アンリ大公から年金をもらえる身分になったカロですけれども、カロの創作意欲を刺激するような注文も特になかったからか、あるいは貧しい人たちを描いた『男爵大将』の評判が良かったからか、カロは1624年に『ロレーヌの貴族たち』と題して、9.2㎝×14.4㎝のサイズの12点の版画を制作しています。
描かれているのはロレーヌ公国の上流階級の人々です。『男爵大将』に登場した、ボロボロの服を着ていた人たちとは大違いで、みんな実に手の込んだ豪勢な衣服を身につけています。
構図も、人物だけ描かれていた『男爵大将』とは異なり、背景にその人物とのつながりがありそうな景色が描かれています。カロが得意とする表現ですが、登場人物はナンシーでは名の知れた人たちなのでしょうから、本人の姿だけではなく背景を描いたのは、この人たちの身分を成り立たせている社会的な背景を描き込んだ方が、おそらくはこの人たちの心象もよく、それが版画の売れ行きにも関係すると踏んでのことでしょう。
ヨーロッパは今も昔も階級社会です。貴族階級と労働者階級との住まいや服装や暮らしぶりの差は歴然としています。ただ、王家がどうして王家で、公爵がどうして公爵なのか、一体全体何の理由でそうなったのか、ということに関しては、それなりの物語があるでしょうけれども、突き詰めて考えてみると、本当のところはよくわかりません。
もっと不思議なのは、その身分がどうして息子や孫に引き継がれるのかということです。かりに先祖の誰かが、その辺り一帯の人々の危機を救う働きをしたとして、人々がそれを感謝してその人に名誉ある地位を与えたとして、どうしてそれが代々受け継がれるのかに関してはよくわかりません。たぶん、昔からそうだったからとしか言いようがないことなのかもしれません。
イギリスなどは小さな王国の集合体ですけれども、その王国の城主は、たとえば昔むかしにその辺りを平定した、あるいは外敵から護った騎士だということになっていて、その騎士がいつの間にやら貴族となり、その家系が領主《ジェントリー》としてその地を治めているのだということになっていて、今でも広大な土地を所有していたり、貴族院の議員だったりします。
それが慣わしだと言ってしまえばそれまでですけれども、でも、どうしてそういうことが延々と続いているのかに関しては、よくわかりません。フランスもそうですし、世界中でそういうことが当たり前のようにして行われています。
ロレーヌ公国でもそうなのでしょう。大公がいて、いろんな貴族がいて、そういう人たちは屋敷や領地を持っていますから食べるには困りません。ただ何処かの国が攻めてきたりすれば、もちろん戦士たちを率いて、あるいは溜め込んでいたお金で傭兵を雇って戦わなくてはなりません。それをしてこその貴族、ということに建前としてはなっています。
ただ先祖の騎士はそうだったかもしれませんけれども、だからと言ってその子孫も勇者だとは限りません。ましてや身分が代々子息に引き継がれ、そういうことが常態化すると、そのうちそういう役目そのものが曖昧になって、王であること自体が重要で、王が民の上に立つということや貴族が広大な領地を所有して小作人を働かせることが当たり前のことのようになっていきます。
戦時でも、王侯貴族や騎士が方針を決めたり指揮をしたりしたとしても、実際に戦うのは、そして戦死したり負傷したりする人の多くは下っ端の兵士たちです。『男爵大将』に登場した人たちも、そういう人たちだったかもしれません。
ともあれ版画を見てみましょう。『大貴族』と題された版画には、豪華なコートを颯爽と羽織って真新しい帽子を手に持つ人が描かれています。靴には飾りまでついています。向こうに見えるのはおそらく彼の領地でしょう。

大貴族
『大きな羽飾りのついた帽子を被った戦士』という版画には、戦場を背景に、剣に手をかけた勇ましそうな若者が描かれていますが、随分立派ないでたちですから、位の高い戦士で、おそらく良家のおぼっちゃまなのでしょう。

大きな羽飾りのついた帽子を被った戦士
『大きなマントの女性』の背景には、教会から出てくる大勢の人が描かれていますから、おそらく温和な表情をしたこの人は信心深い女性だったのかもしれません。

大きなマントの女性
『毛皮のジャケットを着た貴公子』や『手を組んだ貴公子』も、いかにもという感じですけれども、それにしてもみんなかなりオシャレで、この頃は男性もファッションには随分気を使ったということでしょう。もちろん平民はこんな服装はできませんから、服装そのものが彼らの身分の象徴でもあったのでしょう。毛皮のジャケットの男性の革のブーツには拍車がついていますので、後ろに描かれている馬は彼の馬で、二人の男性は従者なのでしょう。

毛皮のジャケットを着た貴公子

手を組んだ貴公子
『仮面をつけた淑女』はこれから舞踏会か何かに行くのでしょうか。ずいぶん豪華なドレスです。手には一輪の花を持っていて、これはもしかしたら踊る相手に手渡すためのものかもしれません。背景には同じように着飾った貴族たちや馬車が描かれています。

仮面をつけた淑女
当時の貴族たちの様子が、こうして絵に描かれたおかげでよくわかりますし、全体に綺麗に彫られていますけれども、『男爵大将』の貧しい人たちに比べると、版刻された線に力強さがありません。版画の点数も、『男爵大将』は25点、『ロレーヌの貴族たち』は12点ですから、画家としてのカロの興味は、どちらかといえば貧しい人たちの姿の方にあったのでしょう。
-…つづく