人が海外で施術を受けています。
アメリカの医療システムは、確かに腐され切っています。病院は大きな全国組織になり、本社、支社、支店のように統合化され、それを保険会社が牛耳っているからです。 そして、薬品会社がそれに絡み、その薬を使ったお医者さん、病院へ、大きなキックバックがあります。
世の中、どんなに不景気になっても、アメリカでは保険会社と製薬会社と病院は、いつも儲けが大きい産業なのです。
第403回:
『ハラキリ』と言論の自由
|