犬山橋の船着き場の階段を上がると名鉄犬山線の踏切があった。そこは鉄橋の脇で、私はしばらく橋を眺めた。路面は取り壊されてしまい、鉄筋コンクリートの骨組みがむき出しだ。かつて道路併用橋だった痕跡はなく、何も知らなければ鉄道橋にしては幅広でゆったりしていると思うだけだろう。脇を歩道にしてくれたら楽しかったのに、と思う。もっとも、それは鉄道好きの理屈で、鉄橋の隣には新しい道路橋が架かっており、遊歩道のように幅広い歩道も整備されている。
犬山橋。かつては道路併用橋だった。
そこから犬山遊園駅は100メートルほどの距離だ。ホームの屋根の上にモノレールの車両が待機している。しかし平日だから閑散としていた。駅はひっそりとしており、私は忍び込むように自動改札を通り抜けた。この広いホームは、休日に大勢の家族連れで賑わうのだろうな、と思う。いまは私の他に若い女性がひとり。彼女は熱心に携帯電話を見つめている。横顔が美しいけれど、彼女は顔を上げない。
ちょっとだけ新型特急に乗った。
川下り舟で犬山遊園に着いたので、犬山駅からひとつ新鵜沼寄りに戻った格好になる。小牧線に乗り継ぐために、犬山駅に戻らなくてはいけない。やってきた電車は中部国際空港行きの快速特急ミュースカイだった。全車特別車だが、この時間はフリーきっぷで乗車しても良いことになっている。私は新型の特急電車に乗った。嬉しいが、たった2分で犬山に着いてしまった。いつか空港まで乗ってみたい。
名鉄小牧線の電車は銀色の車体にピンクの帯が入っている。名鉄の車体は真っ赤が基本だが、小牧線では地下鉄との乗り入れを機会に、この独特の車体を使っている。名鉄らしくないと思うけれど、よく見ると車体番号の書体が伝統の飾り文字風である。新しい電車で、車内も清潔感がある。路線のテーマカラーに合わせて、手摺りやウインドウスクリーンもピンク色。産婦人科の待合室のようだ。
名鉄らしくない銀色の電車。
電車は3つに別れる線路の真ん中を走り出した。左の広見線、右の犬山線は複線なのに、この小牧線は単線である。地下鉄に乗り入れる郊外路線なのに単線とは珍しい。ただし、小牧線は犬山から小牧までが単線で、小牧から上飯田までが複線になっている。小牧から名古屋中心方面が主で、このあたりはローカル線なのだろう。車窓には水田が広がっている。その向こうに低い山が連なっている。そのうちのひとつが小さな台形で尾張富士と呼ばれている。標高は277メートル。
味岡あたりから建物が増えるが、小牧線は高架線になるので見晴らしが良い。車窓左手の遠くに別の鉄道の高架が見えて、ドームタイプの駅の屋根が見える。あれが今回の旅のきっかけとなった、桃花台新交通だ。一大事業として造成したニュータウンへの足として作られたものの、利用客が伸び悩み、赤字解消のめどが立たずに廃止される。開業から15年半の短命路線。ピーチライナーという可愛らしい愛称も貰ったのに、新交通システムとしては初の廃止路線となった。
尾張富士を望む。
人口5万人の宅地造成計画で、実際の移住者は3万人弱。ピーチライナーの利用客数の計画は一日2万人。毎日総人口の3割が往復するという計画は妥当なものだった。しかし、これはニュータウンの住民がすべてピーチライナーを利用するという前提で、これが間違っていた。ニュータウンの人々のほとんどが自家用車を利用し、あるいは路線バスでJRの春日井駅へ向かった。
元々の計画が甘いと市民の批判に晒され、ゆえに税金からの補填も限界となった。だから廃線、というわけだ。田舎のローカル線ではなく、都市の交通手段である。やりようによっては成功したはずだし、東京湾岸のゆりかもめだって当初は無駄だと揶揄されたが、いまでは実績を上げている。無計画に生きている私が言うのもどうかと思うが、自治体が行き当たりばったりな計画を立てた結果がこうなってしまった。しかし、私はそんな路線の廃止にも振り回される旅人である。
ピーチライナーの高架線が見える。
名鉄小牧線とピーチライナーは、味岡の次の小牧原駅で接している。しかし始発駅はもうひとつ先の小牧である。東名高速と中央高速が接続する小牧ジャンクション、最近まで国際空港だった小牧空港など、小牧という地名は愛知県外にも交通の要衝として知られている。小牧市自体の規模は人口15万人の中核都市。かつては"小牧菜どころ米どころ"といわれた農村だった。しかし伊勢湾台風の被害を受け、その復興をきっかけに工業都市に変貌している。
名鉄小牧線の小牧駅は地下ホームだった。地上に上がると西側にバスロータリーがある。東側は薄暗い建物に塞がれている。その薄暗い建物がピーチライナーの小牧駅であった。名鉄の駅ビルとピーチライナーの建物の間に通路があり、壁に"バイク乗り回し厳禁"という張り紙がある。その隣には似たデザインの張り紙があり、外国語で書かれていた。英語ではない、というくらいしか解らなかったが、通りすがりの人に尋ねるとポルトガル語だそうだ。小牧は工場が多く、外国人労働者も多い。スーパーマーケットでもポルトガル語の店内放送が流れるそうだ。そういえば東武小泉線も外国人が多かった、と思いだした。彼らにとって日本は住みやすい国だろうか。
ピーチライナーの小牧駅。
時刻表の数字が少ない。
通路の先を歩くと高架のループ線がある。これがピーチライナーの折り返し設備である。ピーチライナーの線路は複線だが、終端駅にこのようなループ線を設置しているため、1本の輪を長く引き延ばした状態になっている。これは運行を簡素化するための工夫である。列車の運転台はひとつで済み、駅で折り返す時のようなポイント設備も要らない。輪にどんどん列車を入れることで、過密ダイヤも簡単に実現できる。皮肉なことに過密ダイヤを経験することはなかったけれど。
ピーチライナーの駅に入った。街中にある駅なのに閑散としている。カメラを構えたカップルと親子連れがいた。もともと利用客が少ない上に、廃止直前とはいえ平日だから静かなものだ。黒い礼服を着た老夫婦が窓口で駅員と話していた。そういえばお彼岸だな、と思い出す。「なくなるって聞いたら乗ってみたくなっちゃって」親戚の法事のついでに、ピーチライナーも弔うつもりらしい。
エスカレーターでホームに上がる。手入れが行き届いているのか、汚れるほどの利用者がいないのか、清潔なのに殺風景という印象だ。ピーチライナーの廃止の原因は計画の失敗である。歴史のあるローカル線のように、かつて賑わったけれど役目を果たし、惜しまれつつ引退、という状況ではない。だからちっとも悲しくない。そんな気持ちのせいか、なにもかもがネガティブに感じる。この駅の建物にしたって、「たっぷり予算を頂いて、とっても節約して作りました」という風情である。築15年といえば、建物としてはまだ新しいはずだが、古い雑居ビルのエレベーターホールのようである。
殺風景なホーム。
白い列車が到着して右側のホームでお客を降ろし、ループ線をまわって乗車ホームにやってきた。あのループ線にも乗ってみたいけれど、それはできないらしい。恨めしくループ線を眺めると、列車の後ろが間の抜けた表情である。運転台がないせいだが、もうすこし洗練されたデザインにはできなかったのだろうか。バスだって後ろはカッコイイのに、と思う。最後尾の車両の一番後ろは、まさにバスの最後部の座席にそっくりだ。
私は4両編成の一番前の車両に乗った。4両編成といっても車体が小さく、一両あたり、ふたり掛け座席が10席ほどしかない。その1両目数人の客がいて、全員がカメラを持っている。所要客は見あたらない。通勤時間帯以外は誰も乗らない路線なのだな、と思う。
しかし、列車に乗ってみればかなり楽しい。高架で架線柱のない線路は遊覧電車のようだ。窓が大きく、視界も開けて見晴らしが良い。静かな列車だから防音壁も低いようで、線路のそばまで街が見下ろせる。晴天の太陽が降り注ぎ、その暖かさが眠気を誘う。しかし目を開けていなくてはいけない。計画が杜撰だろうと、経営に失敗しようと、私にとっては愛すべき鉄道だ。しっかりと見届けたい。
ピーチライナーでニュータウンへ!
-…つづく
第165回からの行程図
(GIFファイル)