のらり 大好評連載中   
 
■亜米利加よもやま通信 ~コロラドロッキーの山裾の町から

第477回:新時代の旅とスマートフォン

更新日2016/08/25



私たちが長年水上生活をしていたことは何度か書きました。もうかれこれ三十数年も前のことになってしまいますが、その時代でも、周囲のヨット仲間は100%と言ってよいでしょうか、皆GPSと電子海図をモニタースクリーンにインターフェイスしたチャート・プロッターと呼んでいる、海図の上に自動的に船の位置が表示される道具を装備していました。カーナビのヨット版とでも言えば当たっているかしら。

ところが、ウチの仙人は、「海、ヨット、航海の良さ、面白さは、太陽の角度を六分儀で測り、自分で計算して位置を出し、海図に三角定規で航路を取ること。それがヨットスポーツの大切な一部だ」と、そのような便利すぎる航海計器を一切積まず、紙のチャート(海図)に鉛筆で線を引いていました。

まあ、それでカリブ海の島々、南米など、行きたいところに行けたのですから、彼流の昔くさいやり方で良いのでしょう。問題は六分儀、クロノメーター(正確な時計)、紙の海図の方がGPS(カーナビのヨット版)よりはるかに値が張ることです。それにGPSほど素早く、正確に位置が出ないことでしょうか。

私たちがGPSを持たずに航海していることを知ったヨット仲間は、呆れ顔で、ウチの仙人が自慢げに見せた、手入れの行き届いた六分儀を、「なんだこりゃ? 石器時代の遺物じゃないか?」とノタマったことです。

陸に上がってから、私たちはよく長距離ドライブの旅に出ます。この1年間の走行距離はオドメーターによると2万5,000マイル(4万2,000キロほどになるかしら)を越していますから、あきれるくらいホンダを酷使しています。私たちのホンダにはカーナビなど付いてませんから、全米道路地図帳ともっと詳しい州ごとの道路地図は欠かせません。

田舎の砂利道、山に分け入る泥道では、時々運行不可能な事態に陥りますが、それも旅の楽しみというものでしょう。あらかじめ何から何まで分かってしまうのでは、旅の持つ意外な喜びなども半減してしまうように思えるのです。

今年もまた、どうにも中毒になってしまったドイツの『バッハ・フェスティバル』(ライプツィヒ・バッハ音楽祭)に行ってきました。今回は、私たちに初参加、引退祝いの形で私の弟が一緒に来ました。弟はハイテック会社に勤めるエンジニアで、奥さん(私の義理の妹)と30歳前後の息子二人を家に残し、一人で出かけてきたのは、余程私たちのドイツ、バッハ熱が感染してしまったからでしょう。

ところが、彼はスマートフォンを持ってきたのです。それは良いのですが、一日に何度もアメリカに残してきた奥さん、息子たちに電話し、会話をしたり、テキストを送ったりするのです。会社と家族の日常性を切り離して、せっかく引退祝いの音楽三昧の2週間を過ごしに来たはずなのに、スマホのせいで、会社とも家族とも常に連絡できる、連絡を取り合わなければならない状況に置かれているように見えるのです。 

バッハの生まれた町で丘の上にあるお城まで登っている時、弟の息子が電話してきて、「庭の芝生に水をやるスプリンクラーがうまく動かない…」と、お父ちゃん助けてくれ~と言ってきたのです。そんなことでいちいち電話してくるな、ホースで撒けば済むことではないか…と言うのは私(ウチのダンナさんも)の意見ですが、やさしい父親である弟は、丁寧に時間を掛けて説明してやっていました。

音楽祭のついでに、ウチのダンナさん、弟と私の3人でドイツの森をハイキングしたり、日帰りの山登りをしました。ウチのダンナさんは簡単な地図と標識だけを頼りにグングン進むのですが、ハイテックの弟は分枝点に来るたびに、スマホに付いているGPSで現在地を確認し、そしてハイキングルートの説明を読み、そこから歩く道程の詳細を事前にチェックするのです。

目の前にちゃんとした登山道があり、目標にしている岩山が見え隠れしているのに、どうしてスマホのGPSやハイキングガイドが必要なんだろう…? と思うのはローテック人間たる私の意見で、スマホ人間にとっては要所要所で現在地を確認し、かつ先人の誰かが書いた記録を事前に読み、知ることが大切なことのようなのです。

街中の予約を入れたホテルを探す時も、弟はスマホに英語で街とホテルの名前、住所を告げると、音声で(英語で)200メートル南に進み、そこを左に曲がり…と説明してくれるのに驚きました。が、それより先にウチにダンナさんの方が、八方破れのドイツ語で誰彼なく道を尋ねまくっているのです。

彼に言わせれば、何も南極やアマゾンにいるわけじゃないし、地元の人がウジャウジャいるんだから、彼らに訊けば良い、それで少しは地元の人の親切さが体験できる…ということになります。それにしては、どうも道を尋ねる相手に若い女性が多すぎるような気もしているのですが…。マー、それくらいは許してあげることにしましょう。

旅に出る楽しみは、一つに日常から開放されることです。そして、ガイドブックに書かれていない意外な、予想外の発見、出会いをすることでしょう。その両方の楽しみをスマホで損なっている…ように思えるのです。

いつか旅に出る時、是非、スマホを家に置いていってください。少し違った世界に出会えますよ。

 

 

第478回:教員不足と教員の質の関係は?

このコラムの感想を書く

 

 

 

 

 

 

 

 


Grace Joy
(グレース・ジョイ)
著者にメールを送る

中西部の田舎で生まれ育ったせいでょうか、今でも波打つ小麦畑や地平線まで広がる牧草畑を見ると鳥肌が立つほど感動します。

現在、コロラド州の田舎町の大学で言語学を教えています。専門の言語学の課程で敬語、擬音語を通じて日本語の面白さを知りました。

■連載完了コラム■
■グレートプレーンズのそよ風■
~アメリカ中西部今昔物語
[全28回]


バックナンバー

第1回~第50回まで
第51回~第100回まで
第100回~第150回まで
第151回~第200回まで
第201回~第250回まで
第251回~第300回まで
第301回~第350回まで
第351回~第400回まで
第401回~第450回まで

第451回:全米忍者選手権
第452回:日本の電気料金の怪
第453回:辞世の句、歌を遺す日本文化
第454回:ニワトリと卵の味
第455回:結婚しない人たち
第456回:夫婦者は長生きする?!
第457回:デジタルカメラ時代の写真
第458回:アメリカを支える移民たち
第459回:殺人の多い都市ランキング
第460回:人材の宝庫、イギリスという国の底力
第461回:大学キャンパスはレイプゾーンか? その1
第462回:大学キャンパスはレイプゾーンか? その2
第463回:大学キャンパスはレイプゾーンか? その3
第464回:母の日の起源とコマーシャリズム
第465回:先輩たちの感謝パーティー
第466回:お墓参りとお墓の話
第467回:古代オリンピック その1
第468回:古代オリンピック その2
~古代オリンピックの精神を持った日本人

第469回:アメリカの牛たちの世界
第470回:牛肉食をやめるべきか?
第471回:歴史に《もし》はないか…?
第472回:食人、喫人のこと
第473回:日本の百歳のお母さん
第474回:アメリカ中西部にある小さな教会のホームカミング
第475回:飛行場と特権階級?
第476回:マリファナの政治と経済

■更新予定日:毎週木曜日