第7回:フランコ万歳! その7
警察署の地下の拘置所に入れられた時、やはり相当神経が高ぶっていたのだろう、とても横になれる気分ではなかった。外からの日光がまったく遮断されているので、時間どころか、朝、昼、晩さえ分からなかった。
タイルを張っただけのベッドに腰掛けていたところ、すぐに尻が痛くなり、荒い毛布を折りたたみ座布団代わりにして敷き、壁に寄りかかる体勢をとった。ところが、5分と経たずに、体中がモゾモゾしてきて、何らかの虫が這いずり始めたのだ。
一瞬にして全身粟立ち、それらが南京虫であることを感知したのだった。ガバッとばかり、ベッドから飛び上がるように立ち、尻に敷いていた毛布を床に放り投げた。これは、ほとんど恐怖による反射神経なのだろうか、ただ高ぶっていた神経が敏感に、大げさに誇張されただけなのだろうか、映画やアニメなら、「ウヒャーッ!」とでも表現するところだ。
ドアに付いている覗き窓から入ってくる弱い光を頼りに毛布を視たところ、ユースホステルのヤツより小ぶりではあるけれど、正真正銘の南京虫がうごめいているではないか。南京虫と同居させられることだけで、私にとっては最悪の拷問にも等しいことだった。ユースホステルでの体験から、コンクリートの壁、ベッドを仔細にチェックしたが、暗過ぎて全く見えない上、僅かな隙間、穴に突っ込む道具、ボールペン、鉛筆、紙切れ一枚、持ち込めなかったから、確信できなかったにせよ、暗い壁に南京虫がビッシリとへばり付いていて、私の血で晩餐を繰り広げるのを待っている…と思えたのだ。
南京虫が無数に住みついている地下牢から出るためなら、私は何でもかんでも、あることないこと白状したことだろう。映画『パピヨン』の悪魔島の牢獄に南京虫はいたのだろうか、と思いを馳せ、南京虫さえいなければ、他のどんな状況にあっても簡単に耐えられる…と思ったことだ。
私は、2メートルの距離を狭い檻に閉じ込められた動物園の野獣のように、行ったり来たり往復して時間を過ごした。
Galleta Maria(マリアのビスケット)
看守に伴なわれた給食係のおばさんが、大きなアルミのボールにミルクコーヒーともココアとも付かぬ、ほんのりと甘みの付いた生ぬるい飲み物と、ビスケット7、8枚を配給に来た。これが朝食であるらしかった。このビスケットは乾パンに近く、ただ小麦粉を練って焼いただけで、これも甘みが付いていた。“マリア”という銘柄で、普段ならいくら腹が空いていても、口にしない手のものだった。それを私はゆっくりと何度も噛み、生ぬるく薄いミルクコーヒーともココアともつかぬ液体を口内で混ぜるようにし、飲み込んだのだった。
マリアのビスケットは他にも活用した。というのは、私はストレスに対し、体を動かしたり、精神を安定させリラックスできると自分で思い込んでいたが、人並みかそれ以上に神経が細く、弱いらしく、身体の方が即座に反応し、腹を下してしまったのだ。
酷い下痢に襲われ、看守を何度も呼び、スペイン語が分からぬまま、トイレ、トイレット、トワレットと叫び、鉄のドアを開けてもらい、片手に手錠をかけられ、もう一方は看守の手首に繋がっている状態で、薄暗く長い廊下を歩き、トイレまで同行され、そこでズボンを脱ぐ段になって初めて看守の手錠はトイレの脇に付いている大きな鉄の輪に掛けられ、便器にしゃがみ込むことが許されるのだ。もちろん、各便器の間に障壁はなく、十数個の便器がむき出しで並んでいるという監獄便所だった。
そこで思いっきり放出するまでは良いのだが、尻を拭く紙がないのだ。その時まだ私は便器の脇にある蛇口に引っかかっているブリキのカップ、まるでアウシュヴィッツからの払い下げのような半ば錆び、イビツに変形し、前に使用した者の大便がこびりついているカップが、用を足した後で尻を水で流すためのものだとは知らなかったのだ。
これはどうしたものか、思案のしどころで、2回目のトイレ行には、朝食に出るマリアのビスケットを何枚か尻拭き用に持参することにしたのだった。円形のビスケットは硬さといい、丸い曲面といい、尻を拭くのに持ってこいのモノだと発見したのだ。ただ、その分、口に入るのが減るという欠点があった。
配給のおばさんにビスケットを指差し、お腹をなでたりのジェスチャーでもっとくれと意思表示をしたところ、すぐに通じ、給食おばさんはニコリと微笑み、サア、幾らでもやるぞとばかり両手に余るくらい、ガバッと十枚ばかり余計にくれたのだった。こうして“マリアの尻拭きビスケット”を確保したのだった。
食事は悪くなかった。スコットランドの下宿より、味も良く量も多かった。日本の大学の寮で出される食事より数倍良かった。普段から貧しい食事で鍛えていると、ちょっとした料理でも美味しく感じるものだ。ロクなモノを食べてこなかった役得はあるものだ。ただ、何でも生ぬるいのが欠点だった。
留置所や牢屋の食事が満足のいくものであり、これで日光の射す窓があり、南京虫さえいなければ言うことなしだと思ったことだ。こんな条件下なら、ハリウッドの映画のテーマになる監獄の暴動、脱獄などは起こり得ないのではないかとさえ思った。
昼食は豆類のスープが多かった。それにバーラ(barra;棒状パン、バゲット)が3、4切れ、形の悪いオレンジまで付いてきた。豆はガルバンソ(Garbanzo;ヒヨコ豆)、レンズ豆、赤いキドニー豆で、大切れの肉さえ入っている、中身の充実したものだった。黄色いだけの味付きパエリャも出た。
夕食も、拘置所内でナイフ、ホークなど先の尖ったモノを使わせない配慮から、煮込み、硬い牛肉のトマト煮、伸び切ったパスタが出た。ただ、スペイン人の食事に欠かせないワインはさすがに出なかったが、元々酒飲みでなく、タバコも吸わない私にとって、マドリッドの拘置所の食事は満足のいくものだった。
ロシア文学の基本となる食べ物、かの悪名高い“キャベツ・スープ”をいつか味わってみたいものだと思っている。あれは囚人食で、ロシアの代表的な料理ではないと知っているものの、あまりに多く語られているから、一体どんなものだろうかと興味が沸くのだ。“キャベツ・スープ”を味わうことなしにロシア文学は語れない…とホラを吹いてみたい気がするのだ。
ところが、実際に味わったスペイン拘置所の食事が、私がそれまで過ごしてきた日本、スコットランドで食べてきたモノに比べ圧倒的に良かったから、食べ物を基準としてスペイン文学、スペイン文化を語るのは的外れになるのだろうか。単にそれまでの私自身の食生活の貧しさをさらけ出すだけになるのだろうか。レベルの低い私の舌に、ソビエト特性、ラーゲリ御用達“キャベツ・スープ”も、案外いけるのではないかと思うのだ。
1973年封切りの映画『パピオン』
(クリックでスティーブ・マックイーンの監獄シーン)
最初に決めたように、私は出されたモノはすべて50回噛んで飲み込むことを実行し始めた。そして食後の運動として、スクワット100回、腕立て50回、両手を胸の前で合わせ合掌するように力を込めて深呼吸を1セットとして何度も繰り返したのだ。
南京虫が這っているであろう床やベッドに転がる勇気がなく、腹筋運動だけはしなかったが、おっかなびっくり壁に両手を付き背筋を伸ばすなどの運動をバカみたいに遣り始めたのだった。それも『パピヨン』効果だった。
第8回:フランコ万歳! その8
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