カロはよほどコメディア・デラルテが好きだったのでしょう、あるいはその頃のフィレンツェにおいて、この演劇の存在はなくてはならないものだったということもあるでしょう。カロは『三人の役者』と題してコメディア・デラルテの代表的な役回りを24×15.2センチの比較的大きなサイズで描いています(1618-1619制作)。
コメディア・デラルテは、フィレンツェばかりではなく、その頃イタリア全土、さらにはフランスやイギリスなどヨーロッパ全体に大流行していました。さまざまな劇団があり、それぞれ十八番の演目を抱えて各地を巡業していました。面白いのは、第9話でも述べましたように、コメディア・デラルテは基本的に即興を重視する演劇ではありましたけれども、逆にキャラクターの設定は衣装も含めてほぼ決まっていました。
定型があってこその型破りということでしょうけれども、このことはコメディア・デラルテが、身体表現が大きな要素を持つ大衆に好まれた演劇だったということと大きく関係していたでしょう。登場人物のキャラクターがはっきりしているということは、たとえ役者や劇団が変わっても、衣装を見ればすぐに役回りがわかりますし、舞台の上でどのようなことが起きるかが想像し易いですからすぐに舞台に感情移入できます。その中で役者が予想外の言動をすれば、それはダイレクトに面白さにつながります。つまり分かりやすさと意外性が同居しているところにコメディア・デラルテの人気の秘密があったように思われます。
またコメディア・デラルテには、大きく分けて、劇場で上演されるものと、お祭りの際などに街頭や広場などで行われるものとがあったようです。どちらかといえば前者はストーリィや言葉のやり取りを、後者はアクロバティックな身体の動きを重視したようです。
カロはどちらも好きだったようですが、『三人の役者』では劇場で行われるコメディア・デラルテで重要な役回りを演じる三大キャラクターを描いています。最初に登場するのは『パンタローネ』です。

『パンタローネ』というのはベネツィア生まれのキャラクターです。商売で成功したお金持ちで、社会的な有力者となってもなおケチで傲慢で疑い深く、なのに儲け話には目がなく、しかも老人なのに女好きという設定。基本的に長いひげを生やして仮面をつけ、大きなマントを羽織り、赤いタイツをつけているのが特徴。
このような突っ込みどころ満載のキャラクター設定ですから、当然のことながら物語は何かと彼を中心にして回ります。強欲だということは儲け話に引っかかりやすいということであり、金持ちにありがちなことですが、偉そうにするわりにはケチで疑い深いことが災いして、下男や周りのものにブツブツ小言を言ったり辛く当たったりするので、みなから馬鹿にされたり、からかわれたりします。しかも若くて美しい娘を財力や陰謀でものにしようとして失敗して笑い者にされたりするなど、実によくできた分かりやすいキャラクター設定です。妻も妾もいるのですが、どちらもほかの男に首ったけという踏んだり蹴ったりで、どこかお人よしのところもあるので、何かと騙されたりもするのでしょう。
画を見れば、左手には『パンタローネ』にはなくてはならない財布を持っているようですし、偉そうな割りには小心で疑り深い感じが実によく表されています。しかも立派なマントに右手を隠して、何か企んでいるような気配もあり、老人で若干腰が曲がってはいても、まだまだ足は筋肉質でしっかりしていて、意外と機敏な動きも場合によってはできそうです。
この画は役者を描いたものなので『パンタローネ』が前面に大きく描かれていますが、実際には、遠景に描かれている舞台で演技を繰り広げるのでしょう。大勢の観客の姿が描かれていますし、カロにしては静的な画面にサインでもするかのように、右下に観客よりも大きな三人の人物を配して遠近感をさらに誇張しています。
二番目は『カピターノ』です。軍隊長という意味で、一般に美男子が演ずることが多いので仮面はつけていません。体にピッタリ合った軍服を着て細い革ベルトをウエストに巻き、おしゃれな帽子をかぶり、長い剣を下げてキザな口髭を生やしています。どこどこの戦で手柄を立てたとか、こんな活躍をしたとか、いろんな自慢話をするのですが、周りからは一部の崇拝者を除いてほとんど信用されていません。手柄話はどうやら作り話か、他の勇者の手柄を自分のことに置き換えて吹聴しているようで、それというのも実際はとても臆病で、本当に戦に出たのかも怪しいというキャラクター。カロの画の顔の表情には、少し気弱そうな感じがよく出ていますし、腰も若干引けているようです。
これを見ると舞台はずいぶん作り込まれた立派なものだったことが伺えます。人気の一座の評判の演目は長期公演なども行われたのかもしれません。

三番目は、コメディア・デラルテにはなくてはならない人気キャラクター『ザンニ』です。

ザンニは身なりを見てもわかるように、他の二人に比べて粗末で、だぶだぶのズボンにありふれた上着、粋がって羽をつけている帽子も半分壊れています。身分としては元々はパンタローネなどの初老の召使という設定ですが、ヴァリエーションが多く、アルレッキーノやアルルカンやスカピーノやピエロなどはザンニから派生した役回りです。下品で乱暴な言葉遣いや、主人を主人とも思わないような振る舞いをしますが、なかなかずる賢くて頭が回り、いたずら好きなところもあって、いろんな人を騙したり罠にはめたりして、他のキャラクターを事件に巻き込んで舞台を面白くする道化、いわば狂言回しです。動きもせわしなく、神出鬼没で何かと走り回ったりするトリックスターで、刀のようなものを持っていますけれども、これは木製、つまりなまくら刀です。カロの画には、ほんの少し背中を丸めて、すぐにでもアッカンベーをしそうな雰囲気のザンニの姿が描かれています。
コメディア・デラルテの人気が、バロックの時代のシェークスピアなどの演劇の登場にもつながっていったわけですけれども、それにしても、役者が役を演じ、それを観客が見て楽しむという演劇は、人間が持つ抽象力と想像力と言語能力と身体能力などが一体化した実に不思議な娯楽、あるいは芸術です。
日本の能もそうですけれども仮面劇には独特の奥深さがあります。仮面には二つのマジカルな力があり、一つはそれによってキャラクターの特徴と役回りをピンポイントで設定することができますし、その設定を観る方が容易に共有することができます。もう一つは仮面をつけることによって役者が、自分という存在から離れてそのキャラクターになりきることを助けるからです。
舞台の上の役者のやり取りに、怒ったり笑ったり、ある役に自分を同化させて涙を流したり、日常のどこにでもあるような人間と社会とが織りなす喜びや悲しみやその機微を、抽象化し増幅させ虚構化したものとしての演劇を、人が創り出せるという不思議と、それを見て感動し、あるいは心の中にわだかまっていた何かを発散することができるという不思議。
極めて人間的な不思議が溶け合ったものとしての演劇には、人間という存在の不思議と秘密が凝縮されているように思われます。カロもまたその魅力に取り憑かれた一人だったのでしょう。
-…つづく
