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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第467回:瀬戸内造船ライン - 呉線 三原~呉 -

更新日2013/04/18


山陽本線の普通列車は14時ちょうどに三原駅に着いた。次に乗る呉線の電車は14時06分発。見事な接続である。見事すぎて、改札を通って駅舎を見に行く時間がない。この駅は高架駅だし、面白味のある駅舎ではないかもしれない。でも、駅には情報が集まっている。その地域ならではのポスターや広告看板も面白い。あと4分あったらな、と思う。乗り換え時間が長ければ退屈だといい、短くても不満を言う。要するにわがままである。呉線の三原発は1時間に1本ほど。それで6分の接続とは感謝すべきであった。


105系は新造車と103系からの改造車がある。3扉は新造車

呉線の電車は黄色い105系だ。2両編成の行き先表示は「広」。広島の略ではなく広という駅がある。呉線の時刻表を見ると、歴史的に重要な呉駅ではなく、広駅が運転区間の境目になっている。広駅から呉駅経由の広島駅方面は本数が多く、こちら側は少ない。広島駅までの通勤圏が広あたりまで、ということか。この電車の乗客は数十人。ロングシートにちょっとだけ隙間ができていた。

呉線の電車は三原駅を発車すると、少しだけ山陽本線に並び、おもむろに左へ舵を切る。すぐに渡る川は西野川といい、河口にフェリーターミナルがある。フェリーターミナルは三原駅から200メートルほどの近さで、瀬戸内海各地へ向かう船が発着する。高架の車窓の角度からは、海も船も見えないけれど、その目的地の島は見える。陸続きの山に見えるが、あれはもう瀬戸内の島だ。


島影と造船所。呉線を象徴する車窓

電車は高架区間のまま沼田川の鉄橋を渡る。市街地の車窓が工場街に変わっている。車窓右手に山すそが迫り、線路は押し出されるように左に寄って、とうとう海岸線に出た。ここから先は海と山に挟まれたルートである。左手の車窓は瀬戸内海。あいにくの雨天だが、穏やかな海に島が浮かび、列車の動きに連れて位置を変える。

ときどき大きなクレーンを立てた造船所が現れる。遠くを見れば大きなタンカーが佇んでいる。喫水線が高いから、船倉は空っぽらしい。完成したばかりか点検だろうか。呉線の沿線はどこも造船の町である。安芸長浜駅に隣接する大きな施設はクレーンがない。門柱を注視すると竹原発電所と書いてある。大きな工場には電力が必要だ。理にかなった配置であろう。


呉線は全線単線。安芸幸崎で列車交換

大乗駅という、仏教を連想する名の駅を通る。大きな寺でもあるかと地図を見たら寺はなく、大乗神社があるようだ。しかも「だいじょう」ではなく「おおのり」であった。きっとこれも船に関する言葉だろう。列車は大乗駅を出ると海を離れた。

呉線は勾配区間の山陽本線に対し、海沿いの平坦な迂回ルートとして全通した。明治政府が軍港として整備した呉と広島を結ぶために、まずは海田市から呉までが建設された。呉と三原の間は昭和になってから着工された。三原側から建設され、1930(昭和5)年に須波、翌年に安芸幸崎へと延伸し、1935(昭和10)年に全通した。何度かの戦争を経験し、さらに軍事力を高めようとした時期でもあった。


これは造船所ではなく竹原発電所

日本海軍は日本沿岸を5方面に分け、それぞれに海軍部隊を配置し、4箇所に鎮守府という統括部署を置いた。そのひとつが呉であった。呉は国家の重要拠点であり、呉線もその交通を担う路線として重用された。全通すると東京と下関を結ぶ急行列車1往復が呉線経由となった。

この急行列車は終戦を迎える前に廃止されてしまうけれど、戦後に東京―広島間の急行、大阪―広島間の準急が走り始めた。さらに京都と広島、岡山と広島を結ぶ準急が登場する。東京と広島を結ぶ急行は後に『安芸』という愛称が与えられ、後に大阪と下関を呉線経由で結ぶブルートレインとなった。呉の軍港としての役割は終わっても、そこで培われた産業は戦後の日本復興に向けられた。この頃が呉線の黄金世代だろうか。

風早駅付近で再び海沿いとなり、また海岸を離れてトンネルとなって安浦駅に着く。線路が岬を回らずに、トンネルでショートカットする傾向になった。後年に敷設された線路だからトンネル技術が向上したといえるし、戦雲が路線の短絡を求めたとも言えそうだ。


海には養殖イカダが並ぶ。牡蠣だろうか

広駅には定刻の15時28分に着いた。三原駅から1時間20分ほどの乗車だった。もう着いたか、と思った。海や船や造船所など、車窓の変化が多く、時間を感じさせなかった。ここで電車を乗り継ぐ。次の列車は15時33分発である。5分間の接続という便利さ。駅を見物する間もない。ここからは約30分間隔だから、次の電車に乗るという日程も組めた。しかし私は広ではなく呉を散策する時間を取った。


広から103系に乗り継ぎ

広島行きの快速列車が扉を開けて待っていた。なんと昭和の代表的な通勤電車、103系であった。大阪環状線でもしぶとく生き残っているけれど、こんなところでも頑張っていた。3両編成のロングシートは既に埋まっている。ここまでとここからで、乗客数は1.5倍である。私は運転台の後ろに立った。


安芸阿賀で下り快速と交換。これは113系。呉線は国鉄型のバリエーションが多い

 

103系の快速列車とは珍しい。ロートルな電車が、小さな駅を颯爽と通過する場面を見たい。しかしその願いは叶わない。この列車は呉まで各駅に停まるダイヤであった。そして私は呉で降りる。改札を出て、ペデストリアンデッキを早足で歩いた。目ざすは大和ミュージアム。東京行きの列車の乗り継ぎを考えると、2時間しか滞在できない。


呉駅は立派な橋上駅舎。高架歩道が海へ続いている

-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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