第56回:西部劇名作選 番外編 No.22
リチャード・ハリス主演 『馬と呼ばれた男』(原題:A MAN CALLED HORSE;1969年)
言ってしまえば、スー族の文化にのめり込んだイギリス貴族の物語で、この映画が評判になったのはスー族の残酷にも見える儀式を全面に映し出したからだろう。
今回この名作選を書くに当たって、日本で、中学、高校、大学時代に観て印象に残った映画をもう一度地元の図書館、大学のフィルム・ライブラリーから借りて観直した。そして、そのほとんどがとんでもない駄作で、若い時になぜあれほど感激し、食い入るように観たのか信じられないほどだった。雄大な風景の中を馬を駆って行き交う汗臭い男たちを観るだけで興奮していたとしか思えない。私は映画評論家の目を全く持ってはいなかったのだ。
そして、今住んでいるコロラドに越してから、テレビに西部劇だけを24時間流しているチャンネルがあり、加えて、ブラックバスタービデオで借り出し、その後DVDを連れ合いが働いていた大学のフィルム・ライブラリーなどから借り、恐らく200本近くの西部劇を観たと思う。
スペインに住んでいた時、映画館に通ったことがある。当時、まだスペインで映画産業が盛り上がっておらず、もっぱらイタリア映画、3、4年遅れのハリウッドモノをスペイン語に吹き替えて上映していた。
イタリアといえばルキノ・ヴィスコンティ、ピエトロ・ジェルミ、フェデリコ・フェリーニ、ロッセリーニ、果てはパゾリーニと、名監督がズラリと居並び、名画ずくしだと思い込んでいたとろ、スペインに入ってくるイタリア映画はすべてと言っても許されると信じているが、コメディ、ロマンス、中世の騎士モノ、その中でも圧倒的人気があり、大半を占めているのがセックス・コメディーで、ポルノ解禁前だったこともあり、マドリッドの目抜き通りに並ぶ封切り館は軒並みイタリア映画に占領されていた感があった。もちろん、小さなアートシアターで、名作を細々と上映していたとは思うが、目抜き通りの封切り館は思わせぶりたっぷりなイタリア女優の大きな立て看板で占められていた。
映画界の広い底辺はイタリアならセックス・コメディー、アメリカなら西部劇とホームドラマが占め、そこから極々わずかな秀作、名作が生まれてくるもののようだ。
当時、スペインで上映される外国映画はほとんどすべてスペイン語に吹き替えられていた。ジョン・ウェインもゲリー・クーパーもメキシコ・アクセントのスペイン語を話していた。
そんな吹き替えでこの『馬と呼ばれた男』をスペインで観たのだ。
リチャード・ハリスが演じるジョン・モーガンはスー族の囚われの身になり、なんとか脱出しようとするが、脱出に失敗した奴は膝の後ろの腱を切られ、歩行不可能な状態にされたのを目の当たりにし、スー族に同化しようとする。初めは、スー族の野蛮な風習を毛嫌いするが、次第に同化していく。

A MAN CALLED HORSEのポスター(1969年)
その過程で両胸を貫いた細いロープで身体全体を柱から吊られるという試練を経る。これが見せ場になっている。西部劇多しといえども、このような儀式を映した映画は観たことがない。他にはないのではないだろうか。
スー族と敵対するショーショーニ族との戦いがあったりで他の見せ場を作ってはいるが、西部劇独特のガンファイト、決闘、サローン・バーの乱闘などはない。
ジョン・モーガンは様々な試練に耐え、スー族の戦士とみなされるに至り、シュンカワカン(Shunkawakan)、スー語で“馬”という名を与えられる。
もう一つ印象的な場面は、貴族のジョン・モーガンがイギリスの緑に覆われている邸宅に帰るところがある。そんな豪邸にいて乾き切ったスー族の住む荒地、未開なスー族との暮らしが心に焼き付いている自分を見るのだが、豪邸を囲む緑とスー族が暮らす白茶けた荒地の対比が鮮やかな印象を残す。


この映画は製作費に500万ドルかけたが、アメリカとカナダを合わせたボックスオフィスの売り上げは600万ドルと辛うじて赤字にならない収益しか上げられなかった。ところが、海外の収益が4,400万ドルと製作費の9倍に及んだ。どうにもストーリーがアメリカ向きでなかったようなのだ。
撮影中、監督のエリオット・シルヴァースタインとリチャード・ハリスの争いは語り種になるほど酷かったらしい。英国貴族を西部に持ってきて、主人公にしているのに、監督に英国貴族の行動理念や思考方式の知識がないことが原因だったようだ。
このテーマが余程気に入っていたのだろう、リチャード・ハリスは6年後、1976年に『サウス・ダコタの戦い』(原題:The Return of a Man Called House;1977年)を作り、1983年に『馬と呼ばれた男の勝利』(原題:Triumphs of a Man Called House;1983年)を撮っている。どちらもスー族の伝統、文化をより正確に反映しようとしているのだが、商業映画としては成功しなかった。
俳優が思い入れよろしく制作に乗り出し、失敗した例だろうか。白人がいくらスー族に対しいくら強い共感を持ったにしろ、よそ者の目、白人の目でしか見ることができないのだ。それに、商業映画は文化人類学のドキュメンタリーではないのだ。
マーロン・ブランドの西部劇『片目のジャック』(原題:One-Eyed Jacks;1961年)、そしてジャック・ニコルソンと共演した『ミズーリー・ブレイク』(原題:The Missouri Breaks;1976年)も受けなかった。こちらの方は主演が重すぎたのだろうか。
-…つづく
第57回;西部劇名作選 番外編 No.23 【最終回】
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