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■ビバ・エスパーニャ!~南京虫の唄
 

第3回:フランコ万歳! その3

更新日2021/04/01

 

連行されたのは、大きなアーチの下に国境のようなゲートがある、四面周囲を4、5階建ての灰色のビルに囲まれた中庭(patio;パティオ)のような駐車場だった。そこには、窓に金網を張った護送車、“POLICIA”と大きく書かれた警察、公安の車両がぎっしりと駐車されていた。

それを見て、“アリャ、これは本当のオマワリ、警察署に連れて来られてしまったワイ。覚悟をしなければならないな~”と思ったことだ。その時、白々と夜が明け始めていたから、私がグァルディア・シヴィル(治安警察)に踏み込まれてから4、5時間は経っていたのだろう。

それから、パティオを見下ろす2階の小部屋に連れていかれ、硬い木の椅子に後ろ手錠のまま座らされた。そこで、見張り役を残し、マキシモのピソに侵入してきた連中は消えた。そのまま長い時間、ドエラク長く感じられたが、2、3時間だったのかも知れないが、放って置かれた。

グレーに赤いスジの入った制服を着込んだのが、大儀そうな横柄な態度で迎えに来た。お部屋の準備ができましたので、どうぞこちらへ…と案内されたのが地下牢だった。

地下の窓なし拘置所は2メートル四方の広さだろうか、光は頑丈な鉄の扉にうがたれた幅20cm、縦30cmほどのスペースに鉄の棒が数本はまった覗き窓があり、廊下にある裸電球の明りがその窓から射し込むだけで、地下牢の室内には照明がなかった。その覗き窓から入ってくる薄ぼんやりとした灯りがコンクリートの床を四角に照らしていた。

両脇を抱えられるように地下室に押し込まれ、手錠を外され、重そうな鉄の扉がガチャンとドラマティックな地響きするような音を立てて閉まり、旧式な南京錠を施錠している音が聞こえ、私の世界は真っ暗闇の地下室だけになったのだった。

目が暗闇に慣れる前に、湿った空気、腐った臭いが鼻を突いた。それは西欧人の体臭と反吐、小便が渾然一体となったような、体に染み込んでくるような臭いだった。次第に目が慣れてきて、この地下牢の向こう半分が脛の高さほどのコンクリートにタイルを張ったベッドになっていて、一方が緩やかにカーブして高くなっており、それが枕代わりだった。

暗灰色か焦げ茶の荒い毛布が一枚、足元に丸めて置いてあった。コンクリートベッドが部屋の半分を占めているから、動ける範囲は幅1m少々、長さは2mくらいのものだったと思う。私が学生時代を過ごした横浜、中華街近くのドヤ街にあった掃き溜め4畳半アパートを思い起こさせた。壁はコンクリート打ちっ放しで、血反吐や小便を撒き散らした痕跡がアリアリと残っていた。嗅覚は慣れやすく、ダメになるのだろうか、嫌な臭気はそのうち気にならなくなった。

私は、こりゃ偉いところに押し込まれたもんだ…と嘆息したことだ。こんな状態に置かれた自分を他の人と比べることなどできない相談だが、私は諦めが良いというのか、吹っ切ってしまうところがあるように思う。単に鈍いだけなのだろう…。

おまけに丁度1週間前に、スティーブ・マックウイン、ダスティン・ホフマンの映画『パピヨン』(仏領ギニアの沖にある牢獄島、悪魔島から脱出するオハナシ)を観たばかりだったから、彼ら(映画の中でのことだが、一応実話)を見習って、狭い空間で屈伸、スクワット、腕立てなどの運動をし、深呼吸、両手を胸の前で合わせてお祈りをするようなポーズで、両手に力を篭めるような呼吸法を何度となく繰り返し、出されたものはたとえ緊張、ストレスで腹が空いていなくても、すべて50回以上噛んで飲み込むことにしたのだった。どうにも軽薄というのか、影響を受けやすいのか、悪魔島の牢獄映画『パピヨン』をマドリッドの地下牢で実践したのだ。

今思えば、なんとマンガチックなことを本気でやったものだと我ながら笑ってしまうが、人は常に何らかの影響を受け、また与えながら生きていくものだ。と言うのは、日本で知人に紹介されたスペイン通の若者が、場末のバルでフランコの悪口をカウンターの横にいた男の誘いに乗るように口走ったところ、その男がジャケットの襟の裏をひっくり返し、金バッジを見せ「俺はグァルディア・シヴィルだ、お前を逮捕する!」とやられ、そのまま1年近く、カラバンチェル(Carabanchel;マドリッド郊外の刑務所 *1)に入れられたことを知っていたから、私も、1年くらいは…と覚悟を決めたのだった。

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マドリード郊外にあったカラバンチェル刑務所(1998年閉鎖)

くだんの彼氏、目の焦点が合わず、相手の目を見てモノを言わず、落ち着きのない様子で、逮捕劇、いかに刑務所で過ごしたかを語り、唐突に、「ところで君、チェスできる?」と肩から提げていた持ち歩きができる箱状になっているチェスを開いたのだった。「カラバンチェルではチェスばかりしていたからな~」と言うのだった。その時私は、自分が牢獄に入る予定もツモリもなかったので、ヨソの国の政治に触れることはとても危ないことだという程度の認識しかなかった。

マア、友人のオヒツ(ダキオ)に頼めば、スペイン語―日本語の辞書とスペイン語のテキストくらいの差し入れは許されるだろうから、この際、みっちりスペイン語を勉強するか…と、腹を据えた…イヤ据えようとしたのだった。こう書くと、私がいかにも肝っ玉の据わった男のように聞こえるが、実際には、現実感に乏しく、想像力が欠如していただけで、身体も精神も縮みあがっていた。こんなところに1月、1年も閉じ込められたら簡単にキチガイになってしまうな~と思っていたのだった。

タイルを張ったベッドに腰掛け、一体自分に何が起こったのか、何故こんなことになったのか思い巡らせようとしたが、とりとめもない考えが目まぐるしく脳裏を過ぎ去り、まるで速射のスライドのごとくチカチカと鮮明な場面が展開し、とても一つのことを集中して考え、推測できる心理状態にないことを知った。

いつまでこんな地下牢に閉じ込められるのか、裁判になるのか、きちんとした通訳付きの裁判をやってくれるのだろうか、私が逮捕されたことをいつ唯一のコネクショションがあるオヒツは気が付くのだろうか、日本領事館に連絡する方法はあるのだろうか、このまま何百人、何千人といる行方不明になっているバックパッカーの一人として、忘れ去られるのだろうか……

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スコットランド第三の都市、Aberdeen(アバディーン)

私がスペイン、生のスペイン人と出会ったのはスコットランドでのことだった。アバディーン(Aberdeen)*2の下宿屋に、私に2月ばかり遅れてスペイン人が入ってきたのだ。彼はクリストファー・リーブが演じた『スーパーマン』によく似ていた。イヤ、スーパーマンというよりクラーク・ケントに近い、黒縁メガネをかけたハンサムボーイだった。彼の名はパブロ、南スペインはセビーリア出身で、ここの大学の医学部で学位を取り、セビーリアで開業するつもりだと、やけにはっきりした将来像を語った。

彼にはペニーというスコットランド娘のノヴィア(novia;婚約者)がいて、ペニーがパブロのために入学やこの下宿の下準備をしたことのようだった。ペニーの専攻はスペイン文学で、彼女がスペインへ、セビーリアに留学した際に下宿したのがパブロの家、そこで若い二人は恋に陥る…というよくある筋書き通りに話は進んだことのようだった。


 

 

*1:カラバンチェル:1944年に開設され、フランコ独裁時代には政治犯が多く収容されていた刑務所。当時、市民から「カラバンチェル」と恐れられていた。1998年に閉鎖後、2008年に残っていた施設が壊された。

*2:アバディーン(英語: Aberdeen;スコットランド・ゲール語: Obar Dheathain):イギリス、スコットランド北東部にある都市。エディンバラ、グラスゴーに次ぐスコットランド第3の都市。人口は約20万人。港湾都市として発達、北海油田の発見後、石油採掘の拠点となり、ヨーロッパの石油の首都と呼ばれる。1495年創立のアバディーン大学がある。<Wikipediaより抜粋>

 

 

第4回:フランコ万歳! その4

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佐野 草介
(さの そうすけ)
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海から陸(おか)にあがり、コロラドロッキーも山間の田舎町に移り棲み、中西部をキャンプしながら山に登り、歩き回る生活をしています。

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