『ブレダ包囲戦』の成功はカロに経済的な余裕をもたらしました。注文を受けて刷り上げた作品は約束どおりイザベル総督に渡しましたけれども、元版は手元に置きましたから、もし購入したい人がいれば必要な部数を刷ることができ、アントワープの版画商などを介して売られもしました。
また復刻したフィレンツェ時代の作品も含めてカロは多くの版画を所有していましたし、版画家としての名声も手にしていましたから新たな注文もありました。さらにカロは活動の場をパリに移し、パリで版画商を営んでいた同郷のイスラエル・アンリエにも販売を依頼するなど積極的に自立の道を開拓しました。
カロの名はすでにフランスの王宮にも知られていて、ルイ13世から『ブレダ包囲戦』よりもさらに大きな戦勝記念版画『レ島攻防戦』『ラ・ロシェル攻城戦』(1.8m×2m)の注文を受けるなど、カロの版画家としての前途が大きく開けた感がありました。
『レ島攻防戦』『ラ・ロシェル攻城戦』は、第25回に登場したマリー・ド・ロアンの陰謀に巻き込まれた感のあるバッキンガム公がフランス本土に攻め上るべく兵を挙げ、フランス本土のラ・ロシェル近くのレ島に上陸して城を攻め落とし、さらにラ・ロシェルにまで侵入してきたことに対して、フランスの宰相リシュリュー枢機卿がこれを迎え撃ち、1627年にレ島とラ・ロシェルを奪い返したことを記念する6枚の大判の版画を貼り合わせた大版画で、完成したのは共に1631年です。
カロはこの作品のためにパリを拠点にして現地を訪れるなどしていましたが、しかし1630年、父親が死亡したためカロはナンシーに戻ります。この年から翌年にかけてナンシーではぺストが大流行しましたが、父親の死因もペストでした。
ナンシーに戻ったカロは、パリで描いたスケッチをもとに2点のパリの街の風景を版画にしました。歴代のフランス国王の王宮であり、現在ルーブル美術館となっている『ルーブル宮』と、シテ島をまたいでセーヌ川に架かる橋『ポンヌフ』です。どちらもこの当時から今に至るまでパリの名所であり続けている場所です。二点の作品を並べて見てみましょう。
ルーブル宮
ポンヌフ
『ルーブル宮』では、水上槍試合が行われているセーヌ川と、右岸にあるルーブル宮、そして左岸のたくさんの人がいる船着き場とサン・ジェルマン教会が描かれています。
『ポンヌフ』には、パリという都市の歴史の始まりの場所であるシテ島をまたいで右岸と左岸をつなぐ、1607年に出来たばかりの橋、ポンヌフが描かれていて、シテ島の奥の方にはノートルダム寺院の姿も見えます。
どうやらこの版画は人気があって大いに売れたようですけれども、印象的なのは、どちらの絵にも、本当に描きたいのはこれだと言わんばかりにそびえ立つ円柱形の古い見張り塔、ネールの塔が描かれていることです。ネールの塔というのは、14世紀の初めに、当時の国王フィリップ4世の息子の三人の王子たちの妻たちとノルマンディーの二人の騎士たちをめぐるスキャンダル、のちに『三銃士』で有名なアレクサンドル・デュマ(1802-1870)が書いた戯曲が公演され大評判になったことでも知られるフランス王家を揺るがした大事件の舞台となった場所です。関係者も多く、拷問あり告げ口あり処刑ありの、噂が噂を呼ばずにはいられないパリっ子好みの事件ですけれども、事件そのものは14世紀の初めであるにも関わらず、19世紀の人気演劇のテーマとなったくらいですから、この醜聞は語り継がれてカロの時代にも、人々の格好の話の種だったのでしょう。
このような噂話で重要なのは登場人物とシチュエーションです。つまりこのフィリップ4世の王家が潰える結果となったこの事件が、もし王宮内で行われていたのであれば、もしかしたら事件は闇から闇へと葬られていたかもしれません。何しろ当時の王家の結婚は基本的に政略結婚、つまり外交の重要な手段であって本人たちの恋愛感情などは二の次でしたから、結婚しても仲が良くない夫婦はたくさんいました。もちろん王子ともなれば財力はもちろん恋愛相手にも事欠きませんし息子を得ることも重要でしたから、王侯貴族にとって密かな恋は、なかば趣味のようなものでした。
とはいえ、その密会の場所がこのような、なんとなく怪しげな古めかしいネールの塔だったということが、噂に翼をつける格好の材料となりました。そんな王家にまつわる、いつまでたっても忘れ去られることのない醜聞のタネを断ち切りたかったのか、この塔はやがて1660年に撤去されますが、この絵を見ると、どうやらその頃からすでに解体の作業が進められていたように見えます。ちなみにこの絵に描かれているルーブル宮は、ルイ13世の時代までは歴代のフランス国王の居城でしたが、太陽王ルイ14世は、1682年に自らが創った華麗なベルサイユ宮殿が完成すると、さっさとそちらに住まいを変えています。
ところでこの二枚の絵で特徴的なのは、『ルーブル宮』が川上のポンヌフのあたりからの、『ポンヌフ』がその反対側からの眺めという、いわば一対の絵だということです。どちらもルーブル宮とポンヌフという、パリの心臓部の名所が描かれてはいますけれども、どちらかというと絵の主役は、やがて消え行くネールの塔のように思われます。絵の中の扱いも大きいですし、画家というのは、たとえ描く対象は同じであっても、描こうと思えばその対象をどんな角度からでも描けるということを考えれば、カロはこの一対の絵を、あえてこの位置から描くことを意図的に選択した、ということになります。
古い王宮と、新しく創られた橋。権力の象徴である王宮と、権威の象徴である教会、しかもよく見れば、セーヌ川の上の人々の情景も、かたや王が主催する船上の槍試合、かたや荷物を運ぶ庶民の姿。そこにも対となる要素が描かれています。そしてそれらの全てを見つめてきた、やがて消えゆくネールの塔。しかもネールの塔の解体は『ポンヌフ』の絵の方がやや進行しているように見えます。
カロがどうしてこの構図を選んだのかは、今となってはわかりません。ただ画家にとっては、言葉では表現できないこと、もしくは表現しにくいけれども、絵にすればインパクトを持つと思える情景、あるいは絵だからこそ表現しうる、言葉で言い表し得る意味を超えた何か、意味化しにくい何か、意味を言葉で言ってしまっては抜け落ちてしまいそうな何かを表現することが仕事です。
ましてやカロは、敢えて言えば、眼の知性ともいうべき感受性や判断力や対象の選択力や取捨力に富んだ画家です。そう考えるとき私には、この絵が高度にバロック的な絵に見えてきます。
人のイメージというのは不思議なものです。この塔を前に噂を口にする人々にとっては、石造りの塔を見てはいても、心が見ているのはその中で繰り広げられた諸々の華やかな、あるいは淫らなドラマです。つまりその人にとってリアルなのは目の前の塔ではなく、それによって喚起される想像の中の情景です。
人にとって幻想あるいはイメージが時に現実よりもリアルであり得るということは、バロックの時代の表現者たちの大きなテーマの一つでした。セルバンテス(1547-1616)は、自分を遍歴の騎士だと思い込み、目に映るもののすべてがその幻想を中心にして起きる出来事だとして滑稽な冒険をし続けるドン・キホーテを描きましたし、シェークスピア(1564ー1616)も、『リア王』や『真夏の夜の夢』などを通して、錯綜する幻想と現実とが織りなすドラマを描きました。
絵の世界でもスペインのスルバラン(1598-1664)は、壺や水差しなどの質感や色が異なる静物を並べた絵を、まるでそれらに人格や感性のようなものがあるかのように描きましたし、ベラスケス(1599-1660)もまた、『ラス・メニーナス』で、人間の知覚や認識の回路の面白さを、つまり絵そのものの中にではなく、人が持つ絵を認識する回路の中に見事に絵を描き込みました(拙著『天才たちのスペイン』未知谷刊、を参照していただければ幸いです)。
またガリレオ・ガリレイ(1564-1642)は、地動説のように、目に見えていることの向こうにある科学的真実、すなわち「もう一つの正しさ」を解き明かしました。
ちなみに当時は、グーテンベルクの活版印刷によって始まった印刷革命によって急速に本の出版が盛んになり、聖典である聖書も印刷されて出回ったため、聖書に書かれていることや、その文言に依拠した解釈を重視するプロテスタントとの闘いのなかで、教皇や教職者の地位や独占的見識を絶対視するカトリックの権威が揺らぎ始め、様々な「そうではない見方」が追求されました。
ルネサンスの時代では、リアルなものをよりリアルに、あるいは理想的なバランスで描くことが追求されましたけれども、カラバァッジオ(1571-1610)やベラスケスが、絵のこちら側の目には見えていない空間や気配や、人の認識回路の不思議さを描こうとしたように、バロックの時代においては優れた表現者たちは総じて、人間に特有の豊かなイマジネーションという力が生み出す幻想や、その確かさや、既存の価値観を脱したところに立ち現れてくる新たな価値や美のありようを見つめようとしていたように思われます。
またルイ14世が建造したベルサイユ宮殿に鏡の間があるように、ベネツィアが開発した今日的な成功な鏡が当時もてはやされ、極めて高価であると同時に、目の前にこちら側の景色を反転させて見事に美しく映し出す鏡は、画家の探究心を大いに刺激しました。その向こうには何もないはずなのにそこに明瞭に映し出されているこちら側の世界。鏡というツールがなければ、ベラスケスの『ラス・メニーナス』も生まれなかったかもしれません。
人間社会における時代というものは実に不思議なものです。時代に漂う美意識は、その時代を生きる人々に大いに、あるいは無意識のうちにも大きな影響を与えます。時代の美意識は、ある時ふいに輝いて力を持ち、そして何かの拍子にふっと色褪せます。ただ、ルネサンスやバロックや近代のように、ある価値観や美意識が長い間、社会のなかで影響力を持ち続ける時代もあります。
ここに紹介した一対のカロの絵は、一見もの静かな風景画に見えますけれども、いずれ消えゆく古びたネールの塔を敢えて主役に据えたり、いくつかの対照的な要素をさりげなく書き込んでいたりしていて、この時代の最先端の美意識の風が静かに、しかし確かに流れていることが感じられます。
-…つづく