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■新・汽車旅日記~平成ニッポン、いい日々旅立ち
 

第462回:50年のモーダルシフト - 三江線 川戸~浜原 -

更新日2013/03/14


進行方向左側の窓から江の川の景色を見ている。見事な日の出を見せてくれたと思ったら、車窓はもう薄曇りになってしまった。列車の速度は相変わらずゆっくりとしている。のんびり、というレベルではない。自転車よりは速いけど、クルマには追いつかない。こんなことでいいのかと思う。鉄道のメリットはバスより速く目的地に着くことだ。少なくとも、東京ではそうだ。


田津駅は石積みのホーム

一番列車、三次行きの乗客は10名ほど。キハ120のボックスシートにひとりかふたり。高校生の6名はロングシートに向かい合い、ときどき談笑している。今は夏休み。ふだんなら通学列車として賑わう……と思いたい。

田津駅を出ると、列車はやや速度を上げた。ここから本気を出すかと思ったら、またノロノロ運転に戻る。30km制限の標識が多く、ちょっとスピードが増すと思ったらまた下がる。私がクルマを運転するなら、こんな道は我慢できない。お巡りさんがいなければ……などと考える。でも鉄道は安全第一、速度厳守。運転に忍耐が必要な路線である。


雲が増えてきた

三江線の歴史は古く、着工は大正15年9月。この年は12月25日から昭和元年になった。全通はなんと昭和50年。半世紀もかかっている。江津と三次を結び、その先の芸備線や福塩線と結んで広島や岡山に至るルートを担う計画だった。

立案当時は江の川の水運を鉄道に切り替える意図もあっただろう。経済的にも、軍事的にも、鉄道は国力のひとつである。水運から鉄道へのモーダルシフトが進められていた時期でもある。事実、江津から川戸まで開業した当時は、沿岸の生産物の輸送に貢献し、大きな恩恵をもたらしたそうだ。ただし、水運業は衰退し失職者が出ている。

地域発展のためもあって、三江線全通への期待は高まっただろう。ところが江の川沿岸の地形は険しく、工事は難航する。なんとか12年かけて浜原までの約50kmがつながり、三次側からも工事が始まる。ところが昭和14年に工事は中止。戦局の悪化が理由であった。陰陽連絡は軍事輸送の意味もあっただろうが、それどころではなかったか。あるいは、当時から陰陽連絡の期待は薄かったかもしれない。


石見川本駅で最初の交換

07時02分。因原駅に停まった。小さな集落だが、いままでの駅が寂しすぎた。駅前にコンビニもある。しかし乗客はひとり。江津から江の川の対岸に見えていた国道261号線は、ここから南へ進路を変えて広島へ直行する。三江線は江の川に寄り添ったまま北東へ進む。ときどき堤防の門扉のようなところを通る。江の川は大雨で暴れるらしい。

次の石見川本で対向列車と交換する。浜原発の浜田行き。高校生たちが降りていった。乗客は私のほかにふたり。ともに初老の女性であった。ひとりは江津から乗っている。旅行者風ではない。どんな用事で乗っているのか。

若い人がいなくなったせいか、冷房を寒く感じる。バッグから上着を出した。こんな時は風を入れたら、少しは室温を上げられる。しかし今時の列車は完全空調で窓が開かない。外の匂いも分らず、寂しい。こんなにのんびりしているなら、日常的にトロッコ列車を走らせたほうが楽しいのではないか。


木路原駅手前。紅一点の家

眼下の道、大型トラックがじっと対向車の通過を待っていた。ノロノロ運転で閑散区間、そんな三江線が残された理由は道が細いからだったという。竹、という小さな駅は川のそば。集落は対岸にあり、橋が架かっている。人影もないし乗客もない。乙原駅のまわりは民家が並ぶも客はなし。

川と道路が続く車窓に、注意書きの看板が見えた。上流に浜原ダムがあり、サイレンが鳴ると……とまで読めた。推して知るべしである。石見簗瀬でおばちゃんがひとり乗ってきた。乗客は、キハ120の四つしかないボックスシートにひとりずつ。赤塚でもうひとりおばちゃんが乗ってきて、ロングシートに腰を下ろす。私が今いる席は、彼女の定位置かもしれなかった。


民家も道路も対岸にある

相変わらずの川の景色。川の向こうに県道と集落が見える。家があるから道ができたか、道があるから家ができたか。何れにしても、結果として三江線は町外れの川向うという場所を走っている。列車に乗るには橋を渡らなくてはいけない。江の川は幅広い。つまり橋は長い。鉄道好きの私でも、この町に住んで列車に乗るなど面倒だと思う。


この橋を渡らないと駅に行けない

眠くはないが退屈してきた。空腹でもある。大田市駅前のスーパーで買った菓子パンを食べる。飲み物を買い忘れている。ゆっくりと飲み下す。江の川が手前に迫り、線路は鉄橋となって対岸に渡る。そこに粕淵駅があった。

ここは美郷町の役場がある。石見銀山街道の一部として栄え、江の川の恵みとともに発展したという。温泉もあり、釣りやカヌー遊びもできる。観光でも人気のあるところらしい。ただし、この列車からは、さっき乗ってきたおばちゃんが降りただけだった。


江の川を渡って粕淵駅へ

粕淵を出ると列車は東へ、そして南へ転進する。粕淵駅に寄るために、川沿いに大きく迂回している。鉄橋を境に江の川は車窓左側にかわり、私も左側のボックスシートに移った。川の手前の道は国道375号線。大田市と三次を直接結ぶ道路である。三江線と375号線は浜原まで並んでいる。ただし375号線は交通量の多い道なのだろう。浜原の街を迂回すべく、山側にトンネルでバイパスが作られている。

三江線が50年もかけて作られる間に、輸送の主役は自動車交通に変わってしまった。船乗りを廃業に追いやった鉄道は、道路交通に追いやられた。残念ながら、原付ほどの速度しか出せない列車に交通の主役が担えるわけがない。この路線の将来を思うと、かなり寂しい。


浜原駅に到着

-…つづく

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杉山 淳一
(すぎやま・じゅんいち)
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1967年生まれ。東京出身。東急電鉄沿線在住。1996年よりフリーライターとしてIT、PCゲーム、Eスポーツ方面で活動。現在はほぼ鉄道専門。Webメディア連載「鉄道ニュース週報(マイナビ)」「週刊鉄道経済(ITmedia)」「この鉄道がすごい(文春オンライン)」「月刊乗り鉄話題(ねとらぼ)」などWebメディアに多数執筆。

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