第46回:ルーマニアのドタバタ劇
更新日2003/02/06
ソビエト連邦崩壊時、ソビエトと密接な関係にある国々では新たな動きが次々と現れ、その混乱模様は毎日のようにニュースでも報道されていた。そんな中、東欧のルーマニア大使館では査証(ビザ)の発給コントロールが、事実上無形化したという噂が流れた。
ルーマニアの査証は、東欧諸国の中でも厳しい国の一つとして知られ、観光で入国するにも、インビテーション(招待状)や本国照会などの煩雑な手続きが必要だった。
しかし、ソ連崩壊によって、本国の指示命令系統も崩壊し、“査証の投売り”を行っているというのだ。そんな噂を耳にすると、体が自然と動き出し、とりあえず大使館を訪れて査証の申請をしてみることにした。
東京の高級住宅地の一角にあるルーマニア大使館。中は閑散としていて、事務所というよりは邸宅といった感じ。予想に反して警備員の姿も全く見当たらない。
「長期査証の申請をしたいんですが・・・」
「何の査証が欲しい? とりあえずそこのソファに座って…」
入国の理由などを簡単に聞かれると、査証はその場で即時発行された。書類記入もなく、大使館員がその時の気分で発給しているようだった。査証発給料も大使館員のポケットマネーになるという噂だったために、いくら請求されるか心配だったものの、予想に反して適正料金の数千円だった。
「とりあえず3ヶ月有効の入国査証を出したから、それ以上滞在する場合は、入国後に移民局に行って指示を仰ぐように。本国のことは、どうなっているかよく分からないんだよ…」
それから約1ヶ月後、ルーマニアの首都ブカレストへ向かった。ルーマニア貨幣は暴落して、3LDKのマンションが50~100万円もあれば充分に入手できる環境になっていた。そんな事情があってか、観光客の日本人は皆無だったものの、ルーマニア進出の視察にきている企業関係者や、そんな日本人を相手に商売しようとする、コンサルタントを名乗る日本人の姿は珍しくなかった。
「今度、レストランをブカレストに作ろうと思って、いろいろ見て廻っているんですよ。混乱劇の今がチャンス。手続きもワイロを払えばOKですし、日本円の価値が何十倍にも活きてきますからね…」
そう話すのは、東京で貿易業を営むAさんだった。
そして、それから数年後。東京でAさんと会う機会があった。
「レストランの出店はどうなりましたか?」
「出店はしたものの、とんだ見込み違いでしたよ…。ルーマニアの人は外食する習慣があまりないのがよく分かりました。近く閉める予定です。日本から中古のミシンをたくさん入れて、縫製工場にしようかとも思っているところです」
「失敗した一番の理由は、ルーマニア事情に詳しくなかったので、つい日本人コンサルタントの話を信じてしまったことですかね。彼らにとっては、私たちのことや進出後のことなんかどうでもよくて、何でもいいからお金を出させるのが目的なのですからね…」
→ 第47回:インドネシア、素朴なロンボク島