■Have a Nice Trip! ~そしてまた、新たな旅が始まる…

安田 修
(やすだ・おさむ)


1958年、神戸生まれ。ルポライター、JTB 系広告代理店(マーケティング・制作)等を経て、現在はフリーとしてライターや出版企画などのプランナーとして活躍する。世界の辺境が大好きな現役バックパッカーで、ネットサークル「海外に住もう会」を主宰している。世界各国の移住情報や長期旅行の情報をまとめた「海外移住情報」をネットで公開中。
著書『日本脱出マニュアル』



第44回:ギリシア、アテネのさんざんな一日
第43回:ロシア、モスクワ空港警察官の小遣い稼ぎ
第42回:メキシコシティのナイフ強盗
第41回:オーストラリア、ゴールドコーストのツアーガイド裏話
第40回:インド、ダージリンのイメージと現実
第39回:中国、大連の国家安全局員
第38回:キューバ、ドルの威力
第37回:チリ、イースター島の日本伝説
第36回:テニアンの日本人
第35回:ベトナム、スリの女の子

第34回:ハンガリー、温泉にはまるツーリストたち
第33回:コスタリカ、ニ人の17歳の女の子
第32回:グァテマラ、アンティグアの主産業はスペイン語学校
第31回:アルゼンチン最南端・フエゴ島の日本人
第30回:カンボジア、この国はいつたい誰の国?




■更新予定日:毎週木曜日

第45回:エストニアの日本料理店

更新日2003/01/30


北欧バルト海に面したバルト三国の中心、エストニア。ソビエト連邦を代表する共産国家だったものの、ソビエト崩壊後はいち早く独立を宣言した。歴史と伝統がそのまま活かされた街・首都タリンは、東洋の香りがまったくしない。

そんなタリンで、"日本料理店が初めてエストニアにオープンした"というので、自然と足がそちらに向いた。

訪れたのは、情緒ある歴史を感じるビルの中にある日本料理店。高級日本料理店といった感じではなく、ラーメンが中心メニューとなっているカジュアルなレストランだった。

「いらっしゃいませ」
暖簾をくぐると、とても発音のいい日本語が返ってきた。といっても、従業員は全員エストニア人で、北欧独特のきれいな金髪の若者たちだった。

日本語のうまさにびっくりして、思わずいろいろ質問してみたくなった。
「どこで日本語を習ったの? 経営は日本の企業?」
「このお店は日本にある会社が経営しています。日本人のスタッフはいません。でも私たちみんな日本に行って研修を受けてきました」

数ヶ月程度の研修で、よくぞここまで…といった感じの日本語のうまさだ。そして日本的な礼儀正しさと好感のもてる接客態度なのだ。

いろいろ聞いてみると、親会社は関東で大手ハンバーガーショップのフランチャイズを展開する地方企業だという。なんでも社長を務める人がフランチャイジーの親睦旅行に訪れた際、エストニアに魅せられ、日本料理店の進出を決意したらしい。

社長自らが約1年間、タリンにマンションを借りて出店準備を進め、ラーメン作りの厨房道具のほとんどは日本から持ち込んだそうだ。

一番の苦労は建物の改修だったらしい。エストニアの建物の多くは歴史を感じる古いものばかり。外から見ると情緒があっていいものの、中に入ると水道管や電気設備が壊れていたり、部屋を購入する金額よりも改修費用にお金がかかったりするからだ。

お店は、オープン当初からエストニアに駐在する日本人の“憩いの場”として賑わった。トヨタ自動車の駐在員、日本大使館の職員などなど、エストニアで生活する日本人は限られているために、この地に住んでいる日本人のほぼ全員が集まってくるという。

また、日本料理店が少ないと、お店はレストランという枠を超えて日本人の社交場というか、コミュニティに発展するようだ。日本の文化や日本とのビジネスに関心あるエストニア人たちも集まってくる。稀少な存在としてお店の繁盛は間違いないように思えた。

「私たちは、日本の文化にとても興味があります。だから、毎日がとても新鮮ですし、エストニアの人たちに日本をもっと知ってもらえるようにがんばっています」

冬は零下20度近くまで下がるエストニアである。そんな時、あったかいラーメンをすすりたくなるのも日本人だ。そんな理由もあって、ラーメン中心のメニューにしているそうだ…。

 

→ 第46回:ルーマニアのドタバタ劇