第458回:落ちる砂、鳴く砂 - 山陰本線 仁万~馬路 -
1988年、バブル景気が最高潮の頃にとんでもない政策が実施された。竹下登総理大臣が「ふるさと創生事業」として、各市町村に1億円をバラ撒いた。いま思えば狂騒であった。1億円、使い道は自由。各市町村では球に降りてきた大金に戸惑った。博物館や公民館などの箱物を作った自治体もある一方、預金して金利を受け取る道を選んだ自治体もあり、基金を創設して文学賞などを作る自治体もあった。しかし、1億円の宝くじを買って外したとか、金塊を買って展示なども報じられ、狂気の沙汰であった。
ふるさと創生のピラミッド
島根県仁摩町は、その1億円を使って巨大な砂時計と博物館を作った。それが仁摩サンドミュージアムである。仁摩町の海岸、琴ヶ浜は鳴き砂が特長で、それをアピールする意味合いもあった。しかし、1年計の砂時計はやはり馬鹿げた代物。荒唐無稽。バブル時代の箱物として失笑されかねない。事実、せっかく作っても全国的な話題にはならなかった。
その巨大砂時計に転機が訪れる。2003年、漫画家の芦原妃名子さんが、この巨大砂時計をモチーフに、その名も『砂時計』という恋愛漫画を描いた。主人公の少女の12歳から26歳までを描き、漫画雑誌の連載は約2年半に及んだ。大変な人気作だったようで、2007年にドラマ化、翌年に映画化された。私は2007年のドラマで知った。
巨大砂時計を見上げる
1年計という砂時計のアホらしさと同時に、それを名作に仕立てた作者の想像力に感動した。コンテンツの力。誰も振り返らないような代物でも、そこにストーリーを与えると輝きを増す。
言われてみれば、倉本聰さんが『北の国から』の脚本を描くまでは、富良野が全国に知られることはなかった。葛飾柴又は『寅さんシリーズ』にひも付けされているし、さらにいうと、城崎温泉は志賀直哉が、天城越えは川端康成が全国に知らしめた。コンテンツが名所を作り、観光客を呼ぶ姿は古くからある。
歴史的な背景はなくても、名所は作れる。観光に力を入れる方法のひとつとして、コンテンツ作りも重要かもしれない。そのコンテンツ力に敬意を表して、私は石見銀山ではなく、仁摩サンドミュージアムを訪れた。
マンガ・ドラマゆかりの品々も展示
巨大な砂時計は高く見上げる位置にあり、砂が落ちる様子を間近で見られない。そこが観たいのだが……。真横になる位置まで足場を作れなかったのだろうか。しかし、砂というキーワードで環境問題を考えるというテーマの展示は興味深かった。動くサンドアートも飽きさせない。砂に考えさせられたり、ぼーっと落ちる砂を眺めたり。そういう場所のようである。
山形の砂だった……
面白かったところといえば、地元の鳴き砂から発想した巨大砂時計が、さまざまな技術的検証の結果、鳴き砂が砂時計には不適格となってしまった。実はこの砂時計の中身は山形県の砂だという。感心していいのか笑っていいのか。しかし、この砂時計がなければ、マンガもドラマも映画も創られなかった。一時期のブームは去ったものの、いまも原作のファンが訪れ、ドラマや映画に登場した土産の砂時計が売れているそうだ。
仁万駅に戻る。手前の商店は釣具・菓子・玩具……大人と子供のおもちゃ屋さん?
鳴き砂の海岸、琴ヶ浜の最寄り駅は馬路である。仁万駅に戻り、15時30分発の列車に乗って隣の駅。所要時間は9分。馬路駅の周囲には民家も多いが、降りた客は私だけだった。線路に沿った一本道を歩く。私が乗ってきた列車は動こうとしない。対向列車を待っているらしく、私も見届けようと待っていた。2両編成の特急「スーパーおき」が通過していった。振り子式のディーゼルカー。山陰本線の主役である。2両だけど。
馬路駅。特急の運行頻度は高い
坂道を降りて、民家の間をすり抜けると海に出た。白いきれいな砂浜である。海水浴シーズンだと思うけれど、打ち上げられた海藻のほかはゴミひとつない。誰かが手入れをしている。いや、地元の人々が大切にしているのだ。こんな砂浜、東京近郊ではなかなか見られない。
この細道の奥が琴ヶ浜
午後の日差しはゆるく、雲が増えている。海の色は青混じりの灰白色。風はなく、私が苦手な潮の香りも少ない。ただ、どんなに踏みしめても砂は鳴かない。かかとを落としても、つま先で蹴るように足を突っ込んでも鳴かない。
サンドミュージアムでは磁器の乳鉢に琴ヶ浜の砂が入れられ、乳棒を差し込むとキュッと鳴った。砂浜で鳴き砂の声を発見した人は、どんな方法で知ったのだろうか。他の海岸と、砂の何が違うというのだろう。
美しき琴ヶ浜
砂を見つめながら歩いていると、小さな貝殻が幾つか見つかった。つややかで、微かに桜色。砂にも似た色の粒があり、キラキラしている。鳴き砂は、こんなきれいな貝殻が砕けてできた……そういうことだろうか。
女の子が拾い集めそうな貝殻
-…つづく
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