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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第403回:『ハラキリ』と言論の自由

更新日2015/03/06



テロのターゲットになったフランスの風刺週刊誌『チャーリー・ヘブドー』がどんな雑誌だったのかインターネットで覗いてみたところ、なるほど右も左も、キリスト教もモスレムも、フランスで幅広い層を持つカトリックも、槍玉に上がっていない対象ないというくらい何でもぶっ飛ばせ、笑い飛ばせと、私の貧しいフランス語で充分笑える風刺画、パロディー満載で、さすがフランス人のウィットはそこまでやるかと思わせる内容の週刊新聞でした。 

この雑誌『チャーリー・ヘブドー』は、元々『ハラキリ』という名前で1970年に創刊されたことはご存知でしょうか。『ハラキリ』は1981年に一度破産宣告し、同じ編集スタッフが1992年に『チャーリー・ヘブドー』として再出発し、現在、45,000部売れているといいますから、ヨーロッパの週刊誌としては大変成功している…と言って良いと思います。

惨劇があったのが1月7日で、主だったイラストレーター、ジャーナリストが10人以上殺された翌日の1月8日に、生き残った僅かなスタッフが、この雑誌『チャーリー・ヘブドー』は休刊しないで、刊行し続けると発表し、テロに負けない姿勢を示し、13日に見事発行しています。そして、『チャーリー・ヘブドー』の1月13日号は、なんと300万部売れました。

確かに、風刺には上からモノを見て皮肉っているところがあり、一流のアート、ジャーナリズムではない…という意見が一般的ですが、誰しもマルセル・プルーストである必要はないのです。そのような風刺が許され、自分自身をも含め、この場合はフランスをも笑いの対象にできる社会は、とても健全だと言って良いと思います。

ところが、政府が及び腰で、自らの言論の自由を他国に蹂躙されるのを許していることがしばしばあります。以下は、うちのダンナさんの入れ知恵で調べたのですが、舞台は日本です。

1991年、筑波大学のキャンパス内で、五十嵐一(ハジメ)助教授がナイフでめった刺しにされ殺された事件です。五十嵐さんはサルマン・ラシュディーの『悪魔の詩』(The Satanic Verses)の翻訳者でした。サルマン・ラシュディーは、インド、ボンバイ生まれの非常に優れた小説家で、私も彼の作品が大好きです。表現、言葉の使い方が意表をつき、しかも的確でついつい引きずり込まれるように読んでしまうのです。『悪魔の詩』は、イスラム教の教祖ムハマンドの生涯を風刺した小説で、単なる風刺に終わらず、一つの立派な創作です。サルマン・ラシュディーは近いうちにノーベル文学賞を貰うのでは…と期待しています。

ところが、自分の宗教、心情にゆとりのない偏狭なイスラム教徒が、この本をめぐり暴力に訴え始め、当時、サルマン・ラディシュが住んでいたイギリスでこの本の発禁を求め8,000人のイスラム教徒がデモを行い、本を燃やすパフォーマンスを行ったりしました。そのイワク付きの本を五十嵐一さんが翻訳したのです。

時のイランの最高指導者、ホメイニ師が作者のサルマン・ラシュディー、ならびにその本の翻訳、出版に関わったものに死刑を宣告し、イランの財団はそれらの人を殺した人に報奨金として数億円相当を与えると宣言しました。それに吊られたのか、イスラムの熱狂的心情がそうさせたのか、イスラム教条主義者が五十嵐一さんを殺してしまったのです。

日本の警察もCIAもほぼ容疑者を確定していました。犯人はバングラディシュ人の留学生で、彼は事件当日に成田からバングラディシュに帰国しています。それにしても、ダラシガナク、毅然とした態度をきちんと示さなかったのは日本政府です。容疑者の引き渡しすらバングラディシュ政府に要請せず、日本から調査官も派遣していません。 石油を全面的にアラブ諸国に頼っている日本は、イスラム教徒を刺激し、石油の供給を止めらることを恐れた…と言われています。 

この事件は2006年に時効が成立してしまい、未解決のファイルに入ってしまいした。

自分の国の中でこのように言論の自由を壊し、無視する殺人事件が外国人によって起こされ、そのまま弱腰で泣き寝入りする国も、世界広しと言え、珍しいでしょうね。 これがヨーロッパやアメリカだったら…と思わずにはいられません。

この長いモノに巻かれ、石油には溺れる態度はその国の主権を侵されることを許し、また、自国内での言論の自由も、その程度だと取られても仕方がありません。

日本の言論には、まだ強いタブーがあるように思えます。天皇家に対する言論です。 それが良いというのではありませんが、誰も天皇家の人たちを風刺画に描いたり、サルマン・ラシュディーが教祖ムハマンドを風刺したように、天皇を描いた小説を書いたりしていないようなのです。 

ダンナさんによれば、戦後には天皇制廃止運動があり、そのような言動があったといいますが、今では天皇を茶化したり、グロテスクに風刺したら、アラブのテロリスト並みの右翼が、すぐに著者を日本刀で切り殺し、出版社に火を点けるのではないかと…言っております。

そんなことを恐れ、自分で自分の言論をコントロールし、制限することがあるとすれば、自ら言論の自由を放棄していることになるのですが…。


●あとがき: 以下、昨日のことはさっぱり思い出せないのに、昔のことは奇妙なほどよく覚えているダンナさんの入れ知恵です。
天皇制のことを指摘するなら、中央公論の社長だった嶋中事件のことを書け…と言うのです。

事件は1961年に大日本愛国党の少年が、中央公論誌に掲載された深沢七郎のシュールな小説『風流夢譚』が天皇を冒涜しているとして、社長の嶋中宅に押し入り、お手伝いさんを殺し、社長婦人に重症を追わせたもので、ダンナさんの解説によれば、この事件の奇妙なところは、被害者であり、言論の自由を守り、唄わなければならないはずの中央公論社が、何度も"お詫び"の広告を出し、編集責任者をクビにしたりしたことで、あきれ果てたことに、政府は言論の自由を守ろう、支持しようとする姿勢さえ見せず、逆に政府が中央公論を"皇室の名誉毀損"で訴えようとさえしたというのです。この事件で"菊のタブー"が固定されてしまった…と、普段世俗を離れ、仙人を気取っているウチのダンナさん、こんなことになると異常に憤るのです。

しかし、このような日本の言論の自由について"論陣"を張るのが私のコラムの意図ではありませんし、そのような能力も私にはありません…と、自分で規制してしまうことが、言論の自由を自分で崩していくのかな…という反省は大いにしているのですが…。

 

 

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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