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■店主の分け前~バーマンの心にうつりゆくよしなしごと
 

第433回:流行り歌に寄せて No.233 「もう恋なのか」~昭和45年(1970年)

更新日2021/11/18


この人が登場してきたとき「なんてかっこいい人なんだろう」というのが第一印象だった。現在の短髪姿ではなく、長い髪を七三に分けた精悍な顔立ち、背がすらっと高く、足も長い。歌わせても高音が伸びる魅力的な声である。私は、当初彼の声は熱々のトーストに塗るバターのようだと思った。

当時さかんに行なわれていた「芸能人大運動会」のような番組では、同じ年にデビューしライバルとされていた野村真樹とともに、抜群の運動神経を披露していたものである。

それもそのはずで、地元大分県の高校の時は体操選手としてオリンピックを目指すほどの実力者だったという。けれども、177cmという身長は体操選手としては高すぎたようだ。彼は体操を続けるのを断念する。

高校を卒業した後、社交ダンスの講師だった父親の勧めで、別府にあるナイトクラブ『ナポリ』で楽器の演奏をしたり、時には歌ったりしていた。父親が高校を出たての息子の就職先にナイトクラブを紹介するというのは、ちょっとレアケースだと思うのだが。

そして『ナポリ』にたまたま遊びに来ていた鹿児島の天文館の『キャバレー・エンパイア』の創業者吉井勇吉が、にしきのの歌を聴き「うちで歌わないか?」と誘ってきたという。この人は、森進一を発掘したことでも知られていた。

その『キャバレー・エンパイア』で3ヵ月ほど歌っていたが、その頃浜口庫之助を紹介されて上京する。そして赤坂のハマクラ先生の自宅に住み込み、運転手を務めながら、毎日厳しいレッスンを受け、ついに昭和45年(1970年)5月1日、先生の作詞・作曲による『もう恋なのか』でCBSソニーから、レコードデビューを果たすことになった。

こう書いていると、何かトントン拍子でデビューを果たしたように見えるが、にしきのが『ナポリ』で働き始めてから3年の時間が流れている。

昭和23年12月生まれの彼は、21歳でのデビューだが、レコード会社と所属事務所の方針で3歳若い昭和26年生まれということにしてデビューした。前記の3年間がショートカットされた形である。そして、彼のキャッチフレーズは「ソニー演歌の騎士(ナイト)」であった。


「もう恋なのか」  浜口庫之助:作詞・作曲  森岡賢一郎:編曲  にしきのあきら:歌

 
恋というもの 知りたくて

あの娘の名まえを 呼んでみたら

俺の心の かたすみを

冷たい夜風が 吹きぬけた

ああ この淋しさは もう恋なのか

ああ この淋しさは もう恋なのか

 

大人になりたい 頃がある

恋を知りたい 頃もある

あの娘の笑顔も 約束も

信じられない ことばかり

ああ このむなしさは もう恋なのか 

ああ このむなしさは もう恋なのか

 

死ぬということ 知りたくて

月の光に 照らされた

冷たい線路を みつめていたら

いつか涙が こぼれてた

ああ この悲しみは もう恋なのか

ああ この悲しみは もう恋なのか

 

私の大好きなハマクラ先生の作品である。歌詞をよく見ていると、1番と3番は同じ形式の詞だが、2番だけ様子が違う。

大作家の作られた作品に、勝手な推論を考えるのは不遜な行ないだと思うが、おそらく先生は、1番と3番の詞が先に頭に浮かんだものだろう。

3番までの詞を書くのに、一番苦労するのが2番の歌詞だと、どこかの作詞家が言っていた気がする。これは朧げな記憶なので甚だ心細いのだが、2番だけが趣の違う言葉が並んでいるものは少なくないようだ。

少し話が逸れるかも知れないが、これは以前このコラムにも書いたことで、『人生劇場』『柔』『兄弟仁義』の男の心意気あふれる硬派と言われる三曲は、それぞれ2番だけが恋心を綴った歌詞になっている。2番だけが軟派なのである。こういう構成はあるのだ。

さて、我がハマクラ先生は、この2番で「あの娘の笑顔も約束も、信じられないことばかり」と全体の中で、ただ1箇所だけ彼女と主人公の青年とのやりとりが伺える歌詞を書いた。

これが効果を出している。1番と3番だけの歌詞であれば、あくまで青年の心象を追ったものだが、2番の導入で曲の世界が立体的になった。彼女が差し向ける笑顔や言葉に翻弄されながらも、それが恋なのかと問い続ける姿が、いじらしくさえ思えるのだ。

にしきのあきらは、この曲でこの年昭和45年(1970年)の第12回日本レコード大賞・最優秀新人賞を獲得し、新人賞受賞のライバル野村真樹から一歩リードした。そして、同年の第21回NHK紅白歌合戦にともに初出場を果たしている。

その後、昭和57年(1982年)に野村真樹は野村将希に、平成12年(2000年)ににしきのあきらは錦野旦に改名しているが、二人の本名が野村正樹、錦野明とそれぞれ音で言えばまったく変わっていないのが興味深い。

二人とも、昨年芸能生活50周年を迎えたが、コロナ禍のため華やかなお披露目ができなかったことだろう。少し遅くなっても、ぜひ開催していただきたいと思っている。

 


第434回:流行り歌に寄せて No.234 「京都の恋」~昭和45年(1970年)


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金井 和宏
(かない・かずひろ)
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1956年、長野県生まれ。74年愛知県の高校卒業後、上京。
99年4月のスコットランド旅行がきっかけとなり、同 年11月から、自由が丘でスコッチ・モルト・ウイスキーが中心の店「BAR Lismore
」を営んでいる。
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