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■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第417回:日本語講座の"センパイ"、デイナさんのこと

更新日2015/06/11



今年も卒業式のシーズンがやってきました。今年は一人のとても大切な生徒さんが卒業します。デイナさんといい、小柄でプクプクした芸術学部の女性です。彼女が私の初歩日本語講座に出てからもう6年になります。

まだ、日本語のイロハも知らないうちから、私の事務所に来て、何でもよいから日本と日本語のお手伝いをボランティアでやらせてくれないかと言ってきたのです。デイナさんは語学とはかけ離れた分野の絵画、彫刻、グラフィックデザインなどが専門です。語学のセンスも抜群に優れているわけではありません。しかし、彼女はジックリ型できちんと勉強し、一度習ったことは忘れないタイプで、耳と口が直結しているような語学の天才型の生徒さんを尻目に、着実に日本語を身に付けていきました。

デイナさんの優れているところは、私に対してでも、またどんな状況に陥っても、何時も日本語で話そうとすることです。それも、私がドギマギするくらいとても丁寧な日本語使うのです。2年目からはデイナさんを私の助手のように有給で働いてもらい、テストの採点なども任せられるようになりました。

私が教えている日本語は、ゴクゴク初歩的なものです。講座としては日本語第2コースまでで、本来なら、第3、第4コースまでの講座を設けて、本当に使える日本語を身に付けさせるまでやりたいのですが、私の専門の講座、言語学、英語学などもあり、とても手が回りません。大学当局との(主に他の言葉、スペイン語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、ギリシャ語との兼ね合いが大きいですが)方針もあり、日本語の第3、第4コースは開いていません。

ところが、デイナさんが主体になって、日本語の第3コースと第4コースを自分たちだけで、学生会館で始めたのです。私も時々そんな自主講座を覗きに行きます。彼らはとても真剣、熱心に勉強していました。私の日本語を追い抜くのは時間の問題という感じなのです。

もう一つ私の日本語講座の特徴は、すでに日本語第2コースまで終わった生徒さんが、また日本語第1コースや第2コースの授業に出てきて、初めて日本語を習う生徒さんたちの手助けをしてくれることです。私は彼らを"センパイ"と呼ばせています。この"センパイ"たちの中心がデイナさんで、恐らくこの5年間、彼女が日本語第2コースを終えてから、今まで皆勤賞に近い出席率で必ず顔を出してくれています。彼女に釣られて多いときには7人のセンパイたちが私の授業を助けてくれています。それに、日本人の留学生も加わりますから、私の日本語講座はとても賑やかなことになります。このようにセンパイ?が授業に参加し手伝ってくれる授業は、日本語講座の他にはあり得ません。

デイナさんはとても謙遜な性格ですから、人を押しのけて自分を前面に出すようなことはしません。この2、3年、本業の創作課題がとても忙しいのでしょう、手をイロイロな色に染めたまま日本語の授業に現れたりします。彼女の言葉を学ぶ秘密兵器は手です。新しい言葉やその使い方、言い回しなど、その場ですぐに自分の手の平や手の甲、そこがいっぱいなら腕にまで書き込むのです。そして、それを見ながら、実際にそれらの言い回しを自分のモノにするまで使うのです。ですから、デイナさんの手、腕は本業で付けたインクや絵具の他、日本語でいっぱいなのです。

彼女は日本語を学ぶだけでなく、むしろ貪欲なくらい日本全体を知ろうし、取り入れようとしています。デイナさんの丁寧な日本語、敬語(もちろん、敬語は外人にとても難しいので、トンチンカンな使い方もしますが)に初めて出会ったウチのダンナさん、「明治時代の女性に逢ったみたいだ」となかば呆れ感心していました。

デイナさんの卒業記念の作品展覧会とは別に、芸術学部では卒業論文も書かなければなりません。彼女が選んだのは日本の建築家、丹下健三で、彼の作品すべてを網羅し、それをスライドショーのように組み立て、丹下健三の足跡と建築に対する思想、そして彼が与えた影響の大きさに及ぶ立派なものでした。一体どれだけの時間をこの論文、スライドショー制作につぎ込んだことでしょう。道理でデイナさん、よく寝不足気味の顔で"センパイ"役に出てきたわけです。「先生、私生まれてくるところを間違ったようです。日本に日本人として生まれてくるべきでした」とマジメに告白してくるのです。

デイナさんとともに築いてきた私の日本語講座も、今年デイナさんが卒業してしまうと、全く違う教室になってしまうでしょう。デイナさんがいなくなるのはとても寂しいですが、デイナさんがこれから日本と自分の専門だった芸術とをどのように生かし、折り合いをつけていくのか、彼女の将来がとても楽しみです。

デイナさんのような人はもう二度と現れないでしょうけど、違ったタイプの"センパイ"が次々と現れ、初めて日本語に接する生徒さんに良いお手本を示してくれることでしょう。 

デイナさん、私は貴女と一緒に豊かで中身の濃い時間を共有できて本当に幸せでした。

 

 

第418回:消すことができない核の爪跡

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Grace Joy
(グレース・ジョイ)
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中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

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