第57回:西部劇名作選 番外編 No.23 【最終回】
デルマー・デイヴィス監督 『決断の3時10分』(原題:3:10 to Yuma;1957年)
原作はエルモア・ベナード(Elmore Leonard)の同名の短編小説で、後に彼が語ったところによると、数ある西部劇小説雑誌の一つの『ポピュラー・ウェスタン』に、1語2セントで書いた、1番目か2番目のモノだそうだ。そんな雑誌に目を通すくらいだから、監督デルマー・デイヴィス(Delmer Daves)も相当な西部劇狂だったに違いない。

『決断の3時10分』 1957年版のポスター
緊迫感があふれている
映画化されたのは1957年で、主演はグレン・フォード(Glenn Ford)、ヴァン・ヘフリン(Van Heflin)でこの二人が秀抜な演技を見せている。ストーリーは駅馬車を襲った悪役カウボーイグループのボス、グレン・フォード演ずるベン・ウエイドを不在のシェリフに代わって、イチ農夫のダン・エヴァンスが護送し、午後3時10分の列車に乗せことができるかどうか、ベンの一味が救出のため襲撃してくるのをかわすことができるのかが大筋になっている。しかしそれ以上に、ベンとダンの駆け引きが見もので、一種の心理劇をカタチ作っている。
グレン・フォードは映画の4分の3は手錠をかけられたままで、貧しい農夫のダンがこの護送の仕事を200ドルで引き受けているのを知り、大金を払うから手錠を外せ、お前一人で7人の俺の仲間に対処できるわけがない、無駄死にするな、妻や子供のことを考えろと、盛んに誘惑する。決してガンマンではない農夫のダンは、ベンの誘惑に心動かされながらも午後3時10分、ユマ行きの汽車に載せることに頑固に拘る。
そしてベンの仲間が持ち伏せる停車場に汽車が到着し、短い乗降時間が過ぎ、列車は動き出す。機関車が始動の時に吐き出す蒸気で視野が塞がれた時に、ダンはベンを貨物列車に投げ込むように乗せるつもりだった。ベンはいくらでもその瞬間に逃げることができたのに、どういうわけかベンは自らダンと一緒に貨車に飛び込んだのだ。
ベンはお前が必死になって、自らの命を賭けてまで俺を護送している姿に“男”を見たからだと、呟くのだった。
これで映画は幕となる。
この二人の俳優、グレン・フォードとヴァン・へフリン(シェーンでも無骨な農夫役を演じていた)の駆け引きが上手い。手錠をかけられたベンはクールに構え、ダンの方は顔面に汗が噴き出るほど興奮し、緊張している。精神的、心理的に優位に立っているのが逮捕され、手錠をかけられているベンの方なのだ。グレン・フォード、ヴァン・へフリンともに彼らのキャリアの中で最高の演技を見せていると思う。
この映画には決闘シーンはなく、インディアンの襲撃もない。悪党たちの乗馬は見事だし、馬を降りる時など、飛び降りるかのようだ。しかし、これはフルアクション西部劇ではない。
だが、デルマー・デイヴィス監督は詩情あふれる西部劇の背景を映し出している。アリゾナの風景をフンダンに見せてくれる。白黒映画の妙と呼べば良いのだろうか、背景が生きているのだ。

『3時10分、決断のとき』 2007年版のポスター
これはこれで楽しめる活劇になってはいるのだが…
『決断の3時10分』は2007年に『3時10分、決断のとき』(ジェームズ・マンゴールド監督)として、ラッセル・クロウ(Russell Crowe)、クリスチャン・ベール(Christian Bale)、ピーター・フォンダ(Peter Fonda)が主演でリメイクされた。人気俳優を使い、また大掛かりなセット、エキストラを駆使した、近年稀にみる大型西部劇なのだが、活劇の駄作に堕している。
第一、ストーリーの結末まで活劇、ガンファイトに変えてしまい、護送される犯罪者と護送する臨時保安官補の緊迫した心理が全く削られているのだ。その代わり派手なガンファイトはフンダンにあるのだが…。原作者エルモア・レナードの嘆くことよ。
筋肉マッチョのラッセル・クロウとクリスチャン・ベールの人気スター、そして製作費も5,000万ドル以上をかけた近年滅多に見ない西部劇大作なのだが、半世紀前の名作には遠く及ばない。豪華キャストで派手なアクションが多くても、緊張感は失せる。一作目を見ていないなら、活劇としてそれなりに楽しめるだろう。だが、西部劇不毛の時代になった感を強くした。
戦後、マカロニ・ウエスタン(スパゲティー・ウエスタン)が全米だけでなく、世界を風靡したように、ユニークな作品を作り続けている韓国映画界がキムチ・ウエスタンを製作してハリウッドにカツを入れてくれないものだろうか。
名作である第1作目とリメイクがこうまで違った仕上がりになるという意味では、両方を改めて観る価値があるのかもしれない。
今回で、極私的な『西部劇名作選ベスト20 +アルファー』を締めくくることにする。それにしてもこんなに西部劇映画をよくぞ繰り返し観続けたものだと自分でも呆れる。連れ合いにも「これ、もう観たんじゃないの?」と何度も宣言されたほど、内容、筋が似通ったモノが多かった。
今もって不思議に思うのは、中学、高校時代にあれほど感動した西部劇を今、80歳を目の前にし、観て、こんなどうしようもない駄作にどうして頭がボーとなるほど心を動かされたのか分からない。きっと西部の汗臭い男たちに自分を投入していたのだろう。
大人の童話である西部劇は、一時代“若者よ、西部に向かえ!”という言葉が多少なりとも夢と野心を持つ東部の若者を惹きつけたように、現代に至るまで大人の、成長しきった男たちにさえ微かに残っている大西部への憧れを焚き付けているのだろうか。
-完
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