第72回:イビサを舞台にした映画
自分がよく知っている土地、街が映画に出てくると、アッ、俺あそこに行ったことがあるぞと、別に自慢することもないのに、一緒にその映画を観ている人に言ってしまうものだ。
最近では、イビサが出てくる映画はたくさんある。第一、港が絵になる。なだらか丘に張り付いたように白い家が折り重なり、城壁に囲まれ、そのテッペンに教会の鐘楼がそびえているのだから、誰がどのように撮ろうが絵になる風景だ。日本の人気作家*1が『イビサ』と題した本を出版しているほどイビサの名は知れわたっているようだ。
Pink Floyd アルバム『MORE』(画像クリックで映画ポスター)
私がイビサに住んでしばらくしてからだと思うが、イビサ島を舞台にした、イビサの旧市街がふんだんに出てくる『モア』*2という題の映画が封切られた。『モア』は小さなプロダクションで作られたB級の映画で、当時はたいして話題にもならなかったと記憶している。
私が『モア』を観たのはマドリッドだった。イビサに流れ着いた若いカップルがドラッグに溺れ、野たれ死に至るだけのストーリーで、冬のオフシーズンに撮影され、どこか寒々とした人気のない旧市街、城砦の中ばかり撮っていたから、この映画を観て、イビサに行ってみたいと思わせるものは何もなく、島の観光促進には全く役に立たなかったと思える。燦燦と太陽がふりそそぐビーチ、抜けるような青空、ハイファッションに身を固めた人々が闊歩するヒッピーマーケットなど、イビサの売りが全く写っていないのだった。
とても懐かしかったのは、イビサの城壁の下を潜り、一挙に崖っぷちの岩の上に出る、私が“秘密の通路”と呼んでいた狭く暗いトンネルが出てきたことだ。そのトンネルの城壁内の入口というのか出口というのか、それは市役所のすぐ近くにあった。『カサ・デ・バンブー』のある崖から岩山を登り、その狭く暗いトンネルを通ると、城砦の門を通らずに城砦内の旧市街に入ることができるのだった。ただ、いつも充満している小便の臭いを気にしなければという条件が付くが…。
城砦はイビサの港を守るように崖の上に建てられている。旧市街、港側には開かれたままの大きな門が二つあり、もちろん出入りは自由にできる。城砦内にも数世紀を経た住居が折り重なるようにして建っている。車などを乗り入れることは問題外の細い石畳の曲がりくねった道が迷路のようにつけられている。
ダル・ヴィラ(Dalt Vila)地区の階段通り
狭い道に面した分厚い木のドアを開け、遺跡のような家に一歩足を踏み入れると、それらが急な階段状に建てられているので、港を眺望できるテラスに出くわす。この城砦内の地区は“ダル・ヴィラ(Dalt Vila)”と呼ばれ、電気こそきてはいるが、水道はあっても十分な水圧がなかったり、下水の設備があったりなかったりの前近代的な地区だ。
そんな公共設備にもかかわらず、結構人気のある住居になっている。ダル・ヴィラの水の便が悪いことは防災、特に火災の消火が不可能なことを意味する。それに大きな水のタンクを積んだ消防車が入り込める道路もない。それでも、ダル・ヴィラの住人は、“何百年焼け落ちることなく存在してきたのだから、火事など起こるはずがない”と信じているようだった。ダル・ヴィラは急な坂道、階段の上り下りを厭わない、主に若い芸術家に人気があった。
実は…ということのほどもないのだが、もう一つ、“秘密”の抜け穴がある。こちらの方は崖の上の方に出るうえ、その狭いトンネルが途中で曲がりくねる急な坂になっているので、光が全く届かず、中は真っ暗闇なのだ。
私はイビサにやってくる友人、知り合いをその第二の“秘密”抜け穴トンネルに、“ごく少数の人だけが知る秘密の…”と案内したものだった。とりわけ若い女性を連れている時は、「トンネルの中に数箇所、落とし穴のトラップがあるから俺にシッカリと捕まっていなよ…」とハッタリをかけて、楽しんだものだ。
残念なことに、この二つの秘密の抜け穴トンネルは塞がれてしまった。映画『モア』の最後にドラッグに溺れた主人公がそのトンネルで死ぬ場面が出てくるのが、トンネル閉鎖の遠因になったかどうかは知らない…。
Dalt Vila内のあちこちにある門
(※画像クックで秘密の出口からの眺め)
当時まだ共産圏だった東ヨーロッパを回った帰りに、フランクフルトの駅構内の映画館で、偶然“イビサ何とかかんとか”とタイトルが付いた映画の看板を見て、翌日イビサに飛ぶにもかかわらず、入ってしまった。
映画はストーリーも何もあったものではない、支離滅裂なポルノだった。イビサを舞台に、背景に、海岸で、港を見下ろす家のテラスで、山裾の森の中にある別荘で、そして私がよく知っている50-60フィートのガフリグ(ふるい帆船スタイルのラテンセールを揚げる)の木造船のデッキで、キャビンで、とところかまわずヤリまくるドイツのポルノだった。
ドラッグまみれの暗い『モア』より、この映画の方が、太陽が照りつけるイビサの良いとこ撮りをしていて、イビサに来たからにはフリーセックス三昧を、との幻想を大いに抱かせ、観光には役立っているのではと思わせた。
古い型のヨットがイビサの港を出るとき、もちろんイビサの城砦とそしてその外の岩の上に遠く、小さく『カサ・デ・バンブー』が映っていた。
ガフリグの木造船の持ち主は、アーチーという四角い頭のスコットランド人船大工で、彼が店に来た時、そんな映画に借り出されたからには、お前にも相当オイシイ役得があったんではないかと冗談めかして言ったところ、「とんでもないよ。あいつらヨットでハイヒールだぞ、信じられるか、デッキもキャビンの床も傷だらけになってしまったし、食い散らかし、ワインはソコイラじゅう溢すは(ワインの染みはティークデッキに消えずに残る)、後始末はしないは、トイレは詰まらせるは、最悪のデイチャーター(1日のチャーター、通常、日の出から日没まで)だったぞ。もうコリゴリだよ」と愚痴ること甚だしかった。
私が観た2本のイビサ映画は、両方ともイビサの観光促進には役に立たなかったと思う。というか、イビサはそんな安手のプロモーションなど必要なかったのだろう。都合十数年イビサに住んだことになるが、その期間にイビサは呆れ果てるほど変わっていった。
他の保養地、避暑地と同様に、イビサも大衆化し、激安のチャーター・ジャンボジェットが日に何便も来るようになり、イギリスやドイツ、北欧の自分の家で暮らすより、イビサの2食付ホテルの方が安上がりだ…と言われるほどになってしまったのだ。
-…つづく
*1:村上龍_『イビサ』(1992年、角川書店)
*2:映画「モア」(原題:「More」1970年、ルクセンブルグ)、監督・製作:Barbet Schroeder、音楽 :The Pink Floyd https://vimeo.com/39218662
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