カロは1622年、ナンシーで約6.2㎝×8.7㎝の大きさの21点からなる銅版画『いろんな異形の人々』を制作しています。ナンシーではカロは、ジャック・カロという本名を名乗るようになりますけれども、この作品の表紙にはフィレンツェ時代の作家名、ヤコポ・カロと版刻されていますから、フィレンツェにいた時からすでに、このようなテーマの作品を創ることを考えていたのでしょう。ただ表紙以外は描きためたスケッチをもとに、ナンシーで版刻しています。
このシリーズに登場するのは全員、成人しても背が極端に低かったり、背中が曲がっていたり、コブがあったりなど、周りの一般の人々とは異なる身体を持って生きる人々が描かれています。
生まれつきであれ病気によるものであれ、そのような体になった理由は様々でしょうけれども、たとえ姿形がいくぶん異なっていたとしても、歳を重ねて大人になり、長生きをする人たちはたくさんいました。
もちろん生きていくためには食い扶持を稼がなくてはなりません。ルネサンスからバロックの時代にかけて、このような人たちのなかには、たとえば音楽家などの芸人になる人もいましたし、コメディア・デラルテのような演劇一座の団員になったりする人もいました。そこでは、異形であることを逆に活かすこともできたからです。
また当時は、カロより7年後の1599年に生まれたベラスケスが油絵に描いているように、王宮や貴族などが、そのような人たちを召し抱えることが一つの流行ともなっていました。
『ラスメニーナス』には、幼い王女のお付きの遊び友達のようにして、子どもと同じような背の高さの大人の女性が描かれていますし、ほかにも王子のお世話係だったセバスチャン・デ・モラや、大きな本を開いているディエゴ・デ・アセドなどが、ちゃんとした身なりをしたひとかどの人物として描かれています。
同じようにカロも、フィレンツェの宮殿や劇団にいた異形の人たちを目にしていて、いずれ版画にしようと思ってスケッチをしていたのでしょう。面白いのは、カロにせよベラスケスにせよ、画面からは蔑視の気配が感じられません。おそらく彼らを差別的な目で見ているわけではなく、画家の目に彼らが興味深い画題《テーマ》として写ったということなのでしょう。
それに加えて、他者を差別することで自分の優位性を保とうとするような卑しい感覚の持ち主はいつの時代にもいますけれども、この時代には、このような人々には神秘的な生命力、あるいは一種の神通力が宿っていると考える人たちも多くいました。だからこそ王侯貴族が彼らを屋敷に住まわせたり、子どもの遊び相手や世話をする人として身近に置いたりもしたのでしょう。
それではカロが描いた『いろんな異形の人々』を紹介します。

表 紙

L'homme s'appretant a tirer son sabre
剣を抜こうとしている男

L'estropie a la bequille et a la jambe de bois
松葉杖と木製の脚を持つ不自由な人

L'homme au gros ventre orne d'une rangee de boutous
ボタンで飾られた大きなお腹の男

L'homme au gros dos orne d'une rangee de boutons
大きな背中にボタンがずらりと飾られた男

L'homme au ventre tombant et au chapeau tres eleve
垂れ下がった腹と高い帽子の男

Le joueur de violon
ヴァイオリン弾き

L'homme masque aux jambes torses
仮面とねじれた脚の男

Le jouer de Flageolet
フラジオレットの演劇

L' homme raclant un gril en guise de violon
ヴァイオリンのように鉄板を削る男

Le comedien masque jouant de la guitare
ギターを弾く仮面芸人

Le bancal jouant de la Guitare
ギター弾き語りのふらふらさん
人は皆、顔も声も体格もみんな違います。ですから、何が普通かという基準は、考えてみれば曖昧でよくわかりません。ジプシーや日本の穢多や部落民と呼ばれた人たちのように、姿形が同じなのに差別される人もいれば、王族のようになぜか敬われる人もいます。もしかしたら人は何かにつけて、自分より下、自分より上というような感覚を持ちたがるのかもしれません。
しかし世の中にはいろんな人がいます。走るのが速い人や遅い人も、計算が得意な人や歌を歌うのが得意な人、サッカーが好きな人や相撲が好きな人、背が高い人も低い人も太った人も痩せた人も、赤ん坊も年寄りも目が見えない人も声が出せない人も元気な人も病気の人も、人はそれこそ身体的なことや得意なことや苦手なことなどを含め千差万別です。
だから変な基準値を定めたりしなければ、どちらかが絶対的に優れているなどということはあり得ません。背が高ければ便利なこともあれば不便なこともあります。目が見えない人の中には聴覚や嗅覚が優れていたりする人はたくさんいます。まだ何もできない赤ん坊は、それでも周りの人に笑顔をもたらしたりします。お相撲さんやスター歌手だって、それを楽しむ人がいなければ仕事そのものが成り立ちません。
そう考えていくと、人間が創り出した社会という仕組みの不思議さが自ずと浮かび上がってきます。それは端的に言えば、人や人の感覚や営みの多様性を活かして多様な人々が共に助け合って生きていくための仕組みにほかならないということです。地球上に生を受けたもののなかで、そんな仕組みを創り出した動物はほかにはいません。
人は想いや目的を共有し協働して生きていくために、言葉や音楽や数字や踊りや絵や様々な道具を編み出し、それらを駆使して食料を得、また物語を創りそれを共に楽しみ、文字を創り本を創り歌を創りレコードを創るなどして人の心を育む文化を創りそれを共有してきました。
そして家を創り衣服を創り街を創り、薬を創り病院や学校を創り、義足を創り車椅子を創り、医者や看護師などの役割を創り、自動車や飛行機やコンピュータなどを創り、多種多様な営みのありようを創って共に生き延びてきました。つまり「文化」と「社会という仕組み」は、人が人として生きていくために人間が創り出した最大の発明です。
もしわずかな目や口の動きを文字や音声に変換する機械がなければ、ホーキング博士の宇宙観を誰が伺い知ることができるでしょう。もしピアノがなければ、目が見えない人の心が奏でる音楽を誰が聞くことができるでしょう。文化は常に創られ続け、社会という仕組みはたとえ不完全ではあったとしても人は、工夫に工夫を重ね、たとえば金がない人もある人も共に人として生きていけるようなものに、あるいは特殊な何かを利用する術や知恵を求めながら、さらにはあらゆることに今は目には見えないかもしれないけれども、もしかしたらあるかもしれない可能性を見出すことで、より多様な人々がより多様な生き方をして生きて行き得るようなものへと少しづつ育ててきました。
そう考えるとき差別は、そのようなものとして人間が創り育ててきた社会という仕組みの本質や可能性に思いが至らない愚かさの表れとして映ります。つまり多様性は、人の心とより多様な営みのありようを見出し、社会という仕組みをより豊かに人間的なものにするための秘密の鍵なのだと思えてきます。
カロが描いた、一見ちょと奇妙かもしれないけれど、でもよく見ればそれぞれ愉快なところがある異形の人たちを見ていると、ふとそんなことを思います。
-…つづく